欧米諸国で近代法が展開をみた19世紀に,法的解決を形式論理による推論によって抽出しうるとする潮流がかなり共通してみられる。たとえばフランスでは,その時期に注釈学派といわれる立場が主流を占め,裁判官の主観を排し法典の条文の適用のみから解決を引き出そうとするなかで概念的形式論理を重視していたし,アメリカでも,判例法から抽出された法原理・法概念に重点をおいた形式主義的な法理論が優位に立っていた(ケース・メソッドはこれを講ずる方法という一面をもつ)。類似の流れがドイツでは概念法学として登場した。
概念法学はつぎの特色をもつ。法秩序における若干の公理から基本的な法概念が形成されると,そこから形式論理を介して下位概念が抽出され,さらにその下位概念に分けられる。同じレベルの概念は相互に排斥し合う対立概念である(峻別の論理)。こうした操作が繰り返されて自己完結的な概念のピラミッドができる。これが法体系であり,そこでは,あらゆる問題が法論理の衣でおおわれているので法の欠缺(けんけつ)がなく,〈概念の計算〉によって解答が算出される。このような概念法学はドイツにおいて,F.K.vonサビニー,G.F.プフタ,B.ウィントシャイト,初期のR.vonイェーリングらによって構築された。法思想史的には,それは一般私法の体系化に努めた啓蒙期自然法の相続人であり,体系をイデーの自己展開とみるドイツ観念論哲学の承継者である。ことに,体系が自己展開を続け法的創造力をもつものであるとする体系観がユニークである。この意味で,概念法学は法史的には特殊ドイツ的な産物である。それと同時に,概念法学が,事業活動の法的諸帰結についての予測可能性や法的安定性の実現という近代産業社会の基本的要請にこたえるために欧米諸国に共通してみられた法の論理的要素を偏重する法的潮流の一環であったことを忘れるべきではない。
ドイツにおいて,概念法学は法律に欠缺なしとする法実証主義と結合して法実証主義的概念法学として完成をみたが,その形式論理偏重に対しやがて批判が生ずる。すなわち,自由法論,利益法学さらに評価法学といった法解釈学方法論の諸潮流や法社会学の誕生がそうである。そこでは,概念法学により不当に軽視された法の価値的要素や事実的要素の復権が種々の面で推進され,今日,概念法学は,概念偏重の一面的な法理論として批判され退けられている。
日本では,明治期の法典編纂(へんさん)後まもなく圧倒的にドイツ法学の影響を受け,その法体系はドイツ法学型に組み替えられ,その法学はドイツ概念法学を範型とした。その結果,日本の法学は,条文注釈型から脱皮し,概念と体系を重んじ,厚みのあるものに変質したが,多くの点でドイツの法学と問題性を共有するにいたった。しかし,日本にはドイツ概念法学を内からつくりあげた体系志向が伝統的になかったこと,また,ドイツ概念法学がその批判理論(自由法論や利益法学)とともに導入されたこと,さらにドイツ法以外の外国法をも継受している法典の構造との適合問題という日本独自の課題をかかえたこと等からみると,概念法学といっても日本の場合,外面的で不真正なものである。現在でも,多くの法分野でドイツ型の法体系が基本的な構造面で形をとどめているものの,個々の問題分野でその体系の分解が相当進行している。やがては日本の法体系の再編成が問題となると予想されるが,その際,日本型概念法学の評価作業が現代的意味をもつであろう。
執筆者:北川 善太郎
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ルドルフ・フォン・イェーリングの造語。19世紀ドイツ法学が法の目的や社会の必要を無視して「概念の計算」に専心したことを揶揄(やゆ)したもので、その後一般に論理を偏重する法学を批判することばとして用いられる。これに対して成立したのが「目的法学」「利益法学」「自由法学」などとよばれる学派である。しかし、逆の方向に行きすぎると、裁判が情緒的、恣意(しい)的になって、法的安定性が害される危険がある。この行きすぎた傾向は「感情法学」として批判された。「法の生命は論理ではなく、経験である」とは、アメリカの法学者ホームズのことばであるが、概念法学と感情法学の中間論理と経験の結合のうちに、法学のあるべき方向があるといえよう。
[長尾龍一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…19世紀中葉になると,歴史主義にかえて制定法至上主義が台頭し,継受されたローマ法はドイツ人にとっての制定法とみなされ,個々のローマ法源への依存度が増大した。こうして歴史法学はパンデクテン法学へと発展し,いっさいの法命題を法規(ローマ法源)から演繹するための法律構成juristische Konstruktionの技術を高度に発達させた(このため概念法学と評されることにもなった)。パンデクテン法学の代表者は,ファンゲロウKarl Adolf von Vangerow(1808‐70),デルンブルクHeinrich Dernburg(1829‐1907)らであるが,とくに重要なのはウィントシャイトである。…
…このような法学的努力は法解釈における形式論理的思考の重要性を強調し法的安定性に寄与するものであったが,その反面で,法学的思考における形式性を過度に強調することによって法学を現実から遊離させ,その結果社会情勢の変化に適応しうる法の解釈・適用を妨げることとなった。ドイツの法学者イェーリングが〈概念法学〉というあざけりの名称を与えて批判したのは,このような19世紀法学の形式性偏重の態度と制定法万能の思想であったのであり,これ以後〈概念法学〉克服の試みは自由法論をはじめとして社会学的法学,利益法学などにより行われてきている。現代法学はこの流れの中で,判決導出におけるいわゆる判決三段論法=形式論理性を基礎としつつ法の解釈・適用における論理的操作を洗練化し,法的安定性,予測可能性の維持を行うとともに,法を現実の社会生活を有効にコントロールしうる技術と考えて,法の解釈・運用に際し法の諸科学の成果を重視しつつある。…
※「概念法学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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