改訂新版 世界大百科事典 「メタスタージオ」の意味・わかりやすい解説
メタスタージオ
Pietro Metastasio
生没年:1698-1782
イタリアの劇作家。ローマに生まれる。幼いときからアルカディア学会員のG.V.グラビーナに師事して,ギリシア,ラテンの古典およびイタリア・ルネサンス期の古典を学び,姓も本来のトラパッシからギリシア風のメタスタージオに改める。1717年最初の詩集を出版した。18年にアルカディア学会に入会。翌19年にナポリへ移住し,当時一世を風靡したオペラ歌手マリアンナ・ブルガレッリと知り合い,ナポリの音楽界との交流を深める。24年,ブルガレッリに捧げて書いたメロドラマ(オペラ)の脚本《見棄てられたディド》によって一躍名声を獲得した。引き続いて《ウティカのカトー》(1727),《認められたセミラミス》(1729)など,数多くのメロドラマを執筆。彼の台本の詩は旋律的で音楽と結びやすく,また18世紀のイタリア・オペラの声の様式に適していたために,ヘンデル,グルック,モーツァルトら多くの作曲家によって作曲された。30年,長年にわたる女友だちであり後見人でもあったマリアンナ・ピニャテッリの仲介により,宮廷詩人としてウィーンに招かれる。以後,82年に没するまで,この異郷の都の宮廷にあって,カール6世,マリア・テレジア,ヨーゼフ2世ら,歴代の皇帝に仕え,ヨーロッパ屈指の詩人の名声をほしいままにした。ウィーンにおける最初の10年間が最も精力的に創作に打ち込んだ時期で,《シリアでのハドリアヌス》(1732),《オリンピアの競技会》(1733),《ティトゥスの慈悲》(1734),《テミストクレス》(1736)など,メロドラマの秀作をつぎつぎに書きあげたが,以後は急速に寡作となり,晩年はみずからの創作活動を振り返りつつ,それを理論づける詩論の執筆に専念した。反マリニズモ(G.マリーノ)と古典への復帰を唱えて18世紀のイタリア文学界に君臨したいわゆるアルカディア派が,他方においてさしたる大詩人を生み出さなかったなかにあって,ギリシアの古典劇やT.タッソらの牧歌劇に範を得つつ,悲劇と喜劇の融合を図りながら,従来は音楽に比重のおかれていたメロドラマを文学面から補強したメタスタージオの功績は,アルカディア派のもたらした最大の成果といってよいであろう。
執筆者:鷲平 京子+鴇田 信男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報