改訂新版 世界大百科事典 「ロマン派音楽」の意味・わかりやすい解説
ロマン派音楽 (ロマンはおんがく)
音楽は音による時間芸術として外界の事物を直接には表さず,感情に訴えて言葉に表せない情感の領域に浸透する。その点では諸芸術中で最も内面的な,ロマン的性格の芸術とされる。
上記の認識自体,ロマン主義芸術観の所産であった。ティーク,E.T.A.ホフマンら多くの作家が,音楽のうちに詩(ポエジー)の究極的理想像をみている。したがって音楽にロマン主義が浸透すると,それが果たす役割は他の芸術に比べても著しいものがあった。広い意味でロマン主義の音楽というなら,19世紀の音楽史は,ひと口にシューベルトからマーラーまで,その視野に収められてしまう。この世紀のすべてをロマン主義からとらえることはできないが,少なくともほとんどの事象はこの概念をぬきにしてはとらえられない。
しかし普通に狭い意味でロマン派の音楽というとき,その様式的中心は19世紀の中葉,ほぼ1825-75年,地域的にはドイツ,オーストリアとフランスが主導的であった。世紀後半には他の諸国の貢献も強まる。おもな大作曲家を挙げれば,ベートーベンとシューベルトを視野におさめながら,C.M.vonウェーバー,メンデルスゾーン,シューマン,ショパン,ベルリオーズ,リスト,R.ワーグナーらが代表的存在である。ベートーベンとシューベルトはロマン的要素を有しながら,全体としては古典派に入れられる。しかしロマン主義の芸術理想はこれに反対するものではまったくなかった。逆に,シューマンの〈ダビッド同盟〉の主張が示すように,彼らを旗印に掲げ,表面的な技巧・効果を追う流行音楽に抗して,真に〈詩的〉な音楽の復権と新生を志すものだった。こういうロマン的ベートーベン像が生きていた当時には,シューマンなどの世代は〈新ロマン主義者Neuromantiker〉と呼ばれもした。この言葉は現在はほとんど用いられないが,19世紀中葉以後に台頭した,リスト,ワーグナーを中心とする交響詩・楽劇への運動を〈新ドイツ楽派Neudeutsche Suhule〉の名で呼ぶことは今日もよくなされる。こういう標題音楽的傾向は,交響曲に代表される器楽の純粋な表現性を守るメンデルスゾーン,シューマンの行き方に対して,世紀後半には優勢になっていった。しかし狭義のロマン派の中心はむしろショパンのように,ピアノという自分の領域に集中して,言葉に依存しない独特の〈詩的〉音楽を結晶させていったところに認められるだろう。《無言歌》のメンデルスゾーン,シューマンとリストの初期ピアノ曲の世界も,こういう中核に属する。
19世紀の後半,とくにその70年代以降のロマン主義は,〈後期ロマン主義Spätromantik〉の名でよく呼ばれる。ここには普通,ブラームス,ブルックナーに始まってフーゴー・ウォルフ,マーラー,シェーンベルクやR.シュトラウスの初期に豊かな全体が収められる。しかし19世紀後半から20世紀初めにかけての音楽が示す多様な相は,もはやロマン主義の一元で処理することはできない。古典主義的な構築性と秩序の復権(ブラームス,ブルックナー),民族主義との交融(東欧のスメタナとドボルジャーク,ロシア国民楽派とチャイコフスキー,グリーグとシベリウスをはじめとする北欧諸国の作曲家たち),そしてロマン主義とリアリズムの個性的な交錯(マーラー)などを,その主要なスペクトルとして挙げよう。なお,同時代に活躍しながら非ロマン派的存在としてはベルディ,ビゼー,ムソルグスキー,ベリーニ,ドニゼッティらが挙げられる。これらの人々の様式にも,広義のロマン主義が認められるとはいえ,その全体をロマン派のもとに包摂するには無理があろう。ロマン派の初め,上限に関してもこれと同じ問題が存在する。ベートーベンは最も顕著な例で,全体としては古典派の総合的頂点と目されるとしても,ロマン的な様式がそこに始まっていることも否定できない。シューベルトではいっそうロマン的性格が優越するが,交響曲をはじめ器楽では古典派的性格も強く,結局この両者は古典・ロマンの区別を超えた高みに個人様式を実現している。本来のロマン派に与えた影響はともに深大なものがあった。
一般思潮としてのロマン主義が音楽の領域に浸透したのは,文芸や絵画に比べて必ずしも遅かったとはいえない。フランス革命の影響で,オペラの分野では1790年代にはその徴候が表れていた。ウィーンを中心に,魔法劇のジングシュピールが流行したのも一つの先駆といえる。モーツァルトの《魔笛》からシューベルトの《魔法のハープ》(1820)へ向かうこの幻想劇の線に沿って,ホフマンの《ウンディーネ》(1816),ウェーバーの《魔弾の射手》(1821)が生まれる。ウェーバーはまた《オベロン》(1826)でも序曲冒頭に〈魔法のホルン〉のモティーフを使って,ロマン的妖精劇を展開した。ホフマンとウェーバーは,また批評の筆を執ることによって,近代の知性的音楽家の先駆となる。こののちロマン派の作曲家には,シューマン,リスト,ワーグナーをはじめとして,著述活動に携わる者が多く出た。ホフマンはハイドン,モーツァルト,ベートーベンの音楽に純粋なロマン主義の表れを認めた。とくにベートーベン(第3,第5,第6,第7,第9交響曲)はロマン派全体にとって偉大な模範となり,ロマン主義の理想像ともされたのであった。音楽上のロマン主義が様式のうえで独自の特徴を示すようになるのはなお後のことで,それまでは,もっぱら音楽という芸術がもつロマン的特性が賛美され,ウィーン古典派の上記3巨匠もその見地から〈ロマン的〉とみなされたのであった。これは,本来のロマン派が活動を開始する1830~40年代まで続いた。前述のように,音楽では古典派とロマン派とは対立する概念ではまったくなかった。したがって時代区分でも古典派が終わってからロマン派が始まり,その後に近代音楽がくるというのではない。19世紀最初の4分の1ほどはベートーベンとシューベルトが代表するが,その様式は古典的・ロマン的両要素を包含しており,それはメンデルスゾーン,シューマンにも,ひいてはブラームス,ブルックナーにも継承されている。その意味で19世紀の根幹を〈古典的ロマン的時期〉としてとらえる見方(F. ブルーメ)も支持者が多い。とくに交響曲をはじめとする大規模な音楽作品では,構築的・理性的な要素,全人的総合性,普遍的客観性の要素は絶えず追求され続けた。その表現手段は抒情的特性,主観に徹した真実性,想像力の自由な飛翔とそこからひらける優れた〈個〉の世界(この世紀のヒロイズムと結びついた〈天才〉の概念)の方向に一歩を踏み出していた。この要素は狭義のロマン派音楽を性格づける。ベルリオーズとワーグナー,ピアノにおけるショパンの天才性は,この意味で非古典的ロマン性を代表する一方の極に置けるだろう。パガニーニ,リストらの代表する名人芸の要素も,古典派にない奔放な表現の可能性を〈天才〉に与えている。この時代,ピアノは金属フレームで大きく発展し,オーケストラも現在の性能に近づいた。ショパン,シューマン,リストのピアノ曲に,ベルリオーズ,ワーグナー,チャイコフスキーの管弦楽法に,新しい書法と音響世界が実現したのも楽器の進歩と関係している。
ロマン主義は技術主義の対極であるとともに,これと密接にかかわってもいた。その感情も,芸術創作においては理知と繊細にからみあっている。作曲家はもはや職人(アルティザン)ではすまされない知識人の性格をもつようになった。忘我の感激性と同時に,それを作品に結晶させる作業も必要で,ここにもロマン派は悩みと課題とをもっていた。反面知識人としての作曲家は文学,美術,哲学の教養を高め,それによって新しい境地をひらく。歌曲ではシューベルトの豊かな遺産の上に,シューマンが,次いでウォルフが,詩と音楽にいっそう高次元の融合をもたらした。ピアノ曲ではメンデルスゾーンの《無言歌》をはじめ,詩的・絵画的イメージをたたえた小品の様式が豊かに展開し(ショパン,シューマン,リスト),管弦楽ではベートーベンの標題序曲(《コリオラン》など),標題的交響曲(《英雄》《田園》など)の影響が発展的に継承される(ベルリオーズ,シューマン,メンデルスゾーン,リスト)。この時期の楽種として交響詩も生まれ,リストから国民楽派,チャイコフスキー,シベリウスに受け継がれて,R.シュトラウスに至るまで世紀後半の管弦楽曲で重要な役割を果たした。詩と音楽とのこういう接近の傾向は,ワーグナーにおいて楽劇という総合的な帰結に達する。ここでは諸芸術の総合というロマン主義美学の理想が,ショーペンハウアーのロマン主義形而上学からも影響を受けながら,一つの芸術的世界観のうちに結像している。その影響は賛否両面にわたって甚大であった。ブルックナーは深い傾倒の末に,ワーグナーが将来を否認した交響曲の分野で一世界を形成する。そのロマン主義はカトリック的神秘主義とも共通の根をもっていた。ドビュッシーがのちにひらいた独創的な音楽語法も,ワーグナーの心理的半音主義との対決を経てから生まれている。こういう全音階の復活は,マーラーにもみられるが,調性音楽の解消を目前にする後期ロマン主義の内部でも,当然の反動としてしばしば認められる。
ロマン主義の後期は,諸国民様式の分化・台頭とも密接に関係していた。チャイコフスキーを筆頭に,グリンカやロシア国民楽派といわれる作家たちはロマン的要素が強い。スメタナ,ドボルジャークも同様で,グリーグからシベリウスに及ぶ北欧の作家もロマン主義を基調にしている。世紀後半は先行のロマン主義が内蔵する多様な諸傾向から錯綜した影響を受けながら,これらドイツ,オーストリア以外の諸国の作曲家にロマン的性格の貢献が大きかった。
ロマン派の音楽様式を特徴づけるのは,第1に和声と調性語法の開発である。古典派の調性の明確な枠組みは,半音階による豊かな陰影づけによって満たされ,遠く離れた調性への転調も自在に,ひいては形式の枠組みも表現的に溶解されていった。これは内省的ロマン主義の小品の世界でも,華やかな外向的効果,巨大主義への傾向にあっても,変わらない特徴で,ワーグナーの楽劇と無限旋律はロマン派和声をして危機直前の状態にいたらせたといわれる。リズムは素朴な自発性から,鋭く高揚的な性格と,重厚な流れの性格とに分化する傾向があった。言葉と概念,詩的概念との結びつきによって暗示的な機能を強める傾向も,こういう様式上の特徴と密接に関係している。
音楽の歴史においてロマン派が占める比重は,諸芸術の場合と比較しておそらく最も大きい。上に挙げた作曲家たちの名前の重要さからもそれは明らかであろう。ロマン主義をヨーロッパ精神史における全体的な文化現象として理解する場合にも,音楽をその中心から外して考えることはできない。
→古典派音楽
執筆者:前田 昭雄
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