アメリカ独立宣言(読み)アメリカどくりつせんげん(英語表記)Declaration of Independence

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アメリカ独立宣言
アメリカどくりつせんげん
Declaration of Independence

北アメリカ十三植民地が,イギリス本国からの独立を宣言した文書。独立宣言起草委員会委員の一人 T.ジェファーソンにより起草され,大陸会議で若干の検討,修正が加えられたのち,1776年7月4日公布された。内容は,(1) 基本的人権と,それを侵害する政府に対する革命権の主張から成る前文,(2) 革命権行使の理由としての国王の暴政 28ヵ条の列挙と,本国議会,本国民の背信への非難を述べた本文,(3) 独立を宣言した後文の3部分から成る。ことに自然法に基づく前文は,アメリカ独立革命 (→アメリカ独立戦争 ) の理論的根拠を述べたものとして有名である。アメリカ独立宣言は,アメリカ政治原理の基礎となったばかりでなく,世界の政治史上の古典的文書となった。

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百科事典マイペディアの解説

アメリカ独立宣言【アメリカどくりつせんげん】

アメリカ独立革命に際し,大陸会議が1776年7月4日(米国ではこの日を独立記念日として祝う)採択した宣言。T.ジェファソン,J.アダムズ,B.フランクリンが起草。自然権思想,政府契約説に基づき革命権を主張。ロックの思想の影響がある。〈すべての人は平等につくられ〉という部分が特に有名。合衆国憲法とともにアメリカン・デモクラシーの理念を示す重要文献である。
→関連項目基本的人権幸福追求権自由の女神人権宣言抵抗権抑制と均衡

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世界大百科事典 第2版の解説

アメリカどくりつせんげん【アメリカ独立宣言 Declaration of Independence】

1776年7月4日,大陸会議において,アメリカにおけるイギリス領諸植民地の独立の理由を公にした宣言。独立の決議そのものは7月2日に採択されている。1775年春よりイギリス本国と植民地との間で武力衝突が行われていたが,76年1月ころよりトマス・ペインの《コモン・センス》の影響もあり,植民地人の間で独立の気運が高まってきた。76年5月,大陸会議は各植民地に独立政府を組織することを勧告し,6月にはバージニアのR.H.リーにより独立,外国(フランス)との同盟,諸邦間の連合の決議案が提出された。

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大辞林 第三版の解説

アメリカどくりつせんげん【アメリカ独立宣言】

1776年7月4日、一三の植民地の代表がフィラデルフィアでイギリスからの独立を表明した宣言。トマス=ジェファソンの起草。人の平等・天賦人権・革命権などを掲げ、その後のヨーロッパの市民革命に大きな影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アメリカ独立宣言
あめりかどくりつせんげん
Declaration of Independence

1776年7月4日、大陸会議によって公布されたアメリカ13植民地のイギリスからの独立を宣言した文書。前年5月以来植民地と本国との武力衝突が続いていたが、和解の希望も薄れ、またトマス・ペインの『コモン・センス』に代表される独立論が高まり、大陸会議もついに独立を決意するに至った。1776年6月7日、バージニア代表リチャード・ヘンリー・リーRichard Henry Lee(1732―1794)は大陸会議に「独立の決議」を提案し、これに基づいて6月10日に独立宣言起草委員会が発足した。委員はジェファソン、J・アダムズ、フランクリン、シャーマンRoger Sherman(1721―1793)、リビングストンRobert R. Livingston(1746―1813)の5人であったが、ジェファソンが草案を書き、フランクリンとアダムズによってわずかに修正された委員会案が大陸会議に提出され、さらに多少の削除、加筆が加えられたのち、7月2日に採択、4日に公布された。
 独立宣言は基本的人権・革命権の主張を述べた前文、国王の暴政28か条の列挙と本国議会・本国人への非難を述べた本文、独立を宣する後文、の三つの部分からなる。このうちとくに、「すべての人間は平等に造(つく)られている」ことを高唱し、不可譲の自然権として「生命、自由、幸福の追求」の権利を掲げた前文はアメリカ独立革命の理論的根拠を要約した部分として知られている。またこの理論が、名誉革命を思想的に正当化したジョン・ロックの自然法理論の流れを引くものであることも、よく指摘されるところである。この宣言は、理論上も、また具体的な政策上も、独立が不可避であることを対外的に正当化しようとするものであったが、他方、対内的には、アメリカ人を独立に決起させようという檄文(げきぶん)の意味をもっていた。J・アダムズによれば、この時点でのパトリオットPatriot(愛国派)は人口(推計約250万)の約3分の1であった。宣言の意義は大きいものであるが、黒人奴隷の存在に象徴される、現実との乖離(かいり)のあったことも忘れてはならない。[島川雅史]
『高木八尺訳・解説『独立宣言』(アメリカ学会訳編『原典アメリカ史2』1951・岩波書店・所収)』

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