生没年不詳。紀元前1世紀のローマの建築家、技術者。ローマ皇帝アウグストゥス(在位前27~後14)の時代に活躍したとされるが、『建築十書』De architectura libridecemの著者であるということ以外、その生涯などは知られていない。『建築十書』(『建築について』『建築の書』などともよばれる)は全10巻からなり、建築に関する包括的な論文であるだけでなく、当時の技術と科学の百科事典的な存在であった。全10巻を各巻ごとにみると、第1巻が建築の原理、2巻が建築の歴史、材料、3巻がイオニア式神殿、4巻がコリント式、ドーリア式神殿、5巻が劇場とその音響、浴場、6巻が町の家屋と田園の家屋、7巻が内部装飾、8巻が給水、9巻が時計、10巻が機械技術と軍事技術、となっている。これからみても、この書が単なる建築書でなく、多様な知識を含んでいることがわかる。そして第1巻の冒頭で、「科学を顧みずに腕のほうを磨こうとするばかりの建築家は、ほねをおったわりに権威を得ることはできない。反対に計算と科学だけに頼る人は、有名無実で実際を追求していないように思える。理論と実際とを十分にわがものにすることこそ、求める目標に達する完全な武器である」といい、また「建築家は、文章の学、描画、幾何学、歴史、哲学、音楽、医術、法律、天文学の知識を身につけるべきだ」ともいっている。そのほか、たとえば、空気振動による音の説明、建築上の音響学に関する研究、水力の応用、衛生についての配慮など、詳細に説明されている。また専門用語にはギリシア語を使ったり、新しくラテン用語をつくったりしており、ギリシア語文献をかなり典拠にしたことがわかる。『建築十書』の評価は、はっきり賛否二分される。賛美する者としては、ウィトルウィウスはギリシア建築の実例を描写し批評する資格が十分あると主張し、反対する者は、この書が無味乾燥、あるいはギリシア文献からの抜粋部分の批判、さらには、この書が4~5世紀のウィトルウィウス以外の人物の編書だという主張まである。現存する最古の版本は1486年ごろローマで刊行されたもので、16世紀にはイタリアその他数か国語訳で出され、ヨーロッパの建築家に大きな影響を与えた。
[平田 寛]
『森田慶一訳注『ウィトルーウィウス建築書』(1969/普及版・1979・東海大学出版会)』
前1世紀の古代ローマの建築家。生没年不詳。10巻からなる《建築十書De architectura libri decem》の著者として知られる。カエサルと知己であり,オクタウィアヌス(アウグストゥス帝)のもとで建設関係の公職につき,またファヌムのバシリカの設計を行ったなどのほかは,経歴は不詳。《十書》は現存する唯一の古代の建築書で,古代ギリシア・ローマの建築の状況(建築家の教育,建築材料,構法-とくにオーダーについて-,各種建築の計画法など)を知るうえで欠くことのできない史料であるが,建築以外の都市計画,天文,気象,土木,軍事技術,絵画,音楽,演劇などについても重要な記述を含んでいる。すでにローマ時代にもたびたび引用され,中世には修道院を中心として研究が行われ,とくにカール大帝の時代には,ローマ帝国再建のための技術的手引きとして熱心に読まれた。ルネサンス期になると,人文主義の重要なソースとして,爆発的な研究熱をよび起こし,L.B.アルベルティの著書をはじめとする多くの注釈書,訳書があらわれ,やがて西欧における建築学の基礎とみなされるようになった。ウィトルウィウスは古典期・ヘレニズム期のギリシア建築に心酔し,また執筆にあたっては現在には伝わっていない多くのギリシアの建築書を下敷きとしていた。したがって当時のローマ建築界ではむしろ保守的な位置にあったと見られるが,かえってそのことにより,その後の古典主義の理念的支えとして尊重される結果となったといえる。
→ローマ美術[建築]
執筆者:福田 晴虔
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…しかしローマ人にとってオーダーは,本来固有の形をもたないコンクリートの塊に建築的秩序を与える手段として重視され,引き続きさまざまな工夫が加えられた。これらの体系に関しては,前1世紀のウィトルウィウスの《建築十書》が唯一の典拠であるが,彼にあってはこれらはまだ,彼のあげる建築の要件の一つ〈オルディナティオordinatio〉とは直接に結びつけられておらず,その比例関係も固定的なものではなかった。これらを〈オーダー〉の名のもとに建築の最高の規範にまで高めたのは,L.B.アルベルティ以後のルネサンス建築家たちであった。…
…この著作自体はわずかな断片を除いて失われてしまったが,彼の代表作《ドリュフォロス(長槍を担ぐ人)》は,彼の理論の具現化であり,後代の人々はこの作品をも《カノン》と呼んだ(原作は失われているがローマ時代の模刻がナポリの国立考古学美術館をはじめ各所に多く残されている)。ローマ時代の建築家ウィトルウィウスは,カノンを〈レグラregula〉と翻訳し,人体の比率を建築の原理に当てはめることを試みた。人体表現に再び関心をもつようになったルネサンス時代に古代のカノンは,主としてウィトルウィウスの建築書を通して復活し,なかでもレオナルド・ダ・ビンチやデューラーは,完全なる人間の表現を目指して,人体の理想的な比率を追求した。…
…ヘロンはこれらを〈一定の力によって一定の重量物を動かすことのできるメカネ〉と呼んだ。ローマのウィトルウィウスの定義によると〈マキナとは,木材を結合して組み立てたもので,重量物を動かすのに最も役立つもの〉である。メカネという語を使用した代表例はヘロドトスが《歴史》の中でピラミッドの建造法を述べた個所であるが,ここでも起重機の意味で用いられている。…
… 劇場(ギリシア語theatron,ラテン語theatrum)という言葉は,古くから宇宙,世界の寓意をもって用いられてきたが,これは劇場が神と人間の運命の全様相を描く演劇の場であることに由来する。前1世紀のローマの建築家ウィトルウィウスが書いた建築書は,ヘレニズム時代の劇場の様相を知るうえで重要な資料だが,ルネサンス期の人々が劇場平面の割り出し方を,円環のうちに劇場の主部をおさめると解釈したのは,まさにこの寓意につながってのことであった。科学史家F.A.イェーツは,シェークスピア劇などを上演したエリザベス朝のロンドンの劇場(スワン座,グローブ座など)がこの原則に従って造られていたとしている。…
…これは,建築がまず用途や目的をもち,風雪や時の流れに耐えねばならない実用品であること,大規模で重量があり,重力,風力,地震力,攻撃力のような大きな物理的な外力に耐えなければならない構造物であること,そして,以上の要求を満たしたうえで,しかも見苦しくなく,できれば美しく,なるべく意味深い形態をもつ象徴物でありたいこと,という三つの条件を満足させなければならないことに関係している。古代ローマの建築家で,ギリシアの建築家たちの技術と思想を伝えたウィトルウィウスは,前30年ころ《建築十書》を著し,そのなかで,有用さutilitas,耐久力firmitas,美しさ(魅力)venustasという建築3原則で,このことを要約している。古来,建物を建てる人々は,財力,入手し得る材料,技術,労働力が許す限り,これらを同時に達成する方法を考えてきた。…
…ヘルモゲネスの建築書は,建造物のつくり方に数学的法則性を与えたものとして知られ,ローマの建築家たちに大きな影響を与えた。古代ギリシアの建築書はすべて失われてしまっているが,それらの内容の大要は,前1世紀のローマの建築家ウィトルウィウスが前30年ころに書いた10巻の建築書によって,今日まで伝えられている。暴君ネロに仕えた3人の建築家,セウェルスSeverus,ケレルCeler,ラビリウスRabiriusは,自在かつ独創的なアイデアで知られ,トラヤヌス帝とハドリアヌス帝に仕えたダマスクスのアポロドロスは,おそらくローマ帝国時代最大の建築家であった。…
…欧米では〈建築家〉をはじめとするさまざまな職能ごとに異なる教程があてられてきた経緯があり,また職能教育の教程をただちにひとつの学術分野として認定するとは限らず,この日本語に相当する呼称は見当たらない。
[古代]
建築が単なる職人的技能だけではなく,一定の学問的素養を必要とするという考えは,すでに古代にも存在し,ウィトルウィウスの《建築十書》(前30ころ)には,建築家は哲学から法律,歴史,天文学,軍事技術などのさまざまな知識に通じていなければならず,そのうえでオーダーをはじめとするいくつかの建築固有の要件を学ばなければならないと記されている。しかしウィトルウィウスの知識は断片的で,ほとんど理論的体系化はなされておらず,オーダーなどの概念も具体的内容がなく,総じて当時の雑多な建築知識の集成の域を出なかった。…
…そして円柱直径の1/2を1モデュールと呼び,各部寸法をすべてこれの倍数値で表す方式が,いわゆる〈オーダー〉の体系の根幹となっていた。古典建築の最初の理論家,古代ローマのウィトルウィウスは,こうした比例の体系こそが建築を科学たらしめるものであると信じていたが,同時に,ピタゴラスやプラトンを引用しながら,6という数の神秘性を強調しており,比例の観念と神秘主義,象徴主義との結びつきの深さをおもわせる。 中世には古代ギリシアの美的,功利的な比例観は薄れ,代わってキリスト教的な象徴主義が主流となり,三位一体を表す3や十二使徒を表す12などの数値を用いた単純な倍数系列が多く見られた。…
…築城技師としては,火薬兵器の発達に対応するため,攻撃目標となりやすい従来の高い城塞を廃し,低く厚い堡塁と敵軍への側面攻撃に有利な稜堡をもつ近代的軍事城塞の基本形式をつくり出した。多くの手稿,素描を残したが,なかでも,現在知られるウィトルウィウス《建築十書》の最初のイタリア語訳(1482ころ),《建築論》が注目される。初期ルネサンス三大建築書の最後に位置する《建築論》は,アルベルティの理念的傾向,フィラレーテの物語的傾向に対して,技術的,実際的傾向を示し,多様な築城形態の例示や都市平面の影響はペルッツィ,セルリオ,スカモッツィ,ドロルムらに及んだ。…
…追放された詩人は僻遠の地でなおも《悲歌》と《黒海からの手紙》を書いている。 この時代の重要な散文作家としては,すでにキケロの時代から著述を続けていた百科全書的学者ウァロ,142巻の膨大な《ローマ史》によってローマをたたえた愛国の歴史家リウィウス,および古代唯一の《建築論(建築十書)》の著者ウィトルウィウスなどが挙げられる。
[帝政前期(1~2世紀)]
この時代は,前1世紀の〈黄金時代〉に対して,〈白銀時代〉と呼ばれる。…
…
[建築理論]
ヘレニズムの影響は建築の設計理論全般にわたっている。アウグストゥス時代の建築家ウィトルウィウスの《建築十書》は当時のギリシア,すなわちヘレニズム時代の建築理論にもとづいて書かれたもので,多くのギリシア建築家の著作が引用されている。ヘレニズムの影響は大理石の切石積みや,ドリス式,イオニア式,コリント式などギリシア建築に用いられたオーダー(柱や柱の上にのる軒までの部材の形式と組合せ)の採用に最も明らかに見られる。…
※「ウィトルウィウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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