ウィーン美術史博物館(読み)うぃーんびじゅつしはくぶつかん(英語表記)Kunsthistorisches Museum Wien

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ウィーン美術史博物館
うぃーんびじゅつしはくぶつかん
Kunsthistorisches Museum, Wien

オーストリアのウィーンにある世界屈指の博物館。日本ではウィーン美術史美術館ともよばれる。ウィーン市の中央にあるマリア・テレジア広場に自然史博物館と向かい合って建ち、あたかも自然物と対照にある人工物としての美術を象徴するかのようである。ハプスブルク家640年の歴代の君主による収集品を収蔵。とりわけルネサンス以降19世紀に至るまでの絵画で名高く、それだけでも7000点以上を数える。その建物は、ハーゼナウアーKarl von Hasenauer (1833―94) とゼンパーによるウィーンの首都改造計画の一環として設計され、建設に20年を要した。王家のコレクションを収蔵するにふさわしく、内外ともに豪華な意匠が施されている。1891年に開館、正面玄関の上には時の皇帝フランツ・ヨーゼフによる「芸術と古代を記念するために」という銘文が刻まれている。古くは分散して保管され、その一部はすでに1792年から一般に公開されていたコレクションであるが、開館を機に統合された。
 美術史という名称が示すとおり、収蔵品は絵画をはじめ、エジプト、ギリシア、ローマなどの古代美術、中世以降の彫刻、工芸、古楽器、貨幣、王宮宝物、武器、車両と多岐にわたっている。そのコレクションの歴史は、マクシミリアン1世に始まるといってよい。デューラーやアルトドルファーと親交のあった彼は、肖像画を中心にした絵画のほか、武具などを収集した。大公フェルディナント2世Ferdinand von Tirol(1529―95)は1000点以上の細密肖像画や甲冑(かっちゅう)などを収集し、インスブルックのアンブラス城で系統だった整理・展示を行った。やがてそのコレクションのすべては皇帝ルードルフ2世に購入されることになる。また大公レオポルト・ウィルヘルムLeopold Wilhelm(1614―62)のような熱心なコレクターが存在したこと、ハプスブルク家がネーデルラントやスペインをも支配したことなどを反映し、フェルメールの『絵画芸術の寓意(画家のアトリエ)』やルーベンスの『聖イグナチウス・デ・ロヨラの奇蹟(きせき)』、ベラスケスによる『マルガリータ王女』など、ヨーロッパ各地域の巨匠のほとんどを網羅している。相対的にいって、イギリスとフランスの美術はやや乏しく、充実しているのは、アントネッロ・ダ・メッシーナの通称『サン・カッシアーノ祭壇画』の断片やラファエッロ・サンティの『牧場の聖母』に代表されるイタリア・ルネサンス、そしてロヒール・ファン・デル・ワイデンの『キリスト磔刑(たっけい)』の三幅対祭壇画、ハンス・メムリンクの『三幅対祭壇画』、デューラー、クラナハなど北方ルネサンスの作品である。なかでも大公エルンストErnst(1553―95)とルードルフ2世が形成したペーテル・ブリューゲル(父)のコレクションは、『バベルの塔』や『雪中の狩人』など残存する作品の約4分の1を集めたことで名高い。[保坂健二朗]
『『ウィーン美術史美術館展 ハプスブルク家収集の名画』(1984・毎日新聞社) ▽マンフレート・ライテ・ヤスパー他著、田辺徹・田辺清訳『ウィーン美術史博物館 SCALA/MISUZU美術館シリーズ5』(1991・みすず書房) ▽『ラミューズ14――世界の名画と美術館を楽しむ ウィーン美術史美術館』(1992・講談社) ▽奈良県立美術館編『ハプスブルク家の遺宝ウィーン美術史美術館名品展』(1995・奈良県) ▽『週刊世界の美術館9 ウィーン美術史美術館1』『週刊世界の美術館26 ウィーン美術史美術館2』(2000・講談社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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