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オイラート(瓦剌) オイラートOirāt

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オイラート(瓦剌)
オイラート
Oirāt

オイラットともいう。ヨーロッパではカルムイク,カルムックと呼ばれる。モンゴル系の言語を話す北アジアの遊牧民族の一つ。歴史に初めて登場したのは 13世紀初めであるが,当時は,エニセイ川上流のダルハト盆地のシシヒト川渓谷を本拠とし,シベリアの森林の狩猟民を支配していた。その王家がモンゴルのチンギス・ハンにくだってから,代々モンゴルの帝室と通婚した。 14世紀後半にモンゴルが衰退するとともに勢力を伸ばし,1388年北元のトクズ・テムル (脱古思帖木児) を滅ぼしてから実権を握り,マフムード,トガン,エセン (也先) の3代の間に北アジアに大帝国を建設した。 1454年エセン・ハンが殺されるとともに帝国は瓦解,16世紀後半にはアルタン (俺答) の征伐を受けて以来,外モンゴルのハルハ (哈爾哈) 部族に押されてシベリアに追出された。この頃のオイラートは昔の王家の直系のホイト,バートゥット,ナイマンの後裔と思われるジュンガル,ドルベット,ケレイトの後裔トルグート,チンギス・ハンの弟ジョチ・ハサルの子孫の所領ホショット,そのほかバルグ,ブリヤートなどから成っていた。 1623年ハルハのウバシ・ホンタイジの軍を破ってから勢力を盛返し,トルグートは 28~30年南ロシアに移住して今のボルガ・カルムックとなった。ホショットは 36~42年に青海,チベットを征服した。ジュンガルのガルダン (噶爾丹) が 76年ホショットのオチルトゥ・ハンを捕えるに及んでオイラートの覇権はホショットからジュンガルに移り,1757年清朝にアムルサナー (阿睦爾撒納) が滅ぼされるまで,ジュンガル王国は東トルキスタンを支配し,西トルキスタン諸国から貢税を取って繁栄した。

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