スペイン人歴史家。1514年にインディアスのダリエン地方へ渡って以来,イスパニオラ島サント・ドミンゴで没するまで,王室官吏として9回大西洋を横断。26年トレドで《インディアス自然史概略》を公刊。32年,王室よりインディアスの公式記録者(クロニスタ)に任命され,大著《インディアス自然一般史》(第1部,1535)を執筆した。スペイン人によるインディアス征服を正当化し,インディオの能力や文化を低く評価するオビエドの作品は,ラス・カサスの激しい攻撃を浴びたが,インディアスの地理,動植物に関する記述は綿密を極め,したがって博物学的作品として高い評価を受けている。また発見・征服の歴史を知るうえでも重要な資料である。
執筆者:染田 秀藤
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スペイン北部、アストゥリアス地方の都市。人口20万1154(2001)。カンタブリカ山脈北麓(ほくろく)、ナロン川流域の標高220メートルに位置する。炭田、鉄鉱山などの地下資源に恵まれ、鉄鋼をはじめ、弾薬や石炭などの化学工業を中心とする大工業都市。製品は北20キロメートルの外港ヒホンから積み出される。7世紀間にわたるムーア人に対する抵抗運動、すなわち国土回復戦争(レコンキスタ)の基地となった。810年から100年間はアストゥリアス公国の首都であった。ゴシック様式の大寺院をはじめ、多くの史跡がある。これらは1934年の鉱夫らの蜂起(ほうき)・コミューン樹立やスペイン内戦時の長い包囲戦(1936~37)によって焼失、破壊などの損害を受けたが、その後修復された。
[田辺 裕・滝沢由美子]
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…人口111万4115(1986)。中心都市はオビエド。元来は西部(現,アストゥリアス地方)と東部(現,サンタンデル県)から成り立っていたが,1823年に東部が旧カスティリャ地方に組み入れられ,現在にいたった。…
※「オビエド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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