北海道の北東に位置し、ユーラシア大陸、カムチャツカ、サハリン、千島列島などに囲まれた海域。日本海とは宗谷海峡で、太平洋とはカムチャツカと北海道を結ぶ列島で隔てられている。旧ソ連、ロシアはこの列島の海域を「太平洋への玄関口」として重視してきた。ロシア軍は、北方領土の択捉島と国後島の間にある国後水道など水深が深い地点を戦略原子力潜水艦の通り道にしているとみられ、他国艦船の航行に強い警戒感を示している。(共同)
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北西太平洋、カムチャツカ半島と千島列島によって太平洋から区別される縁海。英語名Sea of Okhotsk。総面積は152万8000平方キロメートルで、日本海の1.5倍の広さに相当する。深さは南部のほうが深く、水深3000メートル以上の千島海盆がある。これに対して、北部は浅く、大陸沿岸には大陸棚がよく発達しており、総面積の40%以上を大陸棚が占めている。宗谷海峡と間宮海峡で日本海に通じ、また間宮海峡北部でアムール川(黒竜江)が流入している。通常、10月から6月までが結氷期間で、海氷がみられる。名称は北西岸にあるロシアの町オホーツクに由来する。おもな港湾は、北岸にマガダン、宗谷海峡に面した樺太(からふと)(サハリン)に大泊(おおどまり)(コルサコフ)、アムール川河口にニコラエフスク・ナ・アムーレなどで、これらとウラジオストクなどを結ぶ航路が発達している。また、日本では、北海道の稚内(わっかない)、紋別(もんべつ)、網走(あばしり)などがオホーツク海に面する港となっている。
オホーツク海の探検は1733年のロシア北方大探検に始まり、19世紀には間宮林蔵(まみやりんぞう)とネベリスコイГ. И. Невельской/G. I. Nevel'skoyがそれぞれ間宮海峡を探検し、樺太が島であることを明らかにした。ソ連になってからはシュミットが広範な総合調査を行い、さらに第二次世界大戦後はソ連科学アカデミーのビチャージ号による海洋調査が1954年に行われた。未知の豊富な資源をもつことと相まって、領土問題や漁業問題など、日本とソ連、ソ連解体後はロシアとの間で課題の多い海域となっている。
[宇根 寛]
海流としては、日本海から入り北海道沿岸域を南東流する宗谷暖流と、北西部からサハリン東沖を南流する東カラフト海流(寒流)があるが、規模は小さく、中央部はオホーツク海固有の海水となっている。千島列島の北部の海峡を通って太平洋の水が流入し、大勢として左回りの環流を形づくる。一方、千島列島の中・南部の海峡や水道からオホーツク海の水が太平洋側に流出し、親潮(おやしお)の一部となる。冬は約80%が海氷に覆われ氷海となるが、春から初夏にかけて海氷が融(と)けて表層を低温で塩分の低い水が覆う。深さがほぼ50~100メートルの間の中層には、場所によっては零下1℃以下にもなる冷たい水が存在しているのが特徴で、これは中冷水とよばれている。
オホーツク海は栄養塩、プランクトン量の多い基礎生産力の高い海で、漁業生物の宝庫として知られている。サケ、マス、タラ、ホッケ、カレイ、ニシン、サンマ、イカ、カニ、エビ、ホタテガイ、コンブ、オットセイ、アザラシ、クジラなどが有名である。
また、オホーツク海の冷たい海は海氷、海霧、オホーツク海高気圧、梅雨、冷害などの現象に関連しており、気象学上でも注目すべき海である。
[赤川正臣]
『菊地慶一著『白いオホーツク――流氷の海の記録』(1973・創映出版)』▽『菊地慶一著『オホーツク流氷物語』(1987・共同文化社)』▽『青田昌秋編『オホーツク海と流氷』(1989・北方圏国際シンポジウム「オホーツク海と流氷」実行委員会)』▽『オホーツク流氷研究会編・刊『オホーツク海の流氷と人間生活とのかかわりに関する研究』(1989)』▽『青田昌秋著『白い海、凍る海――オホーツク海のふしぎ』(1993・東海大学出版会)』▽『菊地慶一著『ドキュメント流氷くる!』(2000・共同文化社)』▽『菊地慶一著『オホーツク氷岬紀行――流氷の海と58の灯台』(2001・共同文化社)』▽『西秋良宏・宇田川洋編『北の異界――古代オホーツクと氷民文化』(2002・東京大学総合研究博物館、東京大学出版会発売)』▽『前田潮著『オホーツクの考古学』(2002・同成社)』
シベリア東部、カムチャツカ半島、千島列島、北海道、サハリン(樺太)島によって囲まれた面積およそ一五二万八〇〇〇平方キロ、平均水深八三〇メートルの北太平洋の縁海。小規模な内湾を除けば結氷する海としては南限に位置し、漁業や流氷の到来を通じてわが国ともかかわりの深い海である。北部には面積の四〇パーセントを占める大陸棚が発達しているが、南部には千島列島沿いに水深三〇〇〇メートルを超す千島海盆が広がっている。オホーツク海という名称はシベリア大陸沿岸のオホーツク市郊外を流れるオホタという川名に由来する。すなわちロシアのコサックが一六三九年(寛永一六年)にこの海に到達した際、オホタ川の岸に砦を築き、この地をロシア名でオホーツクとよんで海獣猟や東方探検の基地としたことに始まる。オホーツク海とは当初オホーツク周辺の限られた海面をさし、カムチャツカ半島西岸から千島列島北方を含む広い海域はカムチャツカ海とよばれていたが(エゾとカムチャツカ図
オホーツク海には反時計回りの微弱な還流があると考えられているが、詳しいことはわかっていない。西側にはサハリン東岸を南流し、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
第2次大戦前の日本ではオコック海とも呼ばれた。カムチャツカ半島と千島列島によって太平洋と,サハリン(樺太)と北海道によって日本海と区切られる海域で,北太平洋の縁海の一つ。面積160万3000km2。南部には最大水深3521mの千島海盆があり,これより1000m以深の海域が中央部を北に広がる。一方,北部とサハリン東側は広い大陸棚となり,総面積の約半分を占める。
気候は冷涼なモンスーン気候で,夏には湿潤な南寄りの風が卓越,濃霧が発生しやすい。冬は発達した温帯低気圧の後面に吹く北西風が強く,寒気の流入に伴って暴風雪になることが多い。オホーツク海上での月平均気温は,1月が-25~-15℃,8月10~18℃,年間降水量は300~800mm。干満差は,北東端のペンジンスキー入江で最も大きく13mに達し,サハリン南東岸で最も小さい(0.8m)。千島列島の各島間の海峡の水深は2318mの北ウルップ水道が最も深い。太平洋の水は北部の海峡から入り,一部はオホーツク海を左回りにめぐって,中央部の海峡から流出する。大陸棚上の30m以浅の表層塩分は,夏季に河川水や流氷の融水で薄められ,32g/kg以下に低下する。上・下層間の大きな塩分差のため,冬季の対流混合は浅くにとどまり,海氷がつくられる。結氷は北西部で11月に始まり,2月に流氷域は最大となって千島列島沿いを除く大半を占め,一部は北海道に達し,太平洋岸の十勝沖に流出する。流氷はほぼ5月には消滅するが,北西部では6月まで残る。流氷には植物プランクトンによる着色がしばしば見られる。結氷海域の下層には塩分33.8g/kg,-1.7℃程度の重い水が堆積し,海盆部の中層へ広がる。夏季に海面水温は10~15℃に上昇するが,30~50m以深は-1.7~+1℃以下に保たれる。1000m深付近以下の層は年間を通し,太平洋から流入する2.5℃前後の水で満たされている。オホーツク海でつくられたこの寒冷な水は,千島列島の海峡で太平洋の水と混合し,親潮となって北海道,東北沿岸に至る。最大水深53mの宗谷海峡からは対馬暖流の末流にあたる高塩分な宗谷暖流が岸沿いに流入し,オホーツク冷水との境に表層冷水帯をつくり,千島列島南部の海峡から太平洋に流出する。流量は夏・秋に増大するが,冬季も流氷下を流れる。
大陸棚上の水産資源は,サケ,マス,ニシン,タラ,カニ等豊富な漁業資源のほか,哺乳類ではクジラ,オットセイ,アザラシなどがみられる。日本では大正~昭和初年にかけてソ連領の沿海と海岸で漁場と水産加工場を経営したことがあるが,現在日本漁船の操業は規制されている。北海道沿岸ではサケ増殖,ホタテ増養殖などの栽培漁業の効果が大であるが,タラ,スケトウダラ,カレイ,カニ,ツブ,ニシン,サンマなど漁船漁業による漁獲も大きい。
執筆者:大谷 清隆+渡辺 一夫
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