コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

カペー朝 カペーチョウ

5件 の用語解説(カペー朝の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

カペー‐ちょう〔‐テウ〕【カペー朝】

Capétiens》10世紀から14世紀初めにかけての、西フランク王国の王朝。987年、パリ伯ユーグ=カペーが、カロリング朝を継いで創始した。首都はパリ。歴代の王は教会と結んでしだいに王権を強め、国土を拡張した。1328年、後継者が絶えたため、バロア朝に交代した。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

カペー朝【カペーちょう】

フランスの王朝。カロリング朝末期,ノルマン人の侵入で王権が無力化し,987年諸侯はイル・ド・フランスユーグ・カペーを国王に推戴(すいたい)し,ローマ教皇もこれを承認して,カペー朝が開かれ,カペー家の後継者が絶えた1328年まで続いた。
→関連項目アンジュー[家]エドワード[3世]西フランク王国パリ百年戦争フランス

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

カペーちょう【カペー朝】

フランスの王朝。987年,ルイ5世の死によって西フランクにおけるカロリング家の血統が絶え,フランス公のロベール家からユーグ・カペーが選立されて王位についたのに始まる。以後シャルル4世がカペー家直系の男子相続人なしに死亡する1328年までフランスに君臨した王朝で,この王朝の誕生とともにフランス国家の歴史が始まった。
[成立と権力基盤]
 カペー家les Capétiensはその登極以前に,ライン地方から移ってきた北フランスの豪族ロベールル・フォールRobert le Fort(?‐866)を始祖とするロベール家の前史をもつ。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

カペーちょう【カペー朝】

中世フランスの王朝(987~1328)。カロリング朝の断絶後パリ伯ユーグ=カペー(Hugues Capet)が開いた。初めパリ周辺に限られた勢力にすぎなかったが、次第にフランスの統一に成功。広義には、傍系のバロア朝・ブルボン朝を含めていう。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カペー朝
かぺーちょう
Captiensフランス語

987年に王位についたユーグ・カペー以来、1328年に男子相続人なしに死亡したシャルル4世まで、フランスに君臨した王朝。この王朝の前身は北フランスの豪族ロベール・ル・フォールを始祖とし、ほぼ1世紀にわたって西フランク王位をカロリング家と争ったロベール家。カペー朝成立当時、フランスにおける国家権力は一貫して解体の方向をたどり、領邦やシャテルニー(城主支配領)が分立する封建化の過程が進行した。初期カペー家の領土は、パリ地方とオルレアン地方に局限されていたが、フランスの政治的枢軸を押さえていただけに、他の大諸侯に比べて地の利があった。また血統に由来する王権の正統性を主張できなかったので、もっぱら教会による聖別に正統性の証(あかし)を求め、諸侯の忠誠を確保しようと図った。しかし、この点では、歴代国王が男子に恵まれ、王位の世襲化に成功したことが評価される。
 カペー家の直轄支配領の増大と集中化が進むのは、ルイ6世とルイ7世のときで、新村の開発、市場の設定、都市化の促進がみられる。次のフィリップ2世の時代には、前代にプランタジネット家の領有に帰していた西フランスの諸地方(ノルマンディー、アンジュー、メーヌ、ポアトゥー)の奪回、アルビジョア十字軍による南フランスの王領化、大諸侯領の都市コミューヌへの王権の浸透などが注目される。封建制と王政とを一体化した「封建王政」の確立はルイ9世の治世で、地方行政における有給官僚(バイイやセネシャル)の組織が整い、最高法院や会計院が国王会議から分離、独立する。フィリップ4世の治世ともなると、前代の正義と平和の理想主義的な政治理念よりも、支配の客観化(王国基本法、国王評議会と三部会)の進展とともに、現実主義的政策が表面化する。ローマ教皇のアビニョン移住(1309)、テンプル騎士団の解散(1312)などは、そうした政策の現れである。[井上泰男]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のカペー朝の言及

【フランス】より

…【田辺 裕】
【歴史】
いまここでその歴史を扱おうとする〈フランス〉なる存在は,最初から一つにまとまった国であったのでもなければ,単一の文化を構成していたのでもない。フランスという名称がフランク族に由来し,領域名としては9世紀のカロリング朝の分割から生まれた西フランクFrancia occidentalisに発するとはいえ,カペー朝の国王がフランク人の王Roi des Francsからフランスの王Roi de Franceと称するようになったのは,13世紀初めのことにすぎなかった。〈フランス〉なるものは,その国家も社会も文化も,長い歴史を通じて,多種多様な要素の衝突,交錯,融合のなかから,徐々に形づくられてきたのであった。…

※「カペー朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

カペー朝の関連キーワードフランドル戦争フランソワ横様の死にフランスソワールブルボン王朝マンデスフランスシランクスルイーズルイ[17世]ペキネ

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone