1930年代から40年代,黄金時代のハリウッドにあってもっとも多産であり,かつあらゆるジャンルに卓越した職人的技量を発揮して名をはせた映画監督。ブダペスト生れ(ハンガリー名Kertesz Mihaly)。1912年ハンガリー映画で監督としてデビュー,ヨーロッパ時代にすでに50本以上の作品を監督したが,時代スペクタクル《イスラエルの月》を見たハリー・ワーナーに招かれ,26年にハリウッドへ。以来53年までワーナー撮影所を根城に活動し,とくに1930年代には年4本というペースで量産体制をささえた。61年の《コマンチェロ》を最後に,100本以上のハリウッド映画を監督した。アカデミー監督賞を受賞した《カサブランカ》(1943)が有名だが,エロール・フリン主演の〈チャンバラ活劇〉(《海賊ブラッド》1935,《ロビン・フッドの冒険》1938,等々)や冒険スペクタクル(《進め竜騎兵》1936,など),ジェームズ・キャグニー主演のギャング映画《汚れた顔の天使》(1938)やミュージカル《ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ》(1942),また歴史劇《女王エリザベス》(1939),〈フィルム・ノアール〉の名作とされる《深夜の銃声》(1945)など各ジャンルの秀作を残している。
執筆者:岡田 英美子+広岡 勉
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アメリカの発明家、飛行家、実業家。ニューヨーク州ハモンズポートに生まれる。1902年からオートバイを製作し、1905年、1907年には速度記録をつくった。1907年には飛行機用エンジン、ついで飛行機の設計製作にかかり、1908年1マイル(約1.6キロメートル)飛行に成功、翌1909年にはフランスのランス国際飛行大会で速度競技に優勝した。1911年には世界最初の実用水上機、翌1912年には最初の飛行艇の飛行に成功した。1919年、カーティス製の飛行艇NC-4は大西洋横断に成功した。
第一次世界大戦中イギリスから設計者を招いてジェニーの愛称で知られる複葉牽引(けんいん)式の軍用練習機を量産、戦後も長期にわたってアメリカで広く使われた。カーティスがライト兄弟の原理的特許を発展させた補助翼の特許をめぐってライト兄弟と長い間係争を続けたことは有名である。第一次世界大戦後のカーティス航空機会社(後のカーティス・ライト・コーポレーション)は陸海軍の支援を得て競速機を製作、軍用機の発達に貢献し、その活動は第二次世界大戦末まで継続した。
[佐貫亦男]
アメリカの発明家、事業家。コロンビア大学で土木工学を、ニューヨーク法律学校で法学を学び、その後8年間、弁理士として経験を積んだのち、電動機製造会社を設立。1896年、一つの羽根車に2列以上の可動羽根をもつ速度複式の衝動蒸気タービンを発明、3年後にはアメリカ最初のガスタービン特許を取得した。第二次世界大戦中は各国の海軍用タービンの設計を手がけるなど、カーティスタービンは船舶用タービンとして広く用いられた。1910年、アメリカ芸術科学アカデミーから、自然科学の分野において功績の顕著な研究者に贈られるランフォード賞を受けた。
[高橋智子]
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…とくに後者は,本質的な形式の変化もなく今日の大出力機に受け継がれている。衝動タービンについては,その後,1896年アメリカのカーティスCharles G.Curtis(1860‐1953)によって速度複式タービンが作られ,相前後して,97年にはフランスのラトーAuguste Rateau(1863‐1930)により,また,1903年にはスイスのツェリーHeinrich Zoelley(1862‐1937)によって,それぞれ独立に,蒸気の熱エネルギーを多数の段によって速度エネルギーに変換する形式の圧力複式衝動タービンが製作され,大出力化への道が開かれた。蒸気タービンはトルクはあまり大きくないが,高回転数とすることにより大きい出力を出せるという特徴をもっており,この特徴が発電機駆動用原動機としてうってつけのものであったため,その進歩はまさに電力使用の始まりとその需要の拡大と軌を一にしている。…
…とくに後者は,本質的な形式の変化もなく今日の大出力機に受け継がれている。衝動タービンについては,その後,1896年アメリカのカーティスCharles G.Curtis(1860‐1953)によって速度複式タービンが作られ,相前後して,97年にはフランスのラトーAuguste Rateau(1863‐1930)により,また,1903年にはスイスのツェリーHeinrich Zoelley(1862‐1937)によって,それぞれ独立に,蒸気の熱エネルギーを多数の段によって速度エネルギーに変換する形式の圧力複式衝動タービンが製作され,大出力化への道が開かれた。蒸気タービンはトルクはあまり大きくないが,高回転数とすることにより大きい出力を出せるという特徴をもっており,この特徴が発電機駆動用原動機としてうってつけのものであったため,その進歩はまさに電力使用の始まりとその需要の拡大と軌を一にしている。…
…また水上で横に倒れるのを防ぐため,翼端近くに補助フロート(小型の舟形のうき)をつけたものが多い。 飛行艇は1912年アメリカのカーティスGlenn Curtiss(1873‐1930)によって初めて作られ,第1次世界大戦から第2次大戦にかけては,各国の海軍や民間で,海上哨戒や海上航空輸送に盛んに使われた。これは当時は今のような長い滑走路をもつ飛行場がなかったため,積荷と長距離飛行に必要な多量の燃料を積んだ重い機体を出発させるには,長い滑走のできる水面が各地に得られる飛行艇が有利であったことと,飛行中にエンジン故障などで不時着する場合の安心感などが理由であった。…
…新世界に夢を求めた〈外国人〉の群れがアメリカ映画を育て上げたところに,アメリカ映画が世界でもっともポピュラーな存在になり得たその〈国際性〉の秘密の一つがあろう。さらに1920年代から30年代にかけて,ドイツからシュトロハイム,ムルナウ,スウェーデンからスティルレル,ハンガリーからカーティスといった監督たち,また女優としてはスウェーデンからグレタ・ガルボ,ドイツからポーラ・ネグリ,マルレーネ・ディートリヒ,チェコスロバキアからヘディ・ラマールといった人々がアメリカ映画に身を投じた。またナチス・ドイツから逃れてきたラング,サーク,シオドマーク,ワイルダーらの映画監督を受け入れ,そのほか,アメリカ映画音楽の基礎を築いたチェコ生れのE.V.コーンゴールド,オーストリア生れのM.スタイナー,俳優ではイギリス人のケーリー・グラント,フランス人のシャルル・ボアイエ,スウェーデン人のイングリッド・バーグマン等々,つねに〈外国人〉を輸入し〈アメリカ映画〉を補強してきたことがその事実を物語っている。…
…1943年製作のアメリカ映画。マイケル・カーティス監督作品。〈ハリウッド・メロドラマ〉の名作の1本であり,今日では映画史を超えて一種の神話的イメージを獲得したいわゆる〈カルトムービー〉の1本となっている。…
…長崎につづいては,北海道開拓使庁がその事業の一環として73年,東京農事試験場において,また76年,札幌養豚場において火腿(ハム)を試作している。1874年には,神奈川県鎌倉郡川上村(現,横浜市戸塚)においてイギリス人カーティスWilliam Curtisが加工に着手し,これが日本人に伝わり,その一人である斉藤満平が87年,創業の許可を得て正式にハム製造を開始した。これがいわゆる鎌倉ハムの起源となり,ハム製造の発祥として知られている。…
…タスマニアに生まれ,オーストラリアとイギリスの学校でたびかさなる放校処分をうけ,15歳のときから探検家を志してシドニーやニューギニアを転々とし,1933年,オーストラリアのセミ・ドキュメンタリー映画に出演したのがきっかけでイギリスに渡り,ワーナー・ブラザースのロンドン支社製作のB級ミステリー映画の主役を演じてから,35年にハリウッド入りした。マイケル・カーティス監督の《海賊ブラッド》(1935)にロバート・ドーナットに代わって起用されたのが成功し,〈ハンサムな活劇スター〉として人気を得る。つづいてカーティス監督の《進め竜騎兵》(1936),《ロビンフッドの冒険》(1938),《シー・ホーク》(1940)などで人気の頂点に達し,〈マネー・メーキング・スター〉のベストテンにも入り,その後もラオール・ウォルシュ監督の《壮烈第七騎兵隊》(1941),《鉄腕ジム》(1942)などで面目を保つが,スクリーンの外では〈ハリウッドのカサノバ〉と称されてスキャンダルのヒーローとなり,飲酒と薬物常用も災いして40年代の後半には衰退の道をたどる。…
※「カーティス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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