カーティス(その他表記)Michael Curtiz

デジタル大辞泉 「カーティス」の意味・読み・例文・類語

カーティス(Tony Curtis)

[1925~2010]米国の俳優。主に1950年代から1960年代にかけて、ハリウッドの大スターとして活躍した。代表作は「手錠のままの脱獄」「お熱いのがお好き」「スパルタカス」など。カーチス

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「カーティス」の意味・わかりやすい解説

カーティス
Michael Curtiz
生没年:1888-1962

1930年代から40年代,黄金時代のハリウッドにあってもっとも多産であり,かつあらゆるジャンルに卓越した職人的技量を発揮して名をはせた映画監督。ブダペスト生れ(ハンガリー名Kertesz Mihaly)。1912年ハンガリー映画で監督としてデビュー,ヨーロッパ時代にすでに50本以上の作品を監督したが,時代スペクタクル《イスラエルの月》を見たハリー・ワーナーに招かれ,26年にハリウッドへ。以来53年までワーナー撮影所を根城に活動し,とくに1930年代には年4本というペースで量産体制をささえた。61年の《コマンチェロ》を最後に,100本以上のハリウッド映画を監督した。アカデミー監督賞を受賞した《カサブランカ》(1943)が有名だが,エロール・フリン主演の〈チャンバラ活劇〉(《海賊ブラッド》1935,《ロビン・フッドの冒険》1938,等々)や冒険スペクタクル(《進め竜騎兵》1936,など),ジェームズ・キャグニー主演のギャング映画《汚れた顔の天使》(1938)やミュージカルヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ》(1942),また歴史劇《女王エリザベス》(1939),〈フィルム・ノアール〉の名作とされる《深夜の銃声》(1945)など各ジャンルの秀作を残している。
執筆者:


カーティス
Charles Goldon Curtis
生没年:1860-1953

アメリカの発明家。土木工学,法律学を学び,8年間特許弁理士を務めた後,カーティス電動機製造会社を設立し,電動機や扇風機を生産した。1896年,等蒸気圧式の速度複段式タービン(カーティスタービン)を開発,これは,固定羽根に可動羽根の列をつけ加え,蒸気速度を段階的に減少させて,回転羽根を通る蒸気圧を一定にした高効率の衝動タービンで,発電所用原動機,船舶用機関として普及した。ほかに2サイクル機関用のカーティス掃気システムの発明もある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カーティス」の意味・わかりやすい解説

カーティス
Curtiz, Michael

[生]1888.12.24. ハンガリー,ブダペスト
[没]1962.4.10. アメリカ合衆国カリフォルニア,ハリウッド
ハンガリー生まれのアメリカ合衆国の映画監督。本名 Mihály Kertész。エロール・フリンやダニー・トーマス,ドリス・デーといったスターを世に送り出した。17歳でサーカス団に参加したあと,ブダペストで演技を学んだ。ヨーロッパのいくつかの国で俳優や映画監督を務め,1926年にアメリカに渡った。1930年代にワーナー・ブラザースで 50近い作品を監督した。フリンが主演した冒険映画としては『海賊ブラッド』Captain Blood(1935)や『進め龍騎兵』The Charge of the Light Brigade(1936),『ロビンフッドの冒険』The Adventures of Robin Hood(1938),『シー・ホーク』The Sea Hawk(1940)がある。イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガートが主演した『カサブランカ』Casablanca(1942)で,アカデミー賞作品賞と監督賞を受賞した。後年の作品に,『ミルドレッド・ピアース』Mildred Pierce(1945),『ホワイト・クリスマス』White Christmas(1954),『剣と十字架』Francis of Assisi(1961)などがある。

カーティス
Curtiss, Glenn (Hammond)

[生]1878.5.21. ニューヨーク,ハモンズポート
[没]1930.7.23. ニューヨーク,バッファロー
アメリカ合衆国の航空開拓者の一人。 1909年『ゴールド・バグ』号で飛行に成功,1911年フロートをつけた水上機で離着水し,1912年には世界最初の飛行艇を開発した。こうした実積によってアメリカ海軍から艦載機の開発契約を受け,製品はイギリスやロシアにも輸出された。カーティス機のなかで最もよく知られているのは JN-4ジェニー複葉単発機で,90馬力のエンジンを搭載,6400機以上が製造され,第1次世界大戦中は練習機としてアメリカ,カナダ,ヨーロッパで広く使われた。戦後も巡業曲技飛行団やカナダのロッキー山脈越えの郵便輸送に用いられた。カーティスは第1次世界大戦中,ライト社からライト兄弟の特許侵害で訴えられたが,のちに和解するとともに合併し,カーティス・ライトとなった。

カーティス
Curtis, Charles Gordon

[生]1860.4.20. マサチューセッツ,ボストン
[没]1953.3.10. ニューヨーク,セントラルアイスリップ
発電所や舶用推進に幅広く使われる蒸気タービンを発明したアメリカ合衆国の発明家。特許弁護士としても 8年間活動した。1896年蒸気タービン(速度複式衝動タービン)の特許を取得。その原理は今日でも大型遠洋定期船や海軍艦艇などに用いられるほか,陸上用装置の特許権はゼネラル・エレクトリック GEに売却され,世界各地の発電施設で使用されている。1899年にはアメリカ初のガスタービンの特許を取得。トーマス・アルバ・エジソンと親交があり,ディーゼルエンジンの改良に関する特許も複数保有するほか,魚雷の推進装置の開発にも貢献した。

カーティス
Curtis, George Ticknor

[生]1812.11.28.
[没]1894.3.28.
アメリカの法律家。ドレッド・スコット事件 (→ドレッド・スコット判決 ) の原告側で活躍。主著"History of the Origin,Formation,and Adoption of the Constitution of the United States" (2巻,1854~58) 。

カーティス
Curtis, Cyrus Hermann Kotzschmar

[生]1850.6.18. メリーランド,ポートランド
[没]1933.6.7. ペンシルバニア,ウィンコート
アメリカの出版業者。少年時代から雑誌の出版に従事し,1879年フィラデルフィアで主婦向け雑誌『レディス・ホーム・ジャーナル』 The Ladies' Home Journalを創刊して大成功を収めた。そのほか買収や創刊で多くの新聞雑誌を発行した。

カーティス
Curtis, George William

[生]1824
[没]1892
アメリカの編集者,作家。ロードアイランド出身。軽妙なタッチの旅行記『ハウアジのナイル紀行』 Nile Notes of a Howadji (1851) ,小説的随筆集『プルーと僕』 Prue and I (56) などで記憶されている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カーティス」の意味・わかりやすい解説

カーティス(Glenn Hammond Curtiss)
かーてぃす
Glenn Hammond Curtiss
(1878―1930)

アメリカの発明家、飛行家、実業家。ニューヨーク州ハモンズポートに生まれる。1902年からオートバイを製作し、1905年、1907年には速度記録をつくった。1907年には飛行機用エンジン、ついで飛行機の設計製作にかかり、1908年1マイル(約1.6キロメートル)飛行に成功、翌1909年にはフランスのランス国際飛行大会で速度競技に優勝した。1911年には世界最初の実用水上機、翌1912年には最初の飛行艇の飛行に成功した。1919年、カーティス製の飛行艇NC-4は大西洋横断に成功した。

 第一次世界大戦中イギリスから設計者を招いてジェニーの愛称で知られる複葉牽引(けんいん)式の軍用練習機を量産、戦後も長期にわたってアメリカで広く使われた。カーティスがライト兄弟の原理的特許を発展させた補助翼の特許をめぐってライト兄弟と長い間係争を続けたことは有名である。第一次世界大戦後のカーティス航空機会社(後のカーティス・ライト・コーポレーション)は陸海軍の支援を得て競速機を製作、軍用機の発達に貢献し、その活動は第二次世界大戦末まで継続した。

[佐貫亦男]



カーティス(Charles Gordon Curtis)
かーてぃす
Charles Gordon Curtis
(1860―1953)

アメリカの発明家、事業家。コロンビア大学で土木工学を、ニューヨーク法律学校で法学を学び、その後8年間、弁理士として経験を積んだのち、電動機製造会社を設立。1896年、一つの羽根車に2列以上の可動羽根をもつ速度複式の衝動蒸気タービンを発明、3年後にはアメリカ最初のガスタービン特許を取得した。第二次世界大戦中は各国の海軍用タービンの設計を手がけるなど、カーティスタービンは船舶用タービンとして広く用いられた。1910年、アメリカ芸術科学アカデミーから、自然科学の分野において功績の顕著な研究者に贈られるランフォード賞を受けた。

[高橋智子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「カーティス」の意味・わかりやすい解説

カーティス

アメリカの映画俳優。ニューヨーク市ブロンクスのハンガリー系ユダヤ移民の家庭に生まれる。1948年,映画デビュー。二枚目スターとして人気を博すが,《お熱いのがお好き》(59年,ビリー・ワイルダー監督)のコミカルな役柄から《成功の甘き香り》(57年,アレクサンダー・マッケンドリク監督)《手錠のままの脱獄》(58年,スタンリー・クレマー監督)などのシリアスな役柄まで幅広くこなす演技力もあった。

カーティス

米国の発明家。コロンビア大学に学び,弁理士をしたのち電動機会社を設立,電動機や扇風機を生産。1896年高効率の衝動蒸気タービンの特許を取得,タービン製造会社を設立して,発電所用原動機,艦船用タービンの改良に貢献した。魚雷の推進法なども開発している。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のカーティスの言及

【蒸気タービン】より

…とくに後者は,本質的な形式の変化もなく今日の大出力機に受け継がれている。衝動タービンについては,その後,1896年アメリカのカーティスCharles G.Curtis(1860‐1953)によって速度複式タービンが作られ,相前後して,97年にはフランスのラトーAuguste Rateau(1863‐1930)により,また,1903年にはスイスのツェリーHeinrich Zoelley(1862‐1937)によって,それぞれ独立に,蒸気の熱エネルギーを多数の段によって速度エネルギーに変換する形式の圧力複式衝動タービンが製作され,大出力化への道が開かれた。蒸気タービンはトルクはあまり大きくないが,高回転数とすることにより大きい出力を出せるという特徴をもっており,この特徴が発電機駆動用原動機としてうってつけのものであったため,その進歩はまさに電力使用の始まりとその需要の拡大と軌を一にしている。…

【蒸気タービン】より

…とくに後者は,本質的な形式の変化もなく今日の大出力機に受け継がれている。衝動タービンについては,その後,1896年アメリカのカーティスCharles G.Curtis(1860‐1953)によって速度複式タービンが作られ,相前後して,97年にはフランスのラトーAuguste Rateau(1863‐1930)により,また,1903年にはスイスのツェリーHeinrich Zoelley(1862‐1937)によって,それぞれ独立に,蒸気の熱エネルギーを多数の段によって速度エネルギーに変換する形式の圧力複式衝動タービンが製作され,大出力化への道が開かれた。蒸気タービンはトルクはあまり大きくないが,高回転数とすることにより大きい出力を出せるという特徴をもっており,この特徴が発電機駆動用原動機としてうってつけのものであったため,その進歩はまさに電力使用の始まりとその需要の拡大と軌を一にしている。…

【飛行艇】より

…また水上で横に倒れるのを防ぐため,翼端近くに補助フロート(小型の舟形のうき)をつけたものが多い。 飛行艇は1912年アメリカのカーティスGlenn Curtiss(1873‐1930)によって初めて作られ,第1次世界大戦から第2次大戦にかけては,各国の海軍や民間で,海上哨戒や海上航空輸送に盛んに使われた。これは当時は今のような長い滑走路をもつ飛行場がなかったため,積荷と長距離飛行に必要な多量の燃料を積んだ重い機体を出発させるには,長い滑走のできる水面が各地に得られる飛行艇が有利であったことと,飛行中にエンジン故障などで不時着する場合の安心感などが理由であった。…

【アメリカ映画】より

…新世界に夢を求めた〈外国人〉の群れがアメリカ映画を育て上げたところに,アメリカ映画が世界でもっともポピュラーな存在になり得たその〈国際性〉の秘密の一つがあろう。さらに1920年代から30年代にかけて,ドイツからシュトロハイム,ムルナウ,スウェーデンからスティルレル,ハンガリーからカーティスといった監督たち,また女優としてはスウェーデンからグレタ・ガルボ,ドイツからポーラ・ネグリ,マルレーネ・ディートリヒ,チェコスロバキアからヘディ・ラマールといった人々がアメリカ映画に身を投じた。またナチス・ドイツから逃れてきたラング,サーク,シオドマーク,ワイルダーらの映画監督を受け入れ,そのほか,アメリカ映画音楽の基礎を築いたチェコ生れのE.V.コーンゴールド,オーストリア生れのM.スタイナー,俳優ではイギリス人のケーリー・グラント,フランス人のシャルル・ボアイエ,スウェーデン人のイングリッド・バーグマン等々,つねに〈外国人〉を輸入し〈アメリカ映画〉を補強してきたことがその事実を物語っている。…

【カサブランカ】より

…1943年製作のアメリカ映画。マイケル・カーティス監督作品。〈ハリウッド・メロドラマ〉の名作の1本であり,今日では映画史を超えて一種の神話的イメージを獲得したいわゆる〈カルトムービー〉の1本となっている。…

【ハム】より

…長崎につづいては,北海道開拓使庁がその事業の一環として73年,東京農事試験場において,また76年,札幌養豚場において火腿(ハム)を試作している。1874年には,神奈川県鎌倉郡川上村(現,横浜市戸塚)においてイギリス人カーティスWilliam Curtisが加工に着手し,これが日本人に伝わり,その一人である斉藤満平が87年,創業の許可を得て正式にハム製造を開始した。これがいわゆる鎌倉ハムの起源となり,ハム製造の発祥として知られている。…

【フリン】より

…タスマニアに生まれ,オーストラリアとイギリスの学校でたびかさなる放校処分をうけ,15歳のときから探検家を志してシドニーやニューギニアを転々とし,1933年,オーストラリアのセミ・ドキュメンタリー映画に出演したのがきっかけでイギリスに渡り,ワーナー・ブラザースのロンドン支社製作のB級ミステリー映画の主役を演じてから,35年にハリウッド入りした。マイケル・カーティス監督の《海賊ブラッド》(1935)にロバート・ドーナットに代わって起用されたのが成功し,〈ハンサムな活劇スター〉として人気を得る。つづいてカーティス監督の《進め竜騎兵》(1936),《ロビンフッドの冒険》(1938),《シー・ホーク》(1940)などで人気の頂点に達し,〈マネー・メーキング・スター〉のベストテンにも入り,その後もラオール・ウォルシュ監督の《壮烈第七騎兵隊》(1941),《鉄腕ジム》(1942)などで面目を保つが,スクリーンの外では〈ハリウッドのカサノバ〉と称されてスキャンダルのヒーローとなり,飲酒と薬物常用も災いして40年代の後半には衰退の道をたどる。…

※「カーティス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android