クレメンス(英語表記)Clemens, Flavius

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クレメンス
Clemens, Flavius

[生]?
[没]96
古代ローマの政治家。ウェスパシアヌス帝の血縁。妻はドミチアヌス帝の姪。 95年執政官 (コンスル ) 。ドミチアヌスによって妻とともに無神論のゆえに処刑された。ユダヤ教またはキリスト教を信じていたためといわれるが,実際はその財産がねらわれたらしい。

クレメンス

トウェーン」のページをご覧ください。

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デジタル大辞泉の解説

クレメンス(Clemens)

ローマ教皇17人の名。
(5世)[1264~1314]在位1305~1314。フランス王フィリップ4世に屈服し、教皇庁をアビニョンに移した。アビニョン捕囚の最初の教皇。
(7世)[1478~1534]在位1523~1534。メディチ家の出身。神聖ローマ皇帝カール5世に対抗し、ローマを奪われたが、のち和解。イギリス王ヘンリー8世の離婚に反対し、イギリス教会のローマからの分離を招いた。イタリア‐ルネサンス運動を保護、文芸を奨励した。

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大辞林 第三版の解説

クレメンス【Clemens】

(五世)(1264~1314) ローマ教皇(在位1305~1314)。フィリップ四世に依存し、教皇庁をアビニョンに移転、アビニョン捕囚の始まりとなる。
(七世)(1478~1534) ローマ教皇(在位1523~1534)。離婚問題でイギリス王ヘンリー八世と対立、イギリス国教会の分離を招くなど教皇の威信を失墜させ、宗教改革の誘因をつくる。
150頃~215頃) アレクサンドリアの教父。広いギリシャ的教養を生かし、知識人に向けキリスト教を弁論した。ロゴスキリストを教育者に見たて、キリスト教の教えを真のグノーシスと主張した。著「ギリシャ人への勧告」「教育者」など。
30頃~101頃) ローマ司教。ペテロとパウロがローマで殉教したことや一世紀末のキリスト教会の状況を伝える「クレメンス第一の手紙」を残す。

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精選版 日本国語大辞典の解説

クレメンス

(Clemens) ギリシアの神学者。師パンタイノスのあとを継ぎ、アレクサンドリア教校を主宰。信仰を基礎とする知識(グノーシス)の成立を説く。主著「ギリシア人への勧告」「教育者」「ストロマタ(雑録)」。(一五〇頃‐二一五頃

クレメンス

(Clemens) ローマ教皇の名の一つ。
[一] (五世) 第一九六代ローマ教皇(在位一三〇五‐一四)。フランス王フィリップ四世の圧力によって、居をアビニョンに移し、アビニョン捕囚の最初の教皇となる。(一二六四‐一三一四
[二] (七世) 第二二二代ローマ教皇(在位一五二三‐三四)。メディチ家出身。皇帝カール五世と抗争し、ローマを占領略奪される。のち、イギリス王ヘンリー八世とも争い、英国教会をローマ教会から分離させた。(一四七八‐一五三四
[三] (一一世) 第二四六代ローマ教皇(在位一七〇〇‐二一)。スペイン継承戦争に介入して、失敗。フランスのジャンセニスムを抑圧した。(一六四九‐一七二一
[四] (一四世) 第二五二代ローマ教皇(在位一七六九━七四)。フランスの圧力によって、イエズス会を禁止した。(一七〇五‐七四

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