グーツヘルシャフト
Gutsherrschaft
16世紀から19世紀初頭までエルベ川以東のドイツで支配的な領主制であり,同様なタイプは広く東ヨーロッパ地域においても認められる。F.エンゲルスはこれを再版農奴制die zweite Leibeigenschaftと表現し,日本では農場領主制と訳されることもある。この領主制下では農民はラスベジッツLassbesitzというきわめて劣悪な土地保有権のみをもち,領主に人格的に隷属し所領に緊縛されている農奴あるいは世襲隷民Erbuntertanであった。領主たるグーツヘルは土地領主Grundherrとしての権限と同時に裁判領主Gerichtsherrとしての権限も集中しており,農民に過酷な賦役労働を課して自己の直営農場を経営し,穀物などの農産物を西ヨーロッパなどの市場に輸出していた。
グーツヘルシャフトの歴史的起源については,エルベ川以東のドイツに固有な内部要因とともに国際的契機が指摘されなければならない。この地域は,12,13世紀の東方植民によって,それまでスラブ系種族の居住していた地域にドイツ人社会が建設されたところである。植民は農奴解放後の西部ドイツ社会を模範として実施され,農民は比較的恵まれた状態にあったが,農民誘致や村落建設にあたった植民請負人(ロカトール)への免租地の授与や軍役奉仕に対する騎士への封与地の授与によって,村落内に小領主(村落支配者層)が保有する多数の直営地が,しばしば下級裁判権と結びついて形成されたことが注目される。さらに中世末の封建制危機の時代に,領主層が荒廃した農民の土地から多数の小規模な分農場Vorwerkeを創設する傾向や,領邦君主から自己所領内の排他的裁判権を獲得する傾向が認められる。しかし,グーツヘルシャフトは,地理上の発見後の国際的商業の急速な拡大の中で,初めて本格的に形成される。16世紀に農産物需要が西ヨーロッパ市場で増加し農産物価格が上昇すると,領主層による穀物輸出が活発化した。領主は,裁判領主としての強力な地位を利用して賦役労働を強化するとともに,農民の土地保有権を劣悪化し自己の直営農場を拡大・整備するために,農民追放Bauernlegen(農地からの追いたて)を行った。三十年戦争(1618-48)の時期には,グーツヘルシャフトは,エルベ川以東の地域で支配的になった。
バルト海沿岸のメクレンブルクやフォア・ポンメルンでは,グーツヘル層は領邦内で強力であり,その後も農民追放を実施していったが,エルベ川以東の最大の領邦プロイセン王国では,領邦君主は,租税や兵役を確保するため農民追放を抑制する政策,すなわち農民保護政策を強力に実施した。ここでは,18世紀の最後の三分の一期には,賦役の金納化,日雇層の増加など,グーツヘルシャフトの解体傾向が明瞭となり,さらにナポレオン軍のドイツ占領という事態のもとで,この領主制は上からの体系的な解体がすすめられた。プロイセン改革(1807-22)のなかで実施された農民解放は,農民の一部には土地での補償によって土地所有権を与えたが,他の部分は切り捨てて農村労働者に転化した。またグーツヘルを,補償によって拡大した土地を雇傭労働によって経営する大農場主に転化する政策をとった。こうしてドイツ東部は,農民的土地保有のすすんだ西部に対して,第2次世界大戦終了まで,大農場と大土地所有の支配する地帯となったのであり,通例ユンカーと呼ばれる大農場主の保守的反動的性格は,ドイツ近代史に大きな影響を与えた。
執筆者:藤瀬 浩司
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「グーツヘルシャフト」の意味・わかりやすい解説
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グーツヘルシャフト
ぐーつへるしゃふと
Gutsherrschaft ドイツ語
15、16世紀以降エルベ川以東の東部ドイツに発達した領主制の特殊形態。広大な領主農場の存在と領主(グーツヘル)によるその直接経営、村落農民に対する領主の排他的支配を特徴とする。領主は自己の農場を農民の賦役労働によって経営し、市場向けの農業生産を行ったが、農民に対する領主の支配はきわめて強固かつ封建的で、農民は土地を与えられてはいたが領主の許可なしには土地を離れられず、職業選択や結婚の自由もなく、またその子女は僕婢(ぼくひ)として領主のもとで働く義務を負っていた。反面、領主には農民を保護する義務があったが、世襲的に領主に隷属する農民は、その土地保有権にも十分な保障がなく、つねに領主による土地収奪の危険にさらされていた。このような領主―農民関係は、土地領主権のみならず、他のさまざまの支配=保護権(裁判権、警察権、また村長任命権や教会保護権)を領主が一手に掌握したことにより実現され、かつ維持されたものであり、したがってグーツヘルシャフトは、それ自体小規模ながら「国家内の国家」ともいうべき完結した支配領域を形づくっていた。18世紀以降、国家の農民保護政策が領主の支配に制限を加え、また農業労働者による資本主義的農業経営が広まるにつれて、旧来の領主―農民関係は変質を迫られる。そして19世紀の農民解放立法によって、グーツヘルシャフトは解体の過程に入るのである。
[坂井榮八郎]
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グーツヘルシャフト
Gutsherrschaft
農場領主制と訳される。 15~16世紀以降,典型的にはエルベ川以東のドイツに成立した土地所有の形態。領主が広大な直営地 Gutを所有し,領民である農民の賦役労働によって経営しつつ,農民のうえに強い支配を確立する。その特色は領主が市場向けの穀物生産を行い,商業利潤の獲得を目指す点にある。農民の領主に対する隷属関係は,土地緊縛や,農民がその子弟を下僕として領主に差出す義務,その他を内容としていた。 18世紀以来賃金農業労働者にも用いられ,19世紀初頭プロシア改革により,農奴制に立脚する農業経営としてのグーツヘルシャフトは消滅するが,農場主たる貴族 (ユンカー) の社会的,政治的な特権はその後も長く維持された。
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グーツヘルシャフト
Gutsherrschaft
プロイセン王国の東部諸州などエルベ川以東地域(オストエルベ)で典型的に発展した前近代的・貴族的な領地支配,またそれにもとづく農業経営。15世紀頃からの領主反動を通じて形成されたもので,穀物販売者たる領主が広大な直営地を所有し,これを周辺の土地保有農民の賦役によって経営しつつ,農民のうえに強度の人身的・家産制的支配を行う点を特徴とする。シュタイン‐ハルデンベルクの改革で原理的に廃棄された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
グーツヘルシャフト
Gutsherrschaft (ドイツ)
近世初期のプロイセンを中心に形成された農業土地制度または領主的大農場経営
12〜13世紀に東方植民によりエルベ川以東に移住した農民たちは,当初自由だったが,15〜16世紀に領主支配が強化された。領主は直営地を拡大し,農民の賦役 (ふえき) によってこれを経営し,穀物の生産を増大させた。農民は領主への隷属関係を強められ,農奴制が解体しつつあった西欧とは逆に,農奴となっていった。いっぽう,領主は大土地所有者となり,ハンザ同盟の諸都市へ穀物を供給して商業利潤を得た。この制度は1807年の農民解放により解体して,ユンカーの経営に移行した。
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世界大百科事典(旧版)内のグーツヘルシャフトの言及
【東方植民】より
…東部では領主支配権力は西部ほど錯綜していなかったから,比較的容易に近代のドイツの政治を先導することになる大領国が形成された。その過程で植民期に農民に与えられた特権が急速に狭められて,領主は農民の賦役労働による直営農場経営([グーツヘルシャフト])を発展させていった。こうした領域支配の確立によって,東部諸領域は西部から農民を誘引する魅力を失い,14世紀には東ドイツ植民運動は実質的に停滞せざるをえなくなっていった。…
【ブランデンブルク】より
…ヨハンはさらに領土を広げる一方,国内ではフリードリヒ2世の貴族優遇政策を継承し,都市の地位をいっそう低下せしめた。
[ユンカーの台頭]
こうして都市が経済的にも政治的にも没落する反面,[ユンカー]と呼ばれる地方貴族の勢力がめざましく台頭し,16世紀には所領の農民から土地を収奪して農奴制的な直営地経営([グーツヘルシャフト])を発展させた。ユンカーは辺境伯の財政難に乗じて,領主裁判権や免税権など大きな特権を獲得し,領邦議会でも領邦行政でも力をふるうようになった。…
【プロイセン】より
…ようやく〈大選帝侯〉[フリードリヒ・ウィルヘルム](在位1640‐88)のとき,スウェーデン・ポーランド間の戦争(1655‐60)に乗じて,ブランデンブルクはポーランドからプロイセン公国における完全な主権を獲得し(1657),1660年のオリバOliva和約でこの主権はスウェーデン・ポーランド両国により承認された。 プロイセン公国でも,ブランデンブルクにおけると同様,16世紀以来[ユンカー](地方貴族)の農奴制的な直営地経営([グーツヘルシャフト])が発展していた。しかし,ここではケーニヒスベルクをはじめとする自治都市の勢力も強く,ユンカーと並んで身分制国家の社会的基盤を形成する。…
【メクレンブルク】より
…その後,この地域も他のエルベ川以東のドイツ地域と同様,東部ドイツ植民によって多数のドイツ人が移住し,ドイツ人の都市や村落が建設された。 16世紀に入るとこの地域には,独特な領主制である[グーツヘルシャフト]が形成される。すなわち,領主層は農民を農奴化し,賦役労働を課して大農場を経営して,拡大する西ヨーロッパ市場へ穀物を輸出した。…
※「グーツヘルシャフト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」