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コーシー コーシー Cauchy, Augustin Louis, Baron

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コーシー
コーシー
Cauchy, Augustin Louis, Baron

[生]1789.8.21. パリ
[没]1857.5.23. セーヌ,ソー
フランスの数学者。エコール・ポリテクニク (1805~07) ,土木学校 (07~10) に学んだのち,数年間技師として働く。 1813年病気にかかったとき,父の友人 J.ラグランジュ,P.ラプラスのすすめで数学者になる決心をする。

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デジタル大辞泉の解説

コーシー(Augustin Louis Cauchy)

[1789~1857]フランスの数学者。多面体弾性波応力の理論を確立し、特に微積分の基礎および微分方程式の分野で貢献。著「解析学講義」「微積分法」など。

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百科事典マイペディアの解説

コーシー

フランスの数学者。エコール・ポリテクニクを出て技術将校となったが,数学にもどり1815年エコール・ポリテクニク教授。王党を支持し1830年の七月革命で亡命,1838年帰国,1848年パリ大学教授。
→関連項目関数論

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世界大百科事典 第2版の解説

コーシー【Augustin‐Louis Cauchy】

1789‐1857
フランスの数学者。パリに生まれ,1805年にエコール・ポリテクニクに入学,07年にエコール・ポン・ゼ・ショセ(土木工学校)に入学,10年卒業して土木技師となる。シェルブール要塞の構築に参加したが,まもなくこの職場を捨ててパリへ帰り,エコール・ポリテクニク,パリ大学,コレージュ・ド・フランスの教授を順次に歴任。30年7月の革命で王位についたルイ・フィリップへの忠誠を拒み,イタリアトリノへ亡命した。その後,前国王シャルル10世の王子の教育係としてプラハへ移る。

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大辞林 第三版の解説

コーシー【Augustin Louis Cauchy】

1789~1857) フランスの数学者。無限級数の収束に関する「コーシーの条件」や複素関数に関する「コーシーの基本定理」などのほか、微分方程式論にも多くの研究がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

コーシー
こーしー
Augustin-Louis Cauchy
(1789―1857)

フランスの数学者。大革命が勃発(ぼっぱつ)して間のない8月21日、政府の役人の子としてパリに生まれた。1804年にパリのリセ(中等教育機関)に入学し、同年のバカロレア(大学入学資格試験)に合格し、翌1805年16歳でエコール・ポリテクニク(理工科大学校)に入学した。1807年に土木工学校に入学し、1810年に卒業して土木技師となり、シェルブール要塞(ようさい)の構築に参加した。激しい労働のなかで余暇をみつけては数学を勉強し、正多面体は面数が4、6、8、12、20の5種類以外には存在しないことを完全に証明した論文と、凸多面体の面、稜(りょう)、頂点の数をそれぞれF、E、VとするときF+V-E=2が成り立つという「オイラーの定理」を拡張した論文をまとめ、この二つの論文を1811年にパリ科学アカデミーへ提出した。これを審査したルジャンドルに高く評価され、数学の道へ進むよう勧誘された。たまたま要塞構築の中止がうわさされたのを機に、パリへ帰ったコーシーは数学に専念し、次々と論文を発表、1816年にはエコール・ポリテクニクの教授に迎えられるとともに、わずか27歳でパリ科学アカデミー会員にも選ばれた。
 1830年の七月革命でシャルル10世が追放され、ルイ・フィリップが王位についたが、新政府への忠誠を誓うことを拒んだコーシーは、イタリアのトリノ大学に新設された「数理物理学」講座の教授に迎えられ、フランスを離れた。1833年から5年間、シャルル10世の王子の教育のためにプラハに滞在した。1838年パリに帰ったが、公職につくことを許されなかった。1852年ナポレオン3世が王位につくと、学問は政治とは関係がないという立場がとられ、コーシーも新政府への忠誠を誓うことなく、公職に復帰することを許されたが、すでに老境にあったコーシーは、学界に復帰してまもなく1857年5月25日にパリ郊外で永眠した。
 コーシーの業績の大部分は、解析学の領域に属し、解析学の基礎を強固にするものばかりであり、20世紀への大きな遺産となっているものも少なくない。その業績を大別すると、実変数の場合と複素変数の場合の二つである。しかし、いずれの場合にも不完全な点があり、後世の者がこの不備を修正するために、新しい概念を導入して、一段と飛躍した解析学を建設したのである。そのことを考慮に入れると、コーシーが自己の解析学を集録した『解析学講義』(1821)は、後世への遺産となるべきものを数多く伝えている。この名著には出ていないが、偏微分方程式の「初期値問題」の研究がある。コーシー自身が解決できなかったものを、フランスの数学者アダマールが類型的に整理して『コーシーの問題』という名で公刊し、この問題の解決に資している。[小堀 憲]

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世界大百科事典内のコーシーの言及

【関数論】より

…L.オイラーは公式eiθ=cosθ+isinθを導いたり,複素数の対数についてその多価性を発見したりしている。また,オイラーやA.C.クレーローは,流体力学を論ずるのに複素線積分を用いて,今日,コーシー=リーマン方程式と呼ばれる関係式を導いている。けれども,このころは,実関数に関する二つの式を複素関数を用いて一つの式で表すといった便宜的なものにすぎなかった。…

【実関数論】より

…微積分学およびそこから発展して実変数の関数について論ずる解析学の主要な分野の一つである。17世紀後半にI.ニュートン,G.W.F.ライプニッツによって発見された微分積分法は,19世紀前半に至ってA.L.コーシーによって一応の体系が整えられた。すなわち,彼は極限の概念を定式化することにより解析学の基礎を築いた。…

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