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サモリ・トゥーレ サモリ・トゥーレSamory Touré

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サモリ・トゥーレ
サモリ・トゥーレ
Samory Touré

[生]1830頃 上ギニア,サランコ近郊
[没]1900.6.2. フランス領コンゴガボン
19世紀後半に西アフリカに強大な王国を築き,フランス植民地主義と闘ったイスラム教改革者,軍事指導者。マンデ族(→マンデ諸族)に属した。1868年に宗教的指導者と称し,武装集団を率いてギニアのカンカン地方に強力な部族国家を築いた。

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百科事典マイペディアの解説

サモリ・トゥーレ

19世紀末,西アフリカ内陸部にイスラム国家サモリ帝国呼ばれる)を建設し,反仏武力闘争を展開した国家指導者。マリンケ族のイスラム商人ジュラと呼ばれる)の息子として現在のギニア南東部のコンヤに生まれた。
→関連項目ギニア(国)セネガル[川]トゥーレ

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

サモリ・トゥーレ
さもりとぅーれ
Samori Tour
(1830?―1900)

19世紀末、群雄割拠の西アフリカ内陸部に広大なサモリ帝国を建設し、フランスの植民地侵略に執拗(しつよう)な抵抗を続けた植民地化時代初期の民族的英雄。1830年ごろ、西アフリカの内陸サバンナ、今日のギニア北西部のコニヤン地方に、マリンケ人農民の息子として生まれる。当時、西アフリカ内陸部は小国群に分裂し、それらの間で戦乱が絶え間なく続いていた。若いころ、行商人として活動していたが、自分の母が戦乱で敵軍の捕虜として捕らえられたことを契機に武士団に加わった。天才的戦略家であった彼は、たちまち頭角を現し、周辺の武将を次々に制圧し、版図を拡大していった。80年代の最盛期にはサモリ帝国は3万5000人の兵力を擁し、19万平方キロメートルに及ぶ領土と100万人の住民を支配するまでに拡大した。86年、彼は自らにイスラムの称号アルマミを冠し、イスラムに基づく神権政治を行うことを宣言した。このころ、この地域に侵入してきたフランス植民地軍と一時的には和平が成立した時期もあったが、結局92年、首都ビザンドゥグはフランス軍に占領された。東方に敗走した彼はそこで帝国を再建し、フランス軍に抵抗を続けた。しかし98年ついに逮捕され、サモリ帝国は完全に崩壊し、1900年流刑の地ガボンで病死した。[原口武彦]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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