オーストリアの物理学者。波動力学の建設者であり、1933年ディラックとともに「新しい形式の原子理論の発見」によりノーベル物理学賞を受賞。ウィーンに生まれる。少年時代から多方面に興味と才能を示し、ギムナジウムでは自然科学の課目のほか、古典語文法の厳密さ、ドイツ詩の美を好んだ。
1906年ウィーン大学に入学、物理学を専攻するが、ボルツマンの後任の物理学教授ハーゼンエールFriedrich Hasenöhrl(1874―1915)に強い影響を受け、彼を通じてボルツマンにも傾倒した。「ボルツマンの考えた道こそ科学における私の初恋といってもよい」と後年語っている。この時期、連続体の固有値問題の研究を行い、これが後の業績の基礎となった。第一次世界大戦では軍務に服した。1920年イエナ大学に行き、ついでシュトゥットガルト、ブレスラウの大学を経て、1921年チューリヒ大学の数理物理学教授となり、6年間在職。同僚にはワイルやデバイらがいた。「この時期こそ私にとってもっとも実り多く、喜びに満ちた時代」と回想している。このころ彼の研究は、固体比熱の問題、熱力学の諸問題からしだいに原子スペクトルの研究に移行していった。またヘルムホルツらの影響で色の生理学的研究にも一時熱中した。彼の最大の業績である波動方程式は、1925~1926年になされた。
ド・ブローイが電子も波動性を示すという物質波の考えを示したのは1923年であるが、シュレーディンガーはこの考えのなかに新しい原子構造論建設のヒントをみいだした。ボーアの原子構造論は当時もっとも説得力のある理論とされていたが、そこに現れる量子条件、つまりその整数性は、シュレーディンガーにはいかにも不自然に思われた。この整数性と、弦の振動の際に現れる整数性とを関連させて考えれば、電子(原子核の周りを回っている電子)の波動性の解明の鍵(かぎ)となろう。このような考えを一般化すれば量子化の考えの本質が明らかになるであろう。これが波動力学の発想であった。
古典力学のハミルトン‐ヤコービ方程式から出発して変分問題を解き、エネルギーを表すパラメーターを含む偏微分方程式を得た。これを水素原子に応用した結果、エネルギーのとる値はボーア理論のものと一致した。こうして基礎方程式としてのシュレーディンガー方程式が確立され(1926)、以後波動力学の精力的な展開が試みられたのである。
当時、ハイゼンベルクらによる行列力学があったが、調和振動子、摂動(せつどう)論、シュタルク効果などについての波動力学の計算結果は行列力学によるものとよく一致した。考え方も理論の形式も異なる二つの力学が同一の結果を与えるというのは、単なる偶然とは考えがたい。波動力学から行列力学を導くことを試み、両者が同等であることを示すのに成功(1926)、この証明はまもなくディラックの「変換理論」によって完全にされ、両者を統合した量子力学の成立をみることになった。
1927年ベルリン大学に移ったが、1933年ナチスの台頭とともにドイツを去り、イギリス、オーストリア、イタリアなど各地を転々とし、最後にダブリンに落ち着き、理論物理学研究所の教授となった。この間、統一場の理論を含む多くの課題を研究し続けた。また生物物理学の考察から『生命とは何か』(1944)を著し、『科学とヒューマニズム』(1952)、『自然とギリシア人』(1954)などの科学啓蒙(けいもう)書もある。
生涯を通じて共同研究者をもたず、自己の信念に忠実に、独自の道を歩んだ孤高の研究者であった。ソルベー会議の際、身の回り品を入れたリュックサックを背に駅からホテルまでを歩いた姿が、彼の人柄を示す逸話として語られている。
[藤村 淳]
『湯川秀樹監修『シュレーディンガー選集』全2巻(1974・共立出版)』▽『岡小天他訳『生命とは何か』(岩波新書/岩波文庫)』
オーストリアの物理学者。波動力学の建設者として著名。1933年量子力学建設の功績によりノーベル物理学賞を受けた。
ウィーンに生まれ育ち,ちょうどL.ボルツマンの自殺した年(1906)にウィーン大学に入り,やがてボルツマンの後任となったF.ハーゼンエールに傾倒して理論物理学を学び,一方,F.エクスナーには実験物理学の指導を受けた。1910年ハーゼンエールのもとで学位を得たが,その後はエクスナーの助手となった。第1次大戦中砲兵士官として軍務に服したのち,イェーナ,シュトゥットガルト,ブレスラウの諸大学を経て21年チューリヒ大学教授,27年にはM.プランクの後任としてベルリン大学に移ったが,33年ナチスの勃興に伴いオックスフォードへ転じた。36年グラーツ大学の招聘(しようへい)に応じたが,ドイツによるオーストリア併合により職を追われてイギリスに渡り,39年にダブリンの高等研究所に迎えられた。第2次大戦後オーストリア政府は帰国を要請したが容易には実現せず,最終的にはその帰国(ウィーン大学)は56年となった。
シュレーディンガーのもっとも著名な業績は波動力学の建設である。1924年ド・ブロイが提唱した物質波概念は,ほとんど物理学者の注意をひかなかったが,アインシュタインはこれから気体を放射のように扱えるとしてボース統計を用い,気体のエントロピーの問題を解析した。この論文がシュレーディンガーの注意をひき,以前からN.ボーア,A.ゾンマーフェルト流の原子構造論に不満を感じていた彼は,物質波の概念を基礎におく新しい力学の建設を目ざした。まず相対論的扱いを行って今日いうクライン=ゴルドンの方程式が得られたが(1925),これは水素スペクトルの微細構造の観測値では一致を得られず,26年,非相対論的立場から,電子の物質波の従うべき波動方程式,いわゆるシュレーディンガー方程式を導き,実験との正しい一致が得られた。彼の手法では,境界条件によりエネルギー固有値が導き出され,ボーアでは〈説明は不可能な仮定〉であった量子条件は自然に導かれるものとなったのである。ところで原子内の電子を記述する力学として,1925年W.ハイゼンベルクによってマトリックス力学が提唱されていたが,このマトリックス力学と波動力学とはその形式が異なるにもかかわらずその計算結果は奇妙によく一致する。これを偶然ではないとみたシュレーディンガーは,波動力学からマトリックス力学を構成する試みを行って成功し,またその逆も成立することを示した(1926)。この厳密な証明はまもなくP.A.M.ディラックによって与えられ,こうして二つの理論は一つに統一され,量子論の新しい段階,量子力学の時期が創始されたのである。これに伴う数学的手法,例えば摂動論などの開発もシュレーディンガーの大きな業績である。ただし物質波を貫徹させる立場に立つ彼は粒子と波動の二重性という考えは認めず,のちのちまでコペンハーゲン解釈には反対した。
ドイツを離れて以後の彼の研究には,波動力学の統計的解釈,統計の数学的構造,熱統計論などがある。また一般相対論の諸問題を扱い,宇宙論に及んだ。統一場の理論も重要なテーマであった。晩年には物理学の基礎論,すなわち物理学と哲学あるいは世界観の問題に関心を向け,また《生命とは何か》で述べた生命論は大きな反響をひき起こして,その後の分子生物学の展開の間接的なきっかけをも作った。帰国の翌年病を発し,61年1月に没した。
→量子力学
執筆者:藤村 淳
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…この分野の勃興時には,神秘そのものであった生命現象を,物理的法則で統一的に理解しようとし,生物学と物理学の融合が図られた。 歴史的には,1932年N.ボーアが〈光と生物〉と題した講演で生物学と物理学を結ぶ新しい学問を提唱し,45年E.シュレーディンガーが,著書《生命とは何か》で,遺伝現象と巨大分子の物理学を結びつけたことに端を発する。多くの物理学者の目が生物学に向かい,生物物理学の発展の大きな契機となった。…
…この物質波(ド・ブロイ波)の理論は,24年に《量子論の研究》と題する学位論文にまとめられ,パリ大学理学部に提出された。アインシュタインは,P.ランジュバンを通じて送られてきたこの論文の草稿を見て,いちはやく新理論の価値を認め,ゲッティンゲンのM.ボルンやチューリヒのE.シュレーディンガーに伝えた。これを契機に,シュレーディンガーは物質波の考えを発展させて,波動力学を展開,また一方,27年に行われたC.J.デビッソンとL.H.ジャーマーの電子線の回折実験などから電子の波動性が検証され,物質波の概念は波動力学の基本概念として揺るぎなきものとなった。…
…この二つが知れると以後の時刻におこることがニュートンの運動方程式から完全に決まるからである。同様に,量子力学においても,運動を表現する波動に対して,一時刻tにおけるその形から以後の移りゆきを完全に決める方程式があり,それを提出した人の名をとってシュレーディンガーの波動方程式とよばれる。空間の各点における波動の値(複素数)をあたえる関数は波動関数とよばれる。…
※「シュレーディンガー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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