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ソールズベリー

世界大百科事典 第2版の解説

ソールズベリー【Salisbury】

イギリスのイングランド南部,ウィルトシャーの古都。人口11万(1993)。別名ニューセーラムNew Sarum。エーボン河畔に位置し,周辺農村地帯の生産物の取引中心地。本来近郊の丘陵上の集落オールド・セーラムとして起源し,古来軍事上,政治上,宗教上重要な都市であった。1075年司教座が置かれ,86年にはウィリアム1世がこの付近の野に全国の土地所有者を集めてみずからへの忠誠を誓わせ(ソールズベリーの誓い),さらに1116年には同様にヘンリー1世がこの地で子のウィリアムを後継王として承認することを臣下に誓わせた。

ソールズベリー【Robert Arthur Talbot Gascoyne‐Cecil,3rd Marquis of Salisbury】

1830‐1903
イギリスの保守党政治家。由緒ある名門セシル家の出。1853年下院に入り,60年より《クオータリー・レビュー》誌に寄稿するなど,保守派の論客として活躍。66年ダービー内閣のインド事務相となるが,翌年ディズレーリの第2次選挙法改正案に反対して辞職。74年再びインド事務相としてディズレーリ内閣に入閣,78年外相に転じ首相とともにベルリン会議に出席した。81年ディズレーリの死後,保守党党首となり,3度組閣(1885‐86,1886‐92,1895‐1902),その間おおむね外相を兼任。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ソールズベリー
Salisbury

アメリカ合衆国,ノースカロライナ州の都市。グリーンズバラの南西約 100km,起伏のゆるやかな山麓地帯に位置する。 18世紀中頃に入植,イギリスのソールズベリーにちなんで命名された。植民地時代には六大都市の一つに数えられていたほどの町で,市街はいまなお昔の面影を残す。かつては織物工場とサザン鉄道の修理工場の町であったが,現在は織物,建材,家具など多種の町工場があるにすぎない。近隣地域ではコムギの生産,牧畜,酪農などが行われる。 1851年創立のカトーバ大学,79年創立のリビングストン大学がある。人口2万 3087 (1990) 。

ソールズベリー
Salisbury

アメリカ合衆国,メリーランド州南部の都市。 1732年創設,初めウィルシャーと呼ばれた。植民地時代の歴史を物語るオールドグリーンヒルやオールハロウズ教会などの建物が残る。デルマーバ半島中南部の交通の要衝および商業の中心地。農産物加工や観光も市の重要な産業である。人口2万 592 (1990) 。

ソールズベリー
Salisbury

イギリスイングランド南部,ウィルトシャー南東部の都市。旧称はニューサラム New Sarum。サウサンプトンの北西約 35km,エーボン川とその支流のワイリー川の合流点に位置する。市の北郊オールドサラムに築かれたローマ人の町ソルビオドゥヌム Sorbiodunumに始まり,サクソン人(ザクセン人)のもとで重要な町に発展。11世紀後半ノルマン人によって城が建設され,1075年には司教座が置かれたが,まもなく城主と司教の抗争が激化し,ローマ教皇から司教座を移す許可を得て,1220年新しい大聖堂が建設された(→ソールズベリー大聖堂)。今日の町はこの大聖堂のまわりに発展したもので,中世には羊毛・毛織物工業で繁栄,のち刃物類の製造で知られるようになった。農業地帯の集散地で,家畜・家禽市場があるほか,機械,ビール醸造,皮革,印刷などの工業が立地する。市街中心部には中世の町並みが保存され,また市の北北西約 13kmには考古学上重要な先史時代の遺跡ストーンヘンジなどがあるため,観光業も重要な産業となっている。人口 4万3355(2001)。

ソールズベリー

ハラレ」のページをご覧ください。

ソールズベリー
Salisbury, Harrison Evans

[生]1908.11.14. ミネソタ,ミネアポリス
[没]1993.7.5. ロードアイランド,プロビデンス
アメリカのジャーナリスト,著述家。ミネソタ大学卒業後,UP通信に入りシカゴ,ニューヨーク,ロンドン,モスクワなどの支局を回った。 1949年にニューヨーク・タイムズに移り,モスクワ支局長を5年間務め,1955年にはソ連に関連する一連の記事でピュリッツァー賞 (国際報道部門) を受賞。帰国後,編集次長 (1964~72年) ,副編集長 (1972~74年) を歴任し,1970年から 1973年まで,特集ページの編集長を務めた。 1971年にはアメリカ国防総省が,ベトナム戦争の深刻化要因とその経過をまとめた秘密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」 Pentagon Papersを暴露する記事の掲載を編集トップの一人として承認して大きな反響を巻き起こした。中国,ソ連の専門家としても知られ『途上のロシア』 Russia on the Way (1946) ,『攻防 900日 包囲されたレニングラード』 The 900 Days: The Siege of Leningrad (1969) ,『ニュー・エンペラー』 The New Emperors: China in the Era of Mao and Deng (1992) などの著書を残している。

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367日誕生日大事典の解説

ソールズベリー

生年月日:1908年11月14日
アメリカのジャーナリスト
1993年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

世界大百科事典内のソールズベリーの言及

【ハラレ】より

…標高1484mの高原にあり,爽涼な気候に恵まれる。旧称ソールズベリーSalisburyで,1982年4月現名に改称した。金鉱地帯の中心で,タバコ,トウモロコシ,ワタ,かんきつ類などの集散地であり,食品加工,タバコ,飲料,肥料,家具,建設資材,化学薬品,精糖,鉄鋼,石油などの各種工業も発達している。…

【年代記】より

…文学的,思想的にも吟味しうる内容をもつ年代記は,この種のものであり,すでに狭義の歴史叙述に属するものといってもよい。12世紀中葉のローマ教皇庁史をつづったソールズベリーのヨハネスの《教皇庁史》は,そのタイトルにもかかわらず,年代記のスタイルをとっている。13世紀中葉のM.パリスの《大年代記》は,その時代に全ヨーロッパで起こった政治的・社会的諸事件を扱い,きわめて包括的な時代史として,高く評価されている。…

【ノルマン朝】より

…1066年から1154年の間,イングランドを支配した王朝。ノルマン・コンクエストによってイングランドを征服して王となったウィリアム1世(在位1066‐87)は,封建制度を導入して,国土を臣下に分与する代りに軍役を奉仕させ,イングランド古来のシャイア(州)・ハンドレッド(郡)制を利用して支配したほか,全国の土地所有者をソールズベリーの野に集めて忠誠を誓わせ,徴税のための土地台帳(《ドゥームズデー・ブック》)を作成させるなど,集権的封建国家の基礎をつくった。次のウィリアム2世(在位1087‐1100)は,長兄のノルマンディー公ロベールと紛争を引き起こし,カンタベリー大司教アンセルムスと対立するなど失政が多かったため,貴族の不満が高まり,狩猟中無名の者の矢に当たって横死した。…

※「ソールズベリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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