にや(読み)ニヤ

デジタル大辞泉 「にや」の意味・読み・例文・類語

に‐や

[連語]
《断定の助動詞「なり」の連用形係助詞「や」》

文中にあって連体形の結びを伴う用法。…で…か。
朝夕宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふつもり―ありけむ」〈桐壺
文末にあって結びを伴わない用法。…なのか。
「あやし。ひが耳―」〈若紫
軽く詠嘆的に言い切る意を表す。
「さもあるべき事―」〈奥の細道
[補説]1㋐は下に「あらむ」「あるらむ」「ありけむ」などを伴うことが多い。2江戸時代の用法。
格助詞「に」+係助詞「や」》疑問・反語の意を表す。…に…か。
「そなた―まゐりべき」〈かげろふ・下〉

にゃ

[連語]《「ねば」の音変化》連語ねば2」に同じ。「今日中に家に戻らにゃ何を言われるかわかったもんじゃない」→ねばならない
[補説]うちとけた会話などで用いられ、「にゃあ」となることもある。

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精選版 日本国語大辞典 「にや」の意味・読み・例文・類語

に‐や

  1. [ 1 ] ( 格助詞「に」に疑問の係助詞「や」の付いたもの ) 場所・時などに関して、疑問または反語の意を表わす。
    1. [初出の実例]「立ちしなふ君が姿を忘れずは世の限り爾夜(ニヤ)恋ひ渡りなむ」(出典:万葉集(8C後)二〇・四四四一)
  2. [ 2 ] ( 断定の助動詞「なり」の連用形に疑問の係助詞「や」の付いたもの )
    1. ( 文中に用いて、文末の活用語と呼応する ) 疑問または反語の意を表わす。
      1. [初出の実例]「南海の浜に吹き寄せられたるにやあらんと思ひて」(出典:竹取物語(9C末‐10C初))
    2. ( 「あらん」などの述語を省略した形 )
      1. (イ) 文末に用いて、疑問の意を表わす。…のだろうか。
        1. [初出の実例]「功徳のかたにはさはらずと見えんとにや」(出典:枕草子(10C終)三三)
      2. (ロ) 文中の挿入句に用いて、断定をさけて疑いを残す意を表わす。
        1. [初出の実例]「さても八月の十日あまり六日にや、〈略〉かくれましましぬ」(出典:神皇正統記(1339‐43)下)

にゃ

  1. [ 1 ] ( 打消の助動詞「ず」の已然形(口語では仮定形)に接続助詞「ば」の付いた「ねば」の変化したもの ) なければ。なくては。にゃあ。
    1. 打消の仮定条件を表わす。
      1. [初出の実例]「どうでもこうでも聞かにゃおかぬ」(出典:浄瑠璃・心中二枚絵草紙(1706頃)上)
    2. 下に「ならぬ」などを省略した形で文末に用いる。当為、必要の意を表わす。
      1. [初出の実例]「儀利がかさなり・こちの馬らんもチト切らニャ」(出典:雑俳・四季の花(1851))
  2. [ 2 ] ( 格助詞「に」に係助詞「は」の付いた「には」の変化したもの ) には。にゃあ。
    1. [初出の実例]「どうで女房にゃもちやさんすまい」(出典:浄瑠璃・曾根崎心中(1703))

にや

  1. 〘 間投助詞 〙 口調をととのえるのに用いる。京都の大原・八瀬あたりで用いられた。
    1. [初出の実例]「京の御所でさいさい見たお公家様達じゃはにや」(出典:浄瑠璃・酒呑童子(1724)枕言葉)

にやの補助注記

「にやあ」と長呼して用いられることもある。「父(たあ)も母(うも)も京へ出たにやあ、我(げら)も出てにやあ」〔仮名草子東海道名所記‐六〕など。

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改訂新版 世界大百科事典 「にや」の意味・わかりやすい解説

ニヤ (尼雅
)
Niya

中国,新疆ウイグル自治区民豊県の北方約150km,タクラマカン砂漠中にある遺跡。2~3世紀の精絶国に比定される。1901年M.A.スタインにより発見され,その後を含めて3度調査された。さらに59年,新疆ウイグル自治区博物館により再調査された。遺跡は東西約10km,南北約4.5kmの範囲に広がり数百軒の住居址がある。乾燥地帯のため保存がよく,泥で固めた建物の壁や木柱がよく残り,木製の家具・容器・化粧具,それに毛織物や皮革,穀物,カローシュティー文字木簡も多数発見されている(カローシュティー文書)。また付近から〈司禾府印〉が発見され,屯田事務をつかさどる機関が設けられていたようである。墓区は住区の西方約3kmの砂漠中にあり,約500m四方に広がる。刳抜式木棺墓が大半であるが,ミイラ化し完好に保存された夫婦合葬墓があった。豊富な副葬品をもち,夫婦とも彩り鮮やかな絹やの衣服に包まれていた。明らかに中国人と異なる西方系民族の容貌をもち,古代精絶国の支配階級の墓と考えられる。
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百科事典マイペディア 「にや」の意味・わかりやすい解説

ニヤ

中国,新疆ウイグル自治区南部のニヤ河畔の民豊(旧名尼亜または尼雅)にある2―3世紀の住居跡。M.A.スタインが1901年から3回にわたって発掘。家屋は【まぐさ】式(アーチ式に対し,水平材と柱による構造をいう)の木造建築で塗壁または日乾煉瓦積み,内部は小室に区切られ,梁には彫刻もある。年代決定に貴重な貢献をした木簡(晋泰始5年銘)や漢文文書をはじめ,家具,日用品等東西文化の交流を示す品が大量に出土。→カローシュティー文字
→関連項目タクラマカン砂漠タリム盆地封泥

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「にや」の意味・わかりやすい解説

ニヤ
にや / 尼雅
Niya

中国、新疆(しんきょう)ウイグル自治区タリム盆地南縁にある古代の集落跡。ホータンの東方約320キロメートルにある民豊県から、タクリマカン砂漠の中を120キロメートルほど北上した地点にある。イギリスのM・A・スタインにより、1901年に初めて発掘され、以後1906年、1914年と三次にわたり発掘調査が行われ、総数800点近いカローシュティー文書(もんじょ)が発見された。この文書の解読により、古代楼蘭(ろうらん)王国の庶民生活が明らかにされつつある。この遺跡は崑崙(こんろん)山脈から流出するニヤ川の末端にあって、東西約7キロメートル、南北20キロメートルにわたって散在する集落である。1980年(昭和55)NHK日中共同取材班はこの遺跡を訪れ、現状を撮影、放映した。

[長澤和俊]

『長澤和俊他著『シルクロード 第四巻 流砂の道』(1980・日本放送出版協会)』

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世界大百科事典(旧版)内のにやの言及

【絹織物】より

…しかし現実には,養蚕術の西伝には,どうしても桑の栽培が付随しなければならない。この意味で,1901年スタインによってホータンの東方260kmのニヤ遺跡で発見されたいくつかの桑園の跡は,養蚕の西漸を実証する重要な手がかりを与えている。したがって今日では一般にニヤが滅んだ3世紀以前,おそらく2世紀前後にはこの地に中国風の養蚕術が伝えられ,ホータンはその中心であったと推定されており,その後《于闐国史》などの記録から,養蚕術は3世紀には北西インドまたはカシミール地方に伝わり,4~5世紀にはペルシアからシリアに伝播したと考えられている。…

【楼蘭】より

…前1世紀の鄯善,すなわち楼蘭(クロライナ)の戸数は,1570戸,人口は1万4100と伝えられ,当時の西域のオアシス諸都市の中では中程度の規模であった。しかしクロライナは,後1世紀になると,匈奴,後漢,ヤルカンドなどの干渉を受けつつも,しだいにその南方および南西方の崑崙山脈北麓に位置した且末(チャルマダナ,チェルチェン),小宛,精絶(チャドータ,ニヤ),戎盧などの諸オアシス都市国家を併合して,ロプ・ノール沿岸から西はチャドータに至る広大な地域を支配下に置く鄯善王国の首都となり,この状況は,以後ときに魏,晋,西涼等の進出の時期(大谷探険隊によって将来され,現在竜谷大学図書館に所蔵されている有名な〈李柏文書〉は,328年前涼の西域長史李柏が,ロプ・ノール西岸の海頭から焉耆(えんぎ)王に送った書簡の草稿である)があったにしても,少なくとも4世紀末までは続いたものと思われる。 4世紀末にこの一帯を通過した法顕の記録するところによれば,当時クロライナには小乗仏教を奉ずる国王と4000人の仏僧がいたことが知られ,この僧の数からしても,かなりの都市に成長していたことが推定される。…

※「にや」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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