黒人性の意。1934年に機関紙『黒人学生』を創刊したレオン・ダマLéon Damas(1912―1978)、エメ・セゼール、L・S・サンゴールの3人を中心に、1930年代のパリで始まった黒人留学生たちの、「黒人を黒人性(ネグリチュード)の尊厳に目覚めさせ、フランスの植民地同化政策を拒否する」文化運動をネグリチュード運動という。この運動に目覚め結集した黒人のエネルギーは、第二次世界大戦後のアフリカ独立の起爆剤となった。この運動が、1930年代のパリで受け入れられた背景には、第一次世界大戦後に荒地化したヨーロッパの文化状況に対する白人の自信喪失があり、ピカソのようにその代替物を、白人は、黒人文化に求めたのである。
このような黒人の生命力あふれる美しさ、みずみずしさと、黒人性の光輝を賛美する詩を高らかに謳(うた)い上げた「ネグリチュード派」の詩人に、サンゴール、D・ディオプ、B・ディオプBirago Diop(1906―1989)、ウ・タムシTchicaya U Tam'si(1931―1988)、ボランバAntoine-Roger Bolamba(1913―2002)、ラベマナジャラJacques Rabémanajara(1913―2005)(以上フランス語圏)、テンレイロFrancisco José Tenreiro(1921―1963)、リバスOscar Ribas(1909―1990)、アンドラーデ(以上ポルトガル語圏)らがいて、現代アフリカ文学の代表的詩人を網羅し、その領域も抵抗詩、解放詩まで含む幅の広さを誇っている。この派の古典的詩集として、セゼールの『祖国復帰ノート』(1939)、テンレイロの『ノメ・サント島』(1942)、サンゴールの『影(望郷)の歌』(1945)、アンソロジーにJ・P・サルトルが献じた序文「黒いオルフェ」で有名なサンゴール編『ニグロ・マダガスカル新詩集』(1948)、テンレイロ、カブラルAmilcar Cabral(1921―1973)、ネトAgostinho Neto(1922―1979)、アンドラーデ共同編集『ニグロ・ポルトガル語詩ノート』(1953)がある。だが、エスキア・ムパシェーレ、ウオレ・ショインカなど、英語圏アフリカの作家からは、その観念性に対する批判が強い。
なお「黒人社会の存在とその精髄を世界に顕示し、黒人文化の尊厳とその生活様式の独創性を擁護する」目的で、1947年パリで、サンゴールの協力のもと、A・ディオプAlioune Diop(1910―1980)の手で創刊された文化雑誌『プレザンス・アフリケーヌ』が、以後のネグリチュード運動を支えてきた功績は大きい。だがこのネグリチュード運動も、1975年ごろから大きな変化が際だつようになる。同誌はその第100号を記念して、1976年から1977年にかけて「ニグロ・アフリカ人の文化的アイデンティティ」と題する特集を組み、そのなかで、従来の「外」、白人文化を多分に意識した同化拒否の姿勢から一転して、「内」、黒人文化に目を注ぎ、新しい黒人文明の発掘、すなわち黒人文明のルネサンスを訴えている。つまりネオ・コロニアリズム(新植民地主義)というアフリカの新たな危機的事態と対決し、これを克服するためには、一般民衆が下層の非文字文化の世界で保持してきた伝承の口唱文芸のなかからアフリカ人に固有の活力を汲(く)み出し、それを柱にして、アフリカ人の文化的アイデンティティを再構築し直さなくてはならない、というのである。この路線に沿った作品に、カマラ・ライェの『言葉の主』、ニアヌDjibril Tamsir Niane(1932―2021)の『スンディアタ』、それにマジシ・クネーネの『偉大なる帝王シャカ』などがあり、この主張は、1970年代に南アフリカで起こった黒人意識運動の精神的支えとなったことも、特記してよい。
[土屋 哲]
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黒人であること,黒人的特性,黒人精神などの訳語があてられる。〈黒人がわれわれの辞書にもたらした数少ない寄与の一つ〉(サルトル)であるが,定義は難しい。いずれにしろ,1930年代のパリでセゼール,サンゴールら,フランス領の西インド諸島,アフリカ出身の開化黒人詩人たちが起こした文学運動の思想的・芸術的基盤がこの名で呼ばれる。彼らは,黒人には独特な内的世界,宇宙認識論,芸術創造力,美的感覚などがあるとし,〈アフリカ〉〈ニグロ〉にまつわる過去の汚辱を払拭し,民族的価値の復権,人種の誇りを主張した。これが台頭期のパン・アフリカニズム思想を背景に政治的意義を獲得し,西欧近代・白人中心の世界観への鋭い挑戦となった。
〈黒さとは非存在ではなく拒否である〉(セゼール),〈ネグリチュードは否定,他者の否定,他者の拒否,同化の拒否であり,他者の否定は自己肯定である〉(サンゴール)という言葉に見られるとおり,ネグリチュードはフランス同化政策への反抗であり,逆に黒人による白人の同化を主唱する人種闘争でもある。ネグリチュード派と称される一群の詩人が輩出し,〈アフリカ・黒〉を普遍的シンボルに使い,理性と個人と物質に基づく西欧近代の価値と,情念と集団と精神を尊ぶアフリカの価値を対置し,前者の疲弊を嘲笑し,後者の優越を主張した。サンゴールはこのアフリカ的価値を西欧近代に注入することで,より高度な人道的普遍文明を構築できるとした。ネグリチュードは超現実主義とマルキシズム,革新的なフランス語意味論を武器としたが,その抽象性,神秘性,ステロタイプ化が芸術家の個性と素材の幅を制限した。さらに50年代,独立が日程にのぼる頃,政治・社会問題解決の現実策が問われ始めると,主として英語圏のムファレレや若い知識人から,伝統文化偏重のネグリチュードの闘争的(階級的)基盤に疑問が提示されるなど批判が続出,その意義は凋落した。現在では旧フランス領からも〈ネグリチュードはアフリカの環境に働く歴史的諸力を無視した,帝国主義・植民地主義勢力側の自己延命のための産物である〉(トゥーレ)との評価まである。
→アフロ・アメリカ文学
執筆者:宮本 正興
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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1930年代から50年代にかけてカリブ海とアフリカのフランス語圏出身の作家たちが提唱した文化運動。フランスによる植民地支配と同化政策に対抗して,アフリカの伝統にもとづいた黒人文化の価値の再確認をめざした。代表的な作家として,セネガルのレオポルド・セニョール,マルティニックのエメ・セゼール,フランス領ギアナのレオン・ダマスがあげられる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…それがまたたくまに全世界に拡大され,米州とくにラテン・アメリカにも波及して,そこでは白人と黒人の知識人によって運動が進められた。それらの運動のいくつかを挙げると,ハイチではジャン・プリス・マールとジャック・ルマンによる《ルビュー・アンディジェーヌRevue Indigène》運動(1926‐27),マルティニクではエメ・セゼールによる〈ネグリチュード〉運動,キューバではアレホ・カルペンティエル,ニコラス・ギリェンらによる〈ネグリスモ〉運動,ブラジルではジルベルト・フレイレやジョルジェ・アマドらによる〈北東部文学〉運動がある。これらの運動は横の連絡や結合を持っていないが,アフリカ的性格や黒人精神の復興をうたう点では共通性を持ち,全体としてアフロ・アメリカ文学という新しいジャンルを確立したのである。…
…フランス領マルティニク島の詩人,政治家。フランス植民地主義の同化政策を批判,黒人の文化的・政治的復権を訴えて〈ネグリチュード(黒人性)〉を主唱。アイデンティティの回復から解放の思想に至るまでの意識発展のドラマである長詩《祖国復帰ノート》(1939)はブルトンに絶賛された。…
…この自己存在は,みずからが被植民者でいるかぎり,また黒人であることが負の価値とされているかぎり,脱出できないアポリアとなる。こうした自己存在への凝視から,A.セゼールやL.S.サンゴール,ディオップなどの留学生の手でネグリチュード運動が起こされ,やがて政治的独立の運動へ結びついていったのである。アフリカ革命の有数の思想家F.ファノンも,ポルトガル領アフリカの独立の指導者で卓越した革命理論家のA.カブラルやA.ネトもまた〈開化民〉としての留学生であった。…
※「ネグリチュード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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