ハビアン

デジタル大辞泉 「ハビアン」の意味・読み・例文・類語

ハビアン(Fabian)

[1565~1620?]安土桃山・江戸初期の日本人イエズス会士で、「天草本平家物語」の編者山城の人とも、加賀の人ともいう。初め禅寺に入り、恵俊と称した。改宗後、キリシタン教義書「妙貞問答」を著したが、のち棄教してキリシタンを批判した「破提宇子ハダイウス」を著す。不干斎巴鼻庵。

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改訂新版 世界大百科事典 「ハビアン」の意味・わかりやすい解説

ハビアン
生没年:1565-1621(永禄8-元和7)

近世初期の日本人イエズス会士。不干斎と称した。加賀または越中国生れ。僧名を恵俊(恵春)と伝えられ京都臨済宗大徳寺に入る。1583年(天正11)京都で受洗,86年イエズス会入会,臼杵の修練院に入るが,豊臣秀吉の伴天連(バテレン)追放令により,山口,長崎などへ避難し,90年加津佐に移り同地で開催された日本イエズス会第2回協議会に出席,92年(文禄1)天草の学院の日本語教師,《平家物語》を口訳編纂,1597-1602年(慶長2-7)長崎に在住し《仏法》を編纂する。03年以後,京都で護教論書《妙貞問答》を著し,06年林羅山と論争し,07年駿府で本多正信に教理論書を献上する。08年京都でイエズス会を脱会,棄教し,奈良,枚方を経て12年博多に在住,14年以後,長崎に移り幕府のキリシタン迫害に協力,20年(元和6)反キリシタン書《破提宇子(はだいうす)》を刊行,21年同地で没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハビアン」の意味・わかりやすい解説

ハビアン
Fabian

安土桃山~江戸時代初期の日本人イエズス会士。通称,不干斎巴鼻庵。ハビアンの名称はキリシタンの一般的霊名で,ほかにもそう称した者がいる。著名なのは不干斎巴鼻庵であるが,その経歴は明確ではない。一説には永禄8 (1565) 年若狭で生れ,天正 11 (83) 年頃キリシタンとなり,同 14年イエズス会に入り,大坂セミナリオ,長崎のコレジヨで学びイルマン (伊留満)になったという。文禄1 (92) 年の天草版ローマ字本『平家の物語』の編者として序文を書き,その後キリシタン版の訳文調整にあたった。慶長8 (1603) 年京都に戻り,『妙貞問答』を著わし,キリスト教の教理を説き,神道,儒教,仏教を批判。同 11年林羅山と論争したが,その後まもなく棄教,元和6 (20) 年『破提宇子 (はだいうす) 』を著わし,キリスト教を排撃した。

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百科事典マイペディア 「ハビアン」の意味・わかりやすい解説

ハビアン

ファビアンとも。通称不干斎【ハ】【ビ】庵。安土桃山時代の日本人イエズス会士。大徳寺の僧であったが1583年ごろキリシタンとなり,1605年《妙貞問答(みょうていもんどう)》を著し,神・儒・仏三教を排斥。また天草版《平家物語》《伊曾保物語》などの撰述を行った。のち棄教し,キリスト教を排撃して《破提宇子(はだいうす)》を著した。
→関連項目天草版平家物語転びキリシタン妙貞問答

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ハビアン」の解説

ハビアン Fabian

1565-1621 織豊-江戸時代前期の日本人修道士。
永禄(えいろく)8年生まれ。禅僧からイエズス会士となる。慶長10年護教論書「妙貞問答」をあらわし,翌年林羅山と論争。13年棄教し,長崎で幕府のキリシタン迫害に協力した。元和(げんな)7年1月死去。57歳。僧名は恵春(俊)。号は不干斎巴鼻庵(ふかんさい-はびあん)。著作はほかに「破提宇子(はダイウス)」。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハビアン」の意味・わかりやすい解説

ハビアン
はびあん

ファビアン

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