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バルト Barth, Hans

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バルト
Barth, Hans

[生]1904.2.25. ウィンテルトゥア
[没]1965.3.12. チューリヒ
スイスの政治哲学者。 1946年チューリヒ大学教授。政治の理念史の研究で知られる。主著『真理とイデオロギー』 Wahrheit und Ideologie (1945) ,『ペスタロッチの政治哲学』 Pestalozzis Philosophie der Politik (54) ,『大衆と神話』 Masse und Mythos (59) 。

バルト
Barth, Heinrich

[生]1821.2.16. ハンブルク
[没]1865.11.25. ベルリン
ドイツの地理学者,言語学者,アフリカ探検家。ベルリン大学で古典を学ぶ。 1845~47年地中海沿岸を旅行。 49年ベルリン大学で講義し,スーダン西部の探検に参加。 50年サハラを横断。以後,チャド湖南部と南東部の諸国を探検し,ヨラでベンワ川の上流部を発見。 55年ロンドンに到着。 63年,K.リッターの後任としてベルリン大学地理学教授。著書『北部・中部アフリカの紀行と発見』 Reisen und Entdeckungen in Nord-und Zentralafrika (5巻,1857~58) 。

バルト
Barth, Heinrich

[生]1890.2.3. ベルン
[没]1965.5.22. バーゼル
スイスの哲学者。 K.バルトの弟。新カント派のマールブルク学派と弁証法神学の影響を受け,キリスト教的実存哲学の立場に立った。主著『アウグスチヌス哲学における決断の自由』 Die Freiheit der Entscheidung im Denken Augustins (1935) ,『顕現の哲学』 Philosophie der Erscheinung (2巻,47) ,『実存の認識』 Erkenntnis der Existenz (66) 。

バルト
Barth, Karl

[生]1886.5.10. バーゼル
[没]1968.12.10. バーゼル
スイスのプロテスタント神学者。ベルン,ベルリン,テュービンゲン,マールブルクの諸大学で学んだのち,スイスのアールガウ州ザーフェンビルで牧師となり (1911) ,説教者としての苦鬪のなかから著した『ローマ書』 Der Römerbrief (1919) は第1次世界大戦後のヨーロッパに衝撃を与え,新しい神学運動,弁証法神学の出発点となり広範な影響を与えた。ゲッティンゲン (1921) ,ミュンスター (1925) ,ボン (1930) の諸大学で教鞭をとるようになり,当初は,スイスの宗教社会主義や,キルケゴールの実存主義の影響を受けていた彼も,そのアンセルムス研究『知性を求める信仰』 Fides quaerens intellectum (1931) をふまえて 1932年より刊行され始めた『教会教義学』 Die kirchliche Dogmatik全4巻 13冊,9200ページの未完の大著では,バルト神学といわれる独自性をいかんなく示している。それは一言でいえば,キリスト論的に一切を集中しつつ,そこから初期の否定の言葉を越えて肯定の言葉を語ることだといえよう。ヒトラーへの忠誠誓約に留保条件をつけたためボン大学を追われ,バーゼル大学 (1935) に移ってからも,ヒトラーに抵抗して教会鬪争を展開した告白教会を支援し,第2次世界大戦後は,そのハンガリー旅行をとおして,社会主義体制下にも教会は存在しうることを語るようになり,多くの論義を引き起こした。自由主義神学者や盟友であった弁証法神学者 (ゴーガルテン,ブルンナーブルトマン) たちとの激しい論争を重ねてきたバルトは,他面モーツァルトのこのうえもない愛好者として,その生誕 200年記念に『モーツァルト』 Mozart (1956) を著している。

バルト
Barth, Paul

[生]1858.8.1. シュレジエン,バールト
[没]1922.9.30. ライプチヒ
ドイツの哲学者,教育学者,社会学者。 1897年ライプチヒ大学教授,1918年同大学名誉教授。社会を精神的有機体,教育はその有機的社会の「繁殖作用」ととらえ,教育学に社会学を導入した。主著『社会的,精神史的解明による教育史』 Die Geschichte der Erziehung,in soziologischer und geistesgeschichtlicher Beleuchtung (1911) ,『系統的道徳教育の必要性』 Die Notwendigkeit eines systematischen Moralunterrichts (19) がある。

バルト
Barthes, Roland

[生]1915.11.12. シェルブール
[没]1980.3.26. パリ
フランスの批評家。パリ大学で古典文学を学び,1948~50年ブカレストとアレクサンドリアの大学講師。外務省勤務を経て,53年フランス国立科学センターに所属,語彙学と記号論を研究。 60年エコール・プラティク教授。 76年コレージュ・ド・フランス教授。ヌーベル・クリチック (新批評) の代表的存在として社会学,精神分析,言語学の成果を活用した大胆な立論に拠り,しばしば論争を巻起した。主著『零度のエクリチュール』 Le Degré zéro de l'écriture (1953) ,『ミシュレ』 Michelet par lui-même (54) ,『神話作用』 Mythologies (57) ,『ラシーヌ論』 Sur Racine (63) ,『記号論概論』 Éléments de sémiologie (64) ,『批評と真実』 Critique et vérité (66) ,『モードの体系』 Système de la mode (67) など。交通事故の傷がもとで死亡。 (→エクリチュール )  

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デジタル大辞泉の解説

バルト(Karl Barth)

[1886~1968]スイスの神学者。弁証法神学の創唱者の一人。神の啓示を神学の中心問題とし、聖書的福音主義を唱え現代神学に大きな影響を与えた。著「ロマ書」「教会教義学」など。

バルト(Roland Barthes)

[1915~1980]フランスの批評家構造主義の立場から、文学・言語・芸術など広範な分野で先鋭的な批評活動を展開。著「零度のエクリチュール」「モードの体系」「文学の記号学」。

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百科事典マイペディアの解説

バルト

ドイツのアフリカ探検家。地中海地方を探検後,1850年―1951年にJ.リチャードソン,A.オーバーウェクとともにサハラ,スーダンを探検し,地誌やアフリカ諸言語の比較を著書にまとめた。

バルト

スイス,バーゼル出身のプロテスタント神学者。ルター,カルバン以来最大の思想家と目される。ベルリン,チュービンゲン,マールブルクなどに学んでのち,宗教社会主義運動に身を投じるが,第1次大戦を機に,キルケゴール,ドストエフスキー,ニーチェらの影響のもと,信仰の逆説性,神の絶対他者性,神の言の破壊と創造の両義性を強調する〈弁証法神学〉(危機神学)を主導した。
→関連項目改革派教会ゴーガルテン実存主義ハルナックブルトマン

バルト

フランスの批評家。パリ大学卒。国立高等研究院教授,コレージュ・ド・フランス教授。構造主義的記号学の開拓者の一人と称されもするが(《零度のエクリチュール》1953年,《モードの体系》1967年),読者を読むことの快楽に誘ってやまない〈テクストのモラリスト〉としての批評活動が身上。
→関連項目エクリチュール記号論トドロフヌーベル・クリティック

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世界大百科事典 第2版の解説

バルト【Heinrich Barth】

1821‐65
ドイツの地誌家,探検家。ハンブルクで商人を父として生まれ,ベルリン大学でA.vonフンボルト,K.リッターらについて地理学を学んだ。若いころから旅を好み,1年間のイタリア旅行の後,1845‐47年,地中海周縁諸地方を旅し,北アフリカの土を踏んだ。50‐55年,イギリス政府が企画した中部サハラおよび中部アフリカ探検に3人の探検家の一人として加わり,同行の2人の死後も単独で探検を完了した。この探検で彼はトリポリからサハラを越えてチャド湖に到達し,バギルミ王国,ハウサ諸国に滞在,53‐54年にはニジェール川を北西にさかのぼって,トンブクトゥ,ガオなどを訪れた。

バルト【Karl Barth】

1886‐1968
スイスのプロテスタント神学者。神学者フリッツ・バルトFritz Barthの子として,バーゼルに生まれた。少年時代をベルンで過ごした後,ベルリン,チュービンゲン,マールブルク等の大学神学部で学ぶ。マールブルクでW.ヘルマンの影響を受ける。1909年からジュネーブの教会の副牧師。11年ザーフェンウィル村の教会の牧師。隣村ロイトウィルの教会にトゥルナイゼンがおり,2人は生涯にわたる親交を結ぶ。当時は〈宗教社会主義〉の全盛期であり,2人はその指導者クッターH.Kutterの影響を強く受ける。

バルト【Paul Barth】

1858‐1922
ドイツの哲学者,社会学者,教育学者。ギムナジウムの教師を経て,1890年以降はライプチヒ大学の教授。その代表作《社会学としての歴史哲学》(1897)において,社会学と歴史哲学を同一視し,社会学は歴史の一般化的考察を行い,一般概念および一般法則を設定するものと規定している。また一方で,H.スペンサー,W.ブントらの影響を受けて,社会を精神的・意志的な有機体ととらえる〈社会有機体説〉に立脚し,その立場から教育の機能を社会における精神的伝播・繁殖にあるとした。

バルト【Roland Barthes】

1915‐80
フランスの思想家,文学者。南西部の都市バイヨンヌの生れ。コレージュ・ド・フランス教授。制度としての〈言語=文化=社会〉のなかでひそかに人々に働きかけているさまざまの〈擬自然〉の暗黙の意味作用を分析しつづけた。ある種のことばづかいの型すなわちエクリチュール(文章態)が発揮する隠れた作用の解明から出発し,やがて広く文学・社会の諸現象にひそむ記号(意味)作用を分析する構造主義的記号学の開拓者のひとりとなる。

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大辞林 第三版の解説

バルト【Karl Barth】

1886~1968) スイスの神学者。ドイツに学び、1919年「ローマ人への手紙」の講解を発表、人間中心の神学から神の啓示を重視する神学への転回を主張、弁証法神学を創始。ナチスに抵抗して告白教会の闘争を指導するが、ドイツを追われた。著「教会教義学」など。

バルト【Roland Barthes】

1915~1980) フランスの評論家。構造言語学の概念を援用して、幅広く文学作品や社会現象を分析。主著「零度のエクリチュール」「モードの体系」

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367日誕生日大事典の解説

バルト

生年月日:1858年8月1日
ドイツの哲学者,教育学者,社会学者
1922年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

世界大百科事典内のバルトの言及

【キリスト論】より

…また改革派内部でも教会と国家をめぐる新しい問題が生じた。K.バルトは改革派に属するが,キリスト論を神学の一部ではなく全部に及ぶものとした。そこで受肉を三位一体といっしょに啓示論の中におき,預定説ではキリストを選びの客体であるとともに主体でもあるとして,その外部に隠れたものを認めない。…

【贖罪】より

…神学的な贖罪論は,その具体性と普遍性(終末性)を同時に生かす課題をもっている。この点で,K.バルトが〈和解Versöhnung〉と〈救贖Erlösung〉とを区別し,その間に歴史的実存としての教会を位置づけたことはすぐれた理解であるといえる。【泉 治典】 キリスト教におけるがごとき原罪という観念のなかった中国や日本では,贖罪という言葉は金品を出して刑罰を免れることを意味した。…

【神学】より

…聖書神学とともに,教会史,教義史を研究する歴史神学がプロテスタント神学の中で興隆した。しかし第1次世界大戦を契機としてあらわになった近代の危機的状況から,K.バルトを中心に従前の神学に対する激しい否の声がおこった。この弁証法神学はキルケゴールの実存主義の影響を受けているが,宗教改革の精神を新たに生かそうとするプロテスタント神学の努力である。…

【ブルンナー】より

…1924‐53年チューリヒ大学の組織神学および実践神学の教授,同大学総長もつとめた(1942‐44)。クッターH.Kutter,ラガーツL.Ragazらの宗教社会主義の影響下に思想形成を始め,やがてシュライエルマハー以来の人間中心,体験重視の近代神学を批判して,K.バルトらとともに神中心の啓示神学を唱導した。のちバルトと決別したが(自然神学論争),その争点は人間に啓示と結びつく能力〈結合点Anknüpfungspunkt〉があるか否かの理解の差異にあった。…

【弁証法神学】より

…〈危機神学Theologie der Krisis〉とも呼ばれる。この運動の中心人物であったK.バルトは,ブルムハルト父子の影響をうけたクッターH.Kutter(1863‐1931)とラガーツL.Ragaz(1868‐1945)とともに宗教社会主義運動に加わっていたが,《ローマ人への手紙》(第2版,1922)においてキルケゴールのいう〈神と人間との絶対の質的差異〉をモットーとし,ドストエフスキーやニーチェからも時代の本質的な危機を学んで,19世紀の文化的キリスト教を激しく非難し,キリスト教の終末論的本質と教会の罪とを明らかにした。また当時発見されたルターの《ローマ人への手紙講義》に学び,信仰の矛盾にみちた逆説性と神の言葉の破壊と建設の力を強調したことからして,〈弁証法神学〉の名がこれに帰せられた。…

【預定】より

…カルバンはある者は救いに,ある者は滅びに預定されているとの〈二重預定〉を説いたが,これは神の全知と摂理を語るスコラ神学が自然神学に堕するのを防ぐものであった。しかしK.バルトは,預定の神をたんに隠れた恐るべき神とするこの考えを批判し,キリスト自身選ぶ神であり,選びの原理はその死と復活のうちに現れていると述べる。救い摂理【泉 治典】。…

【記号】より

…パースらとともに現代文化記号論の祖の一人とされるスイスのF.deソシュールは儀礼,作法などの諸文化現象を記号として考え,記号論sémiologie(英語ではsemiotics)の展望を開いた。ソシュールは言語学を記号論の一分野として位置づけ,記号論が発見する諸法則を言語学に適用することを考えたが,第2次大戦後のフランスにおける構造主義者R.バルトは,むしろ記号論こそ言語学のなかに位置づけられるべきであると主張した。あらゆる記号のなかで自然言語の記号(いわゆる言語記号)ほど複雑・高度な記号は存在せず,その機能と構造の諸特徴は他の諸記号の機能と構造の特徴の多くを網羅してしまうからである。…

【構造主義】より

…それは大きな知的反響をよびおこし,《エスプリ》誌の〈野生の思考と構造主義〉の特集(1963)をはじめ,多くの雑誌がレビ・ストロースと構造主義を論じて,〈構造主義〉の時代の幕明けとなった。このような論議の高まるなかで,フーコーが《言葉と物》(1966)を,アルチュセールが《資本論を読む》《甦るマルクス》(ともに1965)を,ラカンが《エクリ》(1966)を,R.バルトが《モードの体系》(1967)を世に問い,その他文学批評の分野でも構造分析が行われ,いずれも何らかの形で〈構造〉ないし〈システム〉を鍵概念として近代西欧の観念体系を批判吟味する新しい構造論的探求を展開した。そして〈構造主義〉は,それまでの20世紀思想の主潮流であった〈実存主義〉や〈マルクス主義〉をのりこえようとする多様な試みの共通の符牒となった。…

【詩学】より

…《言語学と詩学》(1960)がそれで,この論文は戦後の構造詩学の出発点となったし,レビ・ストロースとの共同研究《ボードレールの〈猫〉》の構造分析は〈無意識的なものの意識化〉を目ざす構造主義の詩学の範となった。これより先,レビ・ストロースはプロップの《魔法昔話の形態論》やフォルマリズム詩学,プラハ言語学派の機能構造言語学の成果を踏まえてオイディプス神話の分析を行っているが,これはのちのC.ブレモン,A.グレマス,R.バルト,Ts.トドロフ,A.ダンダスらの物語構造論を生み出す端緒となった。 構造主義による文化の構造分析は文化批判を含むが,バルトの《零(ゼロ)度のエクリチュール》は時代の文体ともいうべきエクリチュールを批判的に分析し,《神話作用》も現代ヨーロッパ社会におけるブルジョア神話の〈自然さ〉〈もっともらしさ〉を打破,非神話化する企てであり,詩学が広く現代文化をもその射程におさめうることを示した。…

【写真】より

…このわれわれが日々に接する写真というものは,はたしてどのような性格を持ったメディアなのか,そしてわれわれはそれをどのように読み,また読まされているのだろうか。 フランスの哲学者・記号論学者R.バルトは〈写真はコードのないメッセージである〉と定義した(《写真のメッセージLe message photographique》1961)。われわれは言語表現によってある現実を言語に移しかえる場合,その社会に流通する言語体系によって現実の一局面を切り刻み,それを音韻,形態,統辞,意味などさまざまなレベルでコード化することによってメッセージを形成する。…

【文学理論】より

…それではこのテキストとはいったい何であるか。 この問題の解明に最も大きな貢献をしたと思われるのは,フランスの構造主義ならびにそれ以降の動きのなかで仕事をしたR.バルトとクリステバJulia Kristevaである。彼らの考えによれば,テキストには二つの次元がある。…

【物語】より

…この場合には,物語をいわゆる文学に固有のものとはせず,神話,伝説,民話,おとぎ話,小説,戯曲,絵画,映画,漫画,ダンスなどに共通にあらわれるものとみる。そして〈物語の構造分析には言語学そのものを基礎モデルとして与えるのが理にかなっている〉(R.バルト《物語の構造分析序説》1966)と考える。この方向での研究の早い例は,ソ連の民話学者プロップの《民話の形態学》(1928)であるとされている。…

※「バルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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