共同通信ニュース用語解説 「パラオ」の解説
パラオ
200余りの島から成る島しょ国。推定人口約1万8千人。首都マルキョク。第1次大戦開戦後に日本が占領し、行政機関の南洋庁を最大都市コロールに置いた。太平洋戦争中、南部ペリリュー島が日米の激戦地になった。戦後は米国の信託統治下に置かれ、1994年に独立。観光が主産業だが、中国は団体旅行を禁じて圧力をかけ、台湾との断交を要求している。(コロール共同)
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200余りの島から成る島しょ国。推定人口約1万8千人。首都マルキョク。第1次大戦開戦後に日本が占領し、行政機関の南洋庁を最大都市コロールに置いた。太平洋戦争中、南部ペリリュー島が日米の激戦地になった。戦後は米国の信託統治下に置かれ、1994年に独立。観光が主産業だが、中国は団体旅行を禁じて圧力をかけ、台湾との断交を要求している。(コロール共同)
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ミクロネシアの最西端、フィリピンの東820キロメートルに位置する島嶼(とうしょ)国家。正称パラオ共和国Republic of Palau。屋久島(やくしま)とほぼ同じ大きさの国土459平方キロメートルを有する。かつて日本が統治していた南洋群島の一部で、日本統治時代は南洋庁が置かれていた(1922~1945)。人口2万2000(2006年推計)、2万0397(2009年、世界銀行)の共和国は、国連(国際連合)の信託統治領ミクロネシアのなかではもっとも遅い1994年に独立を果たした。独立後は、アメリカ領のグアム、サイパンに次ぐリゾート地として日本でも知名度が上がっている。首都はマルキョクで、2006年10月にコロールより遷都した。
[小林 泉]
本島バベルツアプ(バベルダオブ)を囲むラグーン(サンゴ礁などの内側の海域・礁湖)の中には、ロックアイランドとよばれる大小200以上もの島々が散りばめられ、幻想的な景観をつくりだしている。かつて日本人は、ここをパラオ松島とよんだ。面積331平方キロメートルの本島は、ミクロネシアのなかではグアム島、ポンペイ島に次いで三番目に大きい。海洋景観の美しさに加えて島中央の最高峰は海抜230メートルにも及ぶので地形は変化に富み、植物相も豊かである。住民の大半は海岸沿いの平地に住んでいるが、高台やその中腹には600年から1200年前のものと推定される先人の居住跡が残っている。
西カロリン諸島のミクロネシア人はモンゴロイド人種とみなされていたが、変異も大きく、パラオ諸島の住民は色黒、縮れ毛もしくは波状毛、広鼻などメラネシア人的特徴が混じっている。考古学的研究によれば7、8世紀にはインドネシア方面からの文化的影響が認められ、さらにさかのぼって紀元前とも推定される居住遺跡がみつかっている。
熱帯海洋性気候で年間平均気温は27.9℃、湿度82%で降雨量も年間3800ミリメートルと多い。11~4月が乾期、5~10月が雨期とされているが、近年では気候変動の影響からかその区別が明確でなくなってきている。
[小林 泉]
1579年、イギリス人フランシス・ドレークが来島し交易を始めたのが最初だといわれる。1783年にイギリス商船アンテロープ号がコロール付近で座礁、これをコロールの酋長(しゅうちょう)アイバドールが救助した。これが端緒となり西洋人との交流が盛んになると、マスケット銃や火薬、酒などが流入した。それにつれてコロールを中心にした南部村落連合とマルキョク中心の北部村落連合の戦いが激化していった。この南北対立は、イギリスの仲裁で南北和平協定が結ばれる1883年まで100年近く続いた。
1885年にはスペインが領土宣言、しかし1899年には米西戦争に敗れてドイツに売却した。第一次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)した1914年、日本はパラオを含むドイツ領ミクロネシアを占領し、1920年に国際連盟の委任統治領として認められた。日本は、東はマーシャルから西はパラオ、北はマリアナ諸島までのミクロネシア地域を南洋群島と称し、その統治行政の中心となる南洋庁をパラオのコロールに置いた。そのためパラオは、日本からもっとも近いサイパンとともに多くの邦人(海外居住日本人)が流入して経済も発展した。現地住民への日本語教育や神社の建立などの日本化も進めた。1940年時点での居住者人口は、パラオ人6587人に対し邦人は2万3767人を数えた。独立後、複数の日系人大統領や大臣が出現しているが、彼らはこのときにパラオ人女性と結婚した日本人男子らの子孫である。
1945年に日本が太平洋戦争に敗戦、アメリカ占領軍の手でパラオの邦人はすべて強制退去させられた。1947年に旧南洋群島がアメリカ施政下の国連(国際連合)信託統治領になると、アメリカは日本的影響をことごとく排除する一方、地元民に英語を身につけさせ、アメリカ式民主主義を植えつける統治を熱心に行った。信託統治終了後の島々の政治地位について、アメリカとの交渉が始まったのが1969年である。当初、信託統治領ミクロネシアは、全体で自治または独立を目ざす方針が立てられたが、パラオは1977年に住民投票で地域国家構想からの離脱を決めて独自憲法を制定、1981年に自治政府を発足させた。それからアメリカとの自由連合関係の下で1994年に独立するまで、13年の歳月を費やしたのは、有利な対米関係の構築をめぐって何度も住民投票を繰り返すなど国内政治に混迷が生じたからであった。
[小林 泉]
政体はアメリカの制度を参考にした共和制。4年任期の正副大統領は別々に選出される。2008年から正副大統領のペア制に変わったが、憲法改訂により2012年の選挙からふたたび元の制度にもどった。内閣は大統領が指名した大臣で構成する。議会は二院制で、上院は議席配分是正委員会によって選挙区と議席が定められる(2011年時点での議席数は14)。下院は16州から1人ずつ選出され、任期は4年である。パラオでは、伝統的な村落の枠組みがそのまま州に引き継がれており、州に1人いる伝統的酋長たちで構成する全国酋長評議会があり、これが伝統的な法や慣習に基づいて大統領に助言する諮問機関になっている。伝統酋長職は、政治的実権はないものの、政治・社会的権威はいまだに大きい。その象徴がパラオの南北をそれぞれ代表するコロールの「アイバドール」とマルキョクの「アルクライ」による二大酋長制にみられる。国家的な重要式典では、必ず大統領と同格で列席するところにも伝統権威の大きさが表れている。
自治政府の発足後、初代大統領が暗殺されるなど国内政治は混迷をきわめたが、4代目大統領クニオ・ナカムラKuniwo Nakamura(1943―2020、在任1993~2001)により政治混乱も終息した。アメリカとの自由連合協定にかかわる交渉にも決着がつき、1994年にようやく独立への要件が整った。ナカムラは憲法で定める限度の2期8年間大統領を務めた。その後の国内政治は、政争はあるもののそれほどの混乱に陥ることなく推移している。
[小林 泉]
「自由連合国は、憲法の下に主権を有するが、防衛と安全保障についてはアメリカが全面的権限と責任を負う。同時に、アメリカは15年間にわたり財政支援を行う」。これが、ミクロネシア三国(パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島)がアメリカと結んだ協定の骨子であるが、パラオについては付帯別協定のなかで、「アメリカは一定の土地、海域の軍事利用権を50年間確保する」とあり、協定内容は15年、30年、50年ごとに再検討するとされている。ただし、協定自体はどちらか一方の意思で自由に解消ができる。それが自由連合の名称由来である。
[小林 泉]
財政は、アメリカからの協定援助金(コンパクトマネー)を基本に成り立っている。独立後15年間に受領したコンパクトマネー総額は約4億5000万ドル。2010年には、第二次財政支援協定を結び、今後15年間で2億5000万ドルの供与を受ける約束を取り付けた。そのほか、日本や台湾からの援助も少なくない。このように公的部門への依存度は依然として高いが、インフラが整うにつれて観光開発のための外国資本が流れ込むようになった。美しい自然景観と人口が密集するアジア地域に近いという地理的有利性を備えているからである。年間観光客は2008年には8万人を超え、リゾート地としての地位を築きつつある。1人当りGNI(国民総所得)は8940ドル(2009)で、ミクロネシア諸国のなかでは群を抜く高さである。しかし、援助終了後もこの水準を維持するには、就労人口の3割が政府関係に従事している公経済体質から脱却しなくてはならない。政府が描く将来展望は観光業、漁業による産業化にある。使用通貨はアメリカ・ドル。
言語はパラオ語のほかに英語を話し、宗教はほとんどがキリスト教徒であるが、酋長制度が残存しているように、基層文化は女性子孫の系列で財産や称号が継承される母系制社会の伝統が息づいている。政府が目ざす産業化社会の実現は、親族集団の結びつきが強い社会構造のなかにアメリカ式個人主義による利点をいかにうまく取り込むかにかかっている。
教育制度は初等教育が8年、中等教育が4年で、教育言語は初等レベルではパラオ語と英語、中等レベル以上は英語が使用されている。初等教育の就学率は90%。国内の高等教育機関として、コロールに2年制のパラオコミュニティーカレッジがあり、看護師・教員養成コースや職業訓練、農業、刑法などのコースが設置されている。本格的な大学教育を求める者は、奨学金を得てグアムやハワイ、アメリカ本土の大学に進学する。国民の高等教育への進学率は約20%。
[小林 泉]
2012年で太平洋戦争後67年が経過し、日本語を話す世代はほとんどいなくなったが、日常の言葉や料理に日本の影響が色濃く残っている。ベントウ、ウンドウカイ、ジャンケンは現地語化し、巻き寿司や漬物も土着化した。日系人も多く、全パラオ人の2割強に日本人の血が流れている。日本軍「玉砕」の島となったペレリュー(ペリリュー)島やアンガウル島への日本からの慰霊行為はいまも続いている。
独立後の関係もきわめて良好で、日本から多くの観光客が訪れるほか、コロールと本島を結ぶ全長432メートルの日本・パラオ友好の橋をはじめ、日本のODA(政府開発援助)拠出は2009年(平成21)までの累積で224.56億円にのぼる。1999年(平成11)にパラオは東京に在日大使館を開設、日本もコロールに駐在官事務所を開設し、2010年には大使館に昇格させて大使を派遣した。
[小林 泉]
『佐藤良一著『パラオ海中ガイドブック』(2003・阪急コミュニケーションズ)』
基本情報
正式名称=パラオ共和国Republic of Palau
面積=459km2
人口(2010)=2万人
首都=マルキョクMelekeok(日本との時差=なし)
主要言語=パラオ語,英語
通貨=米ドルUS Dollar
西太平洋,ミクロネシアのカロリン諸島西端のパラオ諸島Palau Islandsが1994年に独立したもの。北のカヤンゲル島からバベルダオブ島,コロール島,ペリリュー島をへて南のアンガウル島まで一列に連なる。コロール島とペリリュー島の間には,日本人によってパラオ松島と名づけられた美しい小島が数多く存在するが,その大部分は無人島である。またアンガウル島の南には,ソンソロール,プルアナ,メリル(現在は無人島),トビの4離島がある。この4離島が行政上,パラオに含まれるようになったのはドイツ植民地時代以後で,パラオの伝統的政治組織には含まれていなかった。環礁であるカヤンゲル島と南方4離島を除き,安山岩系の火山島と隆起サンゴ礁から成る。高温多湿で年平均気温27℃,年平均降水量3700mmを記録する。5~10月は南西風,11~4月には北東風が卓越する。
人口の過半数は政治,経済,文化の中心であるコロール島に集まっている。住民はアウストロネシア語族に属するパラオ語を用いるパラオ人で,かつては二分原理を基礎とする複雑な社会組織を発達させた。とくにコロール島の大酋長アイバドールと,バベルダオブ島の東海岸マルキョク村の大酋長アルクライは,パラオ全村落を二分する二大連盟の長として権力を有していた。石製やガラス製の貨幣が重視され,戦争や結婚もその観点から行われた。母系を軸とする親族集団を有し,その親族儀礼は今なお重要である。
執筆者:青柳 真智子 16世紀にスペイン人に〈発見〉され,その後の1885年スペインがカロリン,マリアナ両諸島の領有宣言をした。しかしスペインは米西戦争(1898)に敗れ,99年両諸島をドイツに売り渡した。第1次大戦でドイツが敗れると,日本がミクロネシアの委任統治国となり,行政の中心である南洋庁をパラオのコロール島に置いた(南洋委任統治領)。島民には学校で徹底した日本語教育が行われたため,現在も60歳くらいから上の人は日本語が話せる。漁業,熱帯農業など産業的にも繁栄し,日本統治の要となる諸島であった。第2次大戦でペリリュー島は日米の激戦地だった。
戦後はアメリカ施政権下の国連信託統治領となった。1981年1月,独立を前提にパラオ諸島だけの自治政府が発足し,国名も正式名称としてパラオ共和国(ベラウ)とした。その際〈非核憲法〉を制定し,世界的注目を浴びた。近隣のミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国と同様に,アメリカと自由連合協定Compact of Free Association(外交と防衛権をアメリカがもち,15年間経済支援を行う)を結ぼうとしたが,憲法の非核条項をめぐって島民の意見が分かれ,83年から何度も住民投票が行われた。結局,アメリカに限っては非核条項を適用しないという憲法修正を行って,94年10月1日,自由連合協定が発効,独立した。初代大統領には父が三重県出身で日系のクニオ・ナカムラが選ばれた(1996年再選)。94年12月,国連に加盟した。
15年間で約5億ドルにのぼるアメリカの財政援助をもとに経済的自立を図ろうとしている。ホテル,レストラン,マリン・スポーツといった第3次産業に将来性があり,日系資本も進出している。観光客,ビジネス客は年間約4万人。日本からは季節チャーター便があり,日本政府は漁業,給水,配電などの経済協力を行っている。2006年首都をコロールからマルキョクに移転した。
執筆者:青木 公
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(大迫秀樹 フリー編集者/2015年)
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