一般均衡理論および新厚生経済学の開拓者的地位を占めるイタリアの経済学者,社会学者。パリに生まれ,トリノ理工科大学で自然科学系の学問を学んだ後,鉄道技師,製鉄会社支配人などを経て,1892年L.ワルラスの後継者としてローザンヌ大学教授になる。パレートはその著《経済学講義Cours d'économìe politique》(1896-97)において,理論的には基本的にワルラスの延長線上にあるが,実証的研究にすぐれたところを示し,とくに所得分布の不平等度に関するパレート法則の定式化はよく知られている。
しかし彼がワルラスから脱皮して独自な理論を構築したのは,《経済学提要Manuale di economia politica》(1906)においてである。そこにおいて彼は,ワルラスの限界効用概念を捨てて無差別曲線分析を展開した。これは,後にアレン,ヒックス,デブルーらへと続く選択理論の先駆的業績として高く評価されている。また,効用の可測性および個人間の比較可能性の仮定を排除しつつ,資源配分の最適性を定義するという,〈オフェリミテophélimité〉の極大,後にパレート最適と名づけられる概念を開発したのもこの著においてである。ローザンヌ大学退職後パレートは社会学的研究に没頭し,社会的存在としての人間の全体像をとらえようとする大著《一般社会学概論Trattato di sociologia general》全2巻(1916)を著した。そこでは民族主義的色彩が強く打ち出されており,イタリア・ファシズムの思想的源流とみなされることもある。
執筆者:林 敏彦
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イタリアの経済学者、社会学者。パリに亡命したイタリアの貴族の子として生まれる。10歳のときイタリアに帰り、大学では数学や工学を学んだ。卒業後技師や実業家となったこともあるが、のちに経済学の研究を始め、1893年に45歳でワルラスの後継者としてスイスのローザンヌ大学教授となり、15年間在職した。パレートの経済学はワルラスの一般均衡理論を受け継ぎ、消費理論では、基数的効用理論にかわって無差別曲線に基づく序数的効用理論を展開して、現代の消費者選択理論の基礎を築き、厚生経済学の面では、社会の経済的厚生の極大化についていわゆるパレート最適性の考え方を導入し、新厚生経済学への道を開いた。また所得分布については、統計調査に基づいてパレートの法則とよばれる所得分布の不平等度を示す経験的な経済法則を導出した。社会学にも強い関心を示し、ローザンヌ大学退職後はジュネーブで社会学の研究や執筆に従事した。彼の社会学は人間行動を合理的な行動としてとらえるだけでなく、不合理な行動の面をも重視したことから、イタリア・ファシズムの思想的源流になったという評価もある。主著は『経済学講義』全2巻(1896、1897)、『経済学提要』(1906)、『一般社会学提要』(1920)など。
[志田 明]
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1848~1923
イタリアの経済学者,社会学者。ローザンヌ大学の経済学教授となり,数理経済学にもとづき,均衡理論を練り上げた。またエリート論を展開して,議会制民主主義を批判した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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