ピサ(その他表記)Pisa

翻訳|Pisa

デジタル大辞泉 「ピサ」の意味・読み・例文・類語

ピサ(Pisa)

イタリア北西部の都市。アルノ川下流にあり、農業や羊毛工業が盛ん。ピサの斜塔があるドゥオモ広場は、1987年、世界遺産文化遺産)に登録された。

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精選版 日本国語大辞典 「ピサ」の意味・読み・例文・類語

ピサ

  1. ( Pisa ) イタリア北西部、トスカーナ地方の都市。アルノ川の河口近くにある。一一~一三世紀にはジェノバベネチアに対抗する共和国として繁栄。有名なピサの斜塔がある。ガリレイの生地。

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改訂新版 世界大百科事典 「ピサ」の意味・わかりやすい解説

ピサ
Pisa

イタリア中部,トスカナ州の都市。人口9万6763(1994)。ティレニア海に流れ込むアルノ川の河口から約10kmの両岸に発達し,中世からの伝統のある商業都市。現在はガラス,金属,機械製造も盛ん。大聖堂(ピサ大聖堂),洗礼堂,鐘楼(ピサの斜塔)は町の重要な観光資源になっている。

 ローマ帝政期,すでに重要な軍事基地の役割を担っていたピサは,造船で知られ,交易地でもあった。11世紀の初めイスラム勢力を追い払って西地中海へ進出し,コムーネが成立した。12世紀に入ると十字軍に参加し,東方貿易で富を得,後背地に領土を拡張した。さらにジェノバとティレニア海の覇権を争い,アルノ川の確保をめざすルッカ,フィレンツェと敵対するようになった。南イタリアやシチリア征服をもくろむ神聖ローマ帝国はピサが所有する船舶を必要としたため,ピサは皇帝と協力関係を結んでティレニア海の島々の統治を固め,1162年,フリードリヒ1世によりポルトベネレからチビタベッキアまでの沿岸地域の支配権が譲与され,最盛期を迎えた。ピサの毛織物業はマニュファクチュア化が進み,農村から多くの人口を吸収した。また交易は西地中海全域をカバーするようになった。

 船主であった都市貴族と,台頭した市民階級の市政権争いはピサの政治・経済力を弱め,内陸ではルッカ,フィレンツェの進攻にさらされ,1284年メロリアMeloriaの海戦でジェノバに敗北を喫し,ピサの海上の地位は失われた。ピサの衰退は続き,ついに15世紀の初頭,フィレンツェのメディチ家に征服された。トスカナ大公国時代には,大学が復興され学問が盛んに行われた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピサ」の意味・わかりやすい解説

ピサ
ぴさ
Pisa

イタリア中部、トスカナ州ピサ県の県都。人口8万5379(2001国勢調査速報値)。アルノ川の河口から13キロメートル上流に位置し、鉄道・道路交通の要衝である。かつては沼が多く、しばしばアルノ川の氾濫(はんらん)にみまわれてきたが、幾世紀にも及ぶ干拓事業によって豊かな農業地帯にかえられた。また工業に関しても、伝統的な羊毛工業、ガラス・陶器の製造に加えて、機械、化学、薬品、食品の諸工業が立地するようになった。ピサの名を世界的に有名にしているのは、ピサ大聖堂に付属する高さ約55メートルの鐘塔、いわゆる「ピサの斜塔」(1173~1350)である。その傾斜防止は、ベネチアの地盤沈下防止とともにイタリアの国家的課題となっていた。1990年、一般公開には危険な角度にまで傾斜したことにより閉鎖。以後11年にわたり修復作業が行われ、2001年工事が終了した。1343年創設の大学と、1813年ナポレオンによって設立されたスクォーラ・ノルマーレ・スペリオーレ(高等師範学校)がある。

[堺 憲一]

歴史

歴史は紀元前1世紀にさかのぼるが、ローマ時代の遺跡はほとんどない。紀元後9、10世紀から海上勢力として発展し、11世紀にはジェノバとともに西地中海のイスラム海軍を圧倒した。トスカナ地方の港として商業的に繁栄し、自治都市として発展した。13世紀末にはライバルであるジェノバに敗れ、コルシカやサルデーニャの支配権を失った。1406年にフィレンツェに征服された。文化的中心としてなお重要性を維持したが(ピサ大学)、経済的にはメディチ家が力を入れた港リボルノの興隆の前に衰退していった。

[清水廣一郎]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピサ」の意味・わかりやすい解説

ピサ
Pisa

イタリア中西部,トスカナ州ピサ県の県都。フィレンツェの西約 80km,リグリア海に注ぐアルノ川の河口から約 10kmさかのぼったところに位置する。前3世紀頃ローマの軍港として建設され,11世紀には最も貿易活動が活発な商業港として,ジェノバベネチアと並び称された。町は第1回の十字軍に加わり,艦隊はその後も各地で活躍したが,12~13世紀を繁栄の頂点に,以後しだいに衰微した。市街は中世の城壁によって囲まれる。冶金,繊維,ガラス,大理石加工の諸工業が盛ん。有名なピサの斜塔は 1173~1350年の建設で,294段の階段をもち,高さは約 56m。地盤がやわらかく,基礎工事が不完全だったことから傾斜が起こった。斜塔が付属しているピサ大聖堂は 1063年着工,白と黒の大理石でできており,ほかにピサ・ロマネスク様式の洗礼堂がある大聖堂広場は,1987年世界遺産の文化遺産に登録。12世紀建設でカンポ・サントと呼ばれる墳墓,1343年創立のピサ大学なども知られる。ガリレオ・ガリレイの生地。人口 8万7737(2006推計)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ピサ」の解説

ピサ
Pisa

イタリア中部トスカーナ地方の港湾都市。エトルスキによって建設され,前2世紀にローマに服属。ローマ帝国崩壊後,ランゴバルドフランクに支配される。11世紀に自治都市となり,地中海商業で繁栄。十字軍にも積極的に関与する。12世紀に最も繁栄するが,1284年にジェノヴァに敗れて弱体化。ミラノフィレンツェにあいついで服属したのち,16世紀以降トスカーナ大公国領となり,ガリレイを輩出するなど学術の町として繁栄した。

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百科事典マイペディア 「ピサ」の意味・わかりやすい解説

ピサ

イタリア中部,トスカナ州の都市。アルノ川河口から約10kmにある。中世からの伝統ある商業都市でガラス,金属,機械工業のほか,大理石加工が行われる。斜塔で有名なピサ大聖堂,ガリレイが学んだ大学(1343年創立)がある。ローマ時代,すでに造船で知られ,交易地であった。11世紀の初めにはイスラム勢力を追いはらって西地中海へ進出,12世紀に最盛期を迎えた。1284年ジェノバに敗れ,海上の地位を失ってしだいに衰えた。8万8000人(2006)。
→関連項目トスカナ[州]ピサのドゥオモ広場

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旺文社世界史事典 三訂版 「ピサ」の解説

ピサ
Pisa

イタリア北西部,トスカナ地方の中心都市
10世紀ごろから東方貿易を中心に繁栄,ジェノヴァ・ヴェネツィアと海上権を争い,13世紀末にジェノヴァに敗れて衰退。15世紀初めにメディチ家のフィレンツェに併合された。有名なピサ大聖堂がある。

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世界大百科事典(旧版)内のピサの言及

【サルデーニャ[州]】より

…内陸部のキリスト教勢力は11世紀になってようやく団結して,イスラム勢力と戦うようになり,1066年にカリアリのトルキトリオ・ディ・ラコン・ウナリ家の支配が確立した。同時にこの頃からピサ勢力の浸透が始まったが,やがてジェノバ勢力もピサに対抗して商業面および政治面でサルデーニャへの浸透をはかるようになり,13世紀にはピサおよびジェノバの両共和国の争いに,教皇,神聖ローマ皇帝,アンジュー家なども加わって,サルデーニャの政治状態はまったく混乱したものとなった。結果として,多くの都市がジェノバの影響下に入り,サッサリをはじめ,これらの都市の多くは自治都市として憲章をもつようになった。…

【商業】より

…これはこのころシチリアに進出し,ビザンティン帝国に脅威を与えていたノルマン人に対抗して,ベネチア船隊が皇帝に援助を提供したためである。一方,イタリア西岸のジェノバ,ピサなどはコルシカ,サルデーニャなどのイスラム勢力と戦い,スペインや北アフリカまで商業圏を拡大した。ノルマンのシチリア征服(1072年パレルモ陥落)によって東,西地中海が再結合され,イタリア,カタルニャ,南フランスの商人が活発に往来するようになった。…

※「ピサ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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