百科事典マイペディア 「フォンテイン」の意味・わかりやすい解説
フォンテイン
フォンテイン
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イギリスの女流舞踊家。本名はPeggy Hookham。幼時,ボストフに,次いで父の赴任先の上海でゴンチャロフに,ロンドンに戻ってアスタフィエバにバレエを学ぶ。1934年ビック・ウェルズ・バレエ団(のちのサドラーズ・ウェルズ・バレエ団。現在のローヤル・バレエ団)でデビュー,コール・ド・バレエから1年後にはプリマ・バレリーナとなった。20歳までに,《ジゼル》《白鳥の湖》《眠れる森の美女》などの古典を踊り,さらにF.アシュトン振付の新作バレエのすぐれた演舞者となる。59年までローヤル・バレエ団の花形として,その黄金時代を築いた。その後ヌレーエフと組んで新たに出発し,79年まで世界各国で踊った。1956年パナマの政治家ロベルト・マリアスと結婚,同年デームDameに叙せられた。59年以来踊り手として5回,82年には教師として来日。華麗なテクニックと美しい姿を通して人柄の暖かさを感じさせる演技に魅力がある。自伝《マーゴ・フォンテイン》がある。
執筆者:久保 正士
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イギリスのバレリーナ。サリー州ライガットに生まれる。サドラーズ・ウェルズ・バレエ学校卒業後、1934年『くるみ割り人形』でデビュー。サドラーズ・ウェルズ・バレエ団、ロイヤル・バレエ団の花形として多くの古典作品およびF・アシュトンの新作バレエに出演した。55年にロベルト・E・アリアス駐英パナマ大使と結婚、翌年デームに叙せられた。59年以後ゲスト・ダンサーとして世界各地で客演し、64年からはR・ヌレーエフとペアを組むことが多かった。76年引退後はロイヤル・バレエ団の教師、ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンシングの総裁を務めた。主演作品は数多いが、映画になったものに『ロイヤル・バレエ』(1960)などがある。
[市川 雅]
『湯河京子訳『マーゴ・フォンテーン自伝――愛と追憶の舞』(1983・文化出版局)』
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