ドイツの哲学者,心理学者。ビュルツブルク大学助教授,ウィーン大学教授を歴任した。ドイツ・オーストリア学派(独墺学派,ブレンターノ学派とも呼ばれる)の指導者で,その門下からは心理学者シュトゥンプ,言語哲学者マルティ,対象論のマイノング,現象学のフッサールらが輩出した。1864年にカトリックの司祭となったが,教皇不可謬説などに反対して,1873年に教会から離れ,80年にはウィーン大学正教授も罷免された。彼はアリストテレス研究から出発して,ドイツ観念論の思弁的性格を厳しく批判し,経験主義と実在論の立場から,形而上学を中心とする広範な哲学的諸問題を論述した。論理学,認識論,倫理学,美学,宗教などに関する約20冊の彼の著作は今も版を重ねて研究されているが,フッサール現象学などとの関連でとくに重要なのは《経験的立場からの心理学》(全3巻,第1巻1874)。
同書は,学問研究に必要な基盤は経験(とくに直接的知覚)と分析的な認識である,という立場に立って,心的現象(意識)の諸特徴や種類についての記述心理学的研究を行い,そしてそれを哲学的諸学科の基礎学たらしめようとしたもの。彼によれば心的現象を物理的現象から区別する決定的な特性は,前者だけが何らかの内容ないし客観に志向的に関係し,そしてそれら諸対象を内蔵している点にある。そしてまた自分自身の心的現象だけが,内的に知覚されうるものとして直接明証的な確実な存在領域でもある。彼はさらに心的作用(心的現象)を,表象と判断と情動(愛憎など)の三つに分類し,そして表象がもっとも基礎的な作用であり,すべての心的現象は表象であるか,または表象に基づいているとした。同書ではいまだ,志向される客観は,意識に内在する非実在的対象だとされていたが,後には実在的なものだけが表象可能であるとされ,意識に対する客観の超越的存在が強調されるようになる。意識の志向性という概念は現象学に重大な影響を与えた。なお,作家のC.ブレンターノ,経済学者のL.ブレンターノは,それぞれ叔父,弟にあたる。
執筆者:立松 弘孝
ドイツ後期ロマン派の詩人,小説家,劇作家。モーゼル河口のエーレンブライトシュタインに生まれた。父はイタリア系商人,母は女流作家ゾフィー・フォン・ラ・ロッシュの娘で,青年ゲーテが想いをよせたマクシミリアーネ。B.vonアルニムの兄。イェーナの大学時代に前期ロマン派詩人たちと交わり,文筆活動に入った。抒情的な天才肌で,異常に豊かな空想力と旺盛な創作力を発揮したが,不安定で分裂的な性格のため,明確な構成と造形性を欠いた。例えば自伝的小説《ゴドウィ》(1801)は,天上的愛と地上的愛との,絶望と信念との,夢と現実との両極間を揺れる詩人の心境を吐露するのだが,手紙や詩や機知的観察等の全く無秩序な羅列に終始している。ハイデルベルクではA.vonアルニムとドイツ歌謡集《少年の魔法の角笛》(1806-08)を共編して注目を浴び,またアルニムに協力して後期ロマン派の機関紙《隠者新聞》を刊行した(1808)。その廃刊後プラハやウィーン等で活動し,1814年からはベルリンに住み,牧師の娘ルイーゼ・ヘンゼルの感化で共にカトリックに改宗し,心の安定を得た。この頃から作風も簡素で写実的な描写に接近し,ドイツで最初の農村小説《けなげなカスパールと美しいアンナール》(1817)では,それが美しい実を結んだ。各地を転々とした後,最後はミュンヘンに滞在し,バイエルンのアシャッフェンブルクで没。童話作家としても多作だが,森と動物の美しい童話《ゴッケル物語》(1838)が傑出している。哲学者F.ブレンターノ,経済学者L.ブレンターノは甥にあたる。
執筆者:宮原 朗
ドイツの経済学者,新歴史学派の代表者の一人。詩人C.ブレンターノ,作家B.ブレンターノの甥,高名な哲学者F.ブレンターノの弟。大学では法律学,政治学を修めたが,1867年,統計学者E.エンゲルがベルリンで開設した国家学演習に参加したのを機に,しだいに労働問題に関心を寄せるようになった。処女作《現代の労働組合》2巻(1871-72)は,エンゲルとのイギリス旅行で収集した資料をもとに著されたものである。社会政策学会の創立(1872)に参画し,G.vonシュモラーやA.H.G.ワーグナーらとともにその主要メンバーとなるが,彼らのなかでは左派に位置し,いわば下からの社会改良を目ざしたところに彼の特徴がある。労働者の団結の自由を主張し,弱い立場にある労働者が組合をつくって一つの力となったときに初めて,ほんとうの意味での自由競争が出現すると考えた。このような自由主義的傾向は彼の通商政策論にも貫かれており,当時の保護関税政策に対抗して自由貿易を主張した。農業政策や人口政策の研究においても一家を成し,晩年は経済史の研究に没頭して《イギリス経済発展史》3巻(1927-29)ほかを著した。福田徳三は彼の高弟の一人であり,当時台頭しつつあった社会主義勢力に対抗して人間主義的な社会改革の必要性を説き,師ブレンターノの社会政策の日本での普及に努めた。
執筆者:間宮 陽介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツの心理学者、哲学者。ウュルツブルク大学助教授、ウィーン大学教授を歴任。ドイツ・オーストリア学派の指導者で、その門下からはシュトゥンプ、マイノング、フッサールらが輩出した。アリストテレス研究から出発して、ドイツ観念論の思弁的性格を厳しく批判し、後期になるほど実在論的立場を明確にした。学問研究に必要な基盤と認めていたのは、経験と分析的認識である。論理学、認識論、倫理学、宗教などに関する20冊余の著作はいまも版を重ねているが、フッサール現象学などとの関連で重要なのは『経験的立場からの心理学』全3巻(第1巻は1874年刊)である。同書の主題は、意識すなわち心理現象の本質特性や機能を内的知覚によって記述し解明することにあり、しかもこの記述的心理学を哲学的諸学科の基礎学とみなしていた。物理現象にはみられない心理現象に固有の特性とは、なんらかの対象に関係し、そしてそれを志向的に内蔵していることや、自己の心理現象だけが内的意識によって直接明証的に知覚されることなどである。また心的作用(=心理現象)を表象と判断と情動(愛憎など)の3クラスに分類し、表象をもっとも基礎的な作用だとした。なお前記の『心理学』では、志向される客観は意識に内在する非実在的な対象であるとされていたが、のちには実在的なものだけが表象可能であるとされ、意識に対する客観の超越的存在が強調されるようになる。
[立松弘孝 2018年10月19日]
『水地宗明訳『道徳的認識の源泉について』(『世界の名著62 ブレンターノ他集』所収・1980・中央公論社)』
ドイツ後期ロマン派の詩人。エーレンブライトシュタイン生まれ。父はイタリア系の豪商、母は若きゲーテが思いを寄せたマクシミリアーネ・ラ・ロシュ。1798年イエナ大学に遊学、シュレーゲル兄弟らのロマン派のサロンに出入りし、長編小説『ゴドウィ』(1800~02)を書いた。しかしあまり世間から相手にされず、1801年ゲッティンゲンに移り、のち彼の義弟となったアヒム・フォン・アルニムと親交を結ぶ。03年ゾフィー・メローと結婚。翌年ハイデルベルクへ居を移しアルニムの『隠者新聞』の発行に協力、また2人で収集・編集したドイツ民謡集『少年の魔法の角笛』三巻(1806~08)を刊行した。06年のゾフィーの死の翌年再婚したが数年後離婚。09~18年の間はおもにベルリンに住み、17年カトリックに改宗。その後数年間ある尼僧の看護をして暮らしたりしたが、尼僧の死後は転々と放浪生活を送り、33年ごろからは主としてミュンヘンに住んだ。
ロマン派の詩人のなかでもっとも豊かな才能に恵まれ、ギターを弾きながら即興で歌った歌がそのままみごとな詩になっていたといわれる。文学のほとんどすべての分野に筆をとった。推理小説風の『複数のウェーミュラー氏』(1817)、牧歌的な『けなげなカスペルルと美しいアンネルルの物語』(1817)、中世を背景にした『遍歴学生年代記』(初稿1803執筆、死後1923発表、第二稿1818発表)などの短編小説や、『ゴッケル、ヒンケル、ガッケライア』(1838)をはじめ多数の童話を書いた。戯曲では『ポンス・ドゥ・レオン』(1804)、『プラハ建設』(1815)などが有名。しかし彼がもっとも本領を発揮したのは叙情詩の分野で、彼の詩の美しく高い音楽的な響きは比類がない。生前一冊の詩集も出さなかったためか、その真価が認められたのは比較的新しく、ことにカトリックに改宗後の詩に高い評価を与えたのは、現代ドイツの詩人エンツェンスベルガーが最初である。書簡も文学的香気に満ちている。
[平井俊夫]
ドイツの経済学者。新歴史学派の代表者の1人。哲学者フランツ・ブレンターノの弟、詩人クレメンス・ブレンターノの甥(おい)。大学で法律学、政治学を学び、1871年以降ドイツおよびオーストリアの大学教授を歴任したのち、91年からミュンヘン大学教授(~1917)、同地で没。73年、G・シュモラー、A・ワーグナーらと社会政策学会を創設したが、何度かの渡英によってイギリスの自由主義思想や同国の労働組合運動から強い感銘を受けていたブレンターノは、同学会の右派とされるワーグナーとは異なって、社会改良は労働者の「下から」の自主的活動によって行われるべきであると説き、労働者の団結と組合活動の自由を主張し、J・S・ミルやJ・E・ケアンズの賃金基金説、F・ラッサールの賃金鉄則説には反対であったが、自由貿易説を擁護する点ではイギリス経済学の正統説にくみしていた。経済史、経済思想史の研究でも著名である。日本の福田徳三はブレンターノの高弟の1人。『現代の労働組合』Die Arbeitergilden der Gegenwart二巻(1871、72)、『イギリス経済発展史』Eine Geschichte der wirtschaftlichen Entwicklung Englands三巻(1927~29)のほか、多くの著書、論文がある。
[早坂 忠]
ドイツの作家。後期ロマン派の詩人ブレンターノの子孫。ジャーナリストとして活動ののち、評論『資本主義と文学』(1930)で社会批判的唯物論を肯定し、1933年から49年までスイスに亡命、そこでトーマス・マンと親交を結んだ。詩人の情熱と冷静な批評家精神の交錯がその創作活動を特徴づける。評伝『A・W・シュレーゲル』(1943)や『ゲーテとマリアンネ』(1945)、現代の回想記ともいえる小説『テオドア・ヒンドラー』(1936)およびその続編『フランツィスカ・シェーラー』(1945)、ほかに亡命時代の回想録(1953)や評論『文学と世論』(1962)などがある。
[谷川道子]
ドイツの女流詩人。初めイエナの法律学者F・E・K・メローと結婚したが1801年離婚、03年に詩人C・ブレンターノと再婚。シラーの主宰する雑誌に作品を寄稿した。詩、小説ともに独自性に乏しく、彼女の優れた才能は翻訳に発揮され、コルネイユの『ル・シッド』(1637)ほか、フランス、イタリア、スペイン、イギリスなどの多くの作品を翻訳した。夫クレメンスに彼女を歌った哀切な詩がある。
[平井俊夫]
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1844~1931
ドイツの経済学者。統計学者エンゲルに師事し労働問題に関心を寄せ,社会政策学会の設立には指導的役割を果たした。彼は労働者の団結権を認め,労働保険などの労働者保護を主張したが,これは自由競争を可能にするためであるとした点に特色がある。主著『イギリス経済史』3巻。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…ほぼ1世紀にわたる訓育主義の跋扈(ばつこ)の後に様相は一変する。フランスの文化的優位に対する反発から始まるドイツ・ロマン主義の動きは,自国の土と血に根ざしたものの探求に向かい,そこからC.ブレンターノらの童歌(わらべうた)の収集と,グリム兄弟の《子どもと家庭のための昔話集(グリム童話)》(第1巻1812)が生まれ,つづいて,デンマークでは昔話に美しい空想の翼をあたえたH.C.アンデルセンの《童話集(アンデルセン童話)》,さらにはノルウェーのアスビョルンセンP.C.AsbjørnsenとムーJ.Moeによる民話の収集(1837~44)が現れるのである。以下,各国の歴史をたどる。…
…ドイツの民謡・歌謡集(3巻,1806‐08)。ハイデルベルクにおいてA.vonアルニムとC.ブレンターノが協力して,古来の民謡や民謡風歌謡類約600編を収集編纂した。ナポレオンの支配下にある自国民に,民族の独自性と誇りを自覚させようとの願いがこめられていた。…
…この岩は古来山彦を起こすことで知られ,古名〈ルーレライ〉は〈待ち岩〉を意味し,こだま(エコー)を岩(ライLei)のそばで待ちうける(ルーレンlûren,lauern)ことに由来する命名という。またここに住み,歌声(エコー)で舟人を誘惑したという水の精ローレライの〈伝説〉は詩人の空想が伝説化したもので,ロマン派の詩人C.ブレンターノが物語詩《ローレ・ライ》(1801)の中で,男たちを魅惑して破滅させる美しい乙女にこの名を与えて以来,詩人たちはしばしばこの題材を採り上げて発展させた。とりわけハイネの詩《ローレライ》(1823あるいは1824)はジルヒャーFriedrich Silcher(1789‐1860)の作曲によって民謡のように広く親しまれ,日本でも〈なじかは知らねど心侘(わ)びて〉で始まる近藤朔風(さくふう)の訳詞で愛唱されている。…
…意識の本質性格を示す,フッサール現象学の術語で,現象学の研究領域全体を示唆する主要概念。彼の恩師ブレンターノは,〈対象の志向的,心的内在〉という中世スコラ哲学の用語を借用して,物理的現象と異なる心的現象の特性は,対象に関係し,志向的にそれを内蔵している点にあるとした。これに倣ってフッサールもまず最初は,志向性という術語で〈意識は常に何かについての意識である〉という,意識の静態的構造を表現した。…
…感覚,想像,記憶,悟性,感情,意志などは精神の能力として説明された。F.ブレンターノの作用心理学では,意識の内容よりも作用が重視された。彼によれば,ブントが考えたような要素は意識の内容を成しているにすぎず,その内容を内容たらしめる作用を研究するのが心理学であった。…
…この仕事を実行したのはG.シュモラーをはじめとする新歴史学派に属する人々である。
[新歴史学派]
新歴史学派の代表的な学徒としては彼のほか,A.H.G.ワーグナー,L.ブレンターノ,K.ビュヒャー,G.F.クナップらの名を挙げることができる。歴史学派はこの段階に至ってはじめて学派と呼ぶにふさわしいグループを形成するが,旧歴史学派を特徴づけた歴史哲学の要素はここでは影をひそめ,代わって没理論的な〈細目研究〉が盛んに行われるようになった。…
※「ブレンターノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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