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プリセツカヤ Plisetskaya, Maya

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

プリセツカヤ
Plisetskaya, Maya

[生]1925.11.20. ロシア=ソビエト社会主義共和国,モスクワ
[没]2015.5.2. ドイツ,ミュンヘン
ロシアのバレリーナ。フルネーム Maya Mikhailovna Plisetskaya。1943年ボリショイ・バレエ学校を卒業して,ボリショイ・バレエ団に入団。デビューの年から次々と成功を収めて 1945年プリマ・バレリーナに昇進,『白鳥の湖』のオデットのポル・ド・ブラ(腕の動き)の優雅さと,オディールの魔性を踊り分け絶賛を得た。あたり役はほかに『バフチサライの泉』のザレマ,『眠れる森の美女』のオーロラ姫,『スパルタクス』のエイジナ,『カルメン組曲』のカルメンなど。1970年代後半からは小グループを編成して世界各地をコンサート形式で巡演,モーリス・ベジャールの『イサドラ』,ローラン・プチの『ばらの死』など新作バレエを踊った。また振り付けも手がけ,バレエ版『アンナ・カレーニナ』(1972),『かもめ』(1980)を自作自演した。ボリショイ劇場の教師アサフ・メッセレルの姪にあたり,夫は作曲家のロディオン・シチェドリン。1949年ブダペスト民主青年国際コンクール金賞,1959年ソビエト連邦人民芸術家の称号を受け,1962年アンナ・パブロワ賞,1964年レーニン賞,1967年レーニン勲章,2006年高松宮殿下記念世界文化賞を受けた。名実ともに世界のプリマとして活躍した。(→バレエ

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百科事典マイペディアの解説

プリセツカヤ

ロシアの女性舞踊家。ボリショイ・バレエ団を代表するバレリーナの一人。モスクワに生まれ,モスクワ舞踊学校を卒業。短期間ワガノワにも学ぶ。学生時代からボリショイ劇場に出演し,独ソ戦最中の1943年ソリストとなる。

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世界大百科事典 第2版の解説

プリセツカヤ【Maiya Mikhailovna Plisetskaya】

1925‐
ロシアの女流舞踊家。モスクワに生まれ,1943年モスクワのボリショイ舞踊学校卒業。独ソ戦中からボリショイ劇場ソリストとなり,その美貌と高度の技芸,音楽性をもって古典およびソビエトの新作に主演,芸域の広さは無類で,劇場の上演目録中彼女が主要な役を演じないものは二,三を数えるにすぎなかった。しかもそれらの登場人物は彼女の手にかかると新しい生命の火が点ぜられ,さまざまな女性の心象風景を鮮やかに舞台に再現した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

プリセツカヤ
ぷりせつかや
Майя Михайловна Плисецкая Mayya Mihaylovna Plisetskaya
(1925―2015)

ロシアのバレリーナ。モスクワに生まれる。1943年ボリショイ・バレエ学校卒業後、同バレエ団に入り、1945年プリマ・バレリーナに昇格。『白鳥の湖』のオデット、『バフチサライの泉』のザレマ、『眠れる森の美女』のオーロラ姫、『スパルタクス』のエギナなど多くの役を踊った。腕の動きの繊細さ、力強く情熱的な表現力は抜群で、20世紀後半の代表的なロシアのバレエ・ダンサーといわれる。ユダヤ人グループの改革派に属し、M・ベジャール振付けの『レダ』『イサドラ』など新作バレエ作品にも積極的に出演する一方、振付けも手がけ、『アンナ・カレーニナ』『かもめ』などがある。1959年よりソ連邦人民芸術家、1964年にレーニン賞受賞。著書に自伝『闘う白鳥』(1994)がある。また何度も来日している。[市川 雅・國吉和子]

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