ボッティチェリ(英語表記)Sandro Botticelli

百科事典マイペディアの解説

ボッティチェリ

初期イタリア・ルネサンスの代表的画家。本名アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペピAlessandro di Mariano Filipepi。フィレンツェ生れ。フィリッポ・リッピに学び,ベロッキオポライウオロの影響のもとに初め写実を探究したが,のち美しい線描と優麗な色彩を特徴とする詩的で装飾的な画風に到達。代表的な作品は,《春》(1478年ころ,ウフィツィ美術館蔵),《ビーナスの誕生》(1485年ころ,同館蔵),《三博士の参拝》(1475年ころ,ウフィツィ美術館蔵)など。ダンテの《神曲》に描いたさし絵は線描家としての面目をよく表している。晩年サボナローラに帰依し,神秘主義的な傾向を強め,1501年の《神秘の降誕》(ロンドン,ナショナル・ギャラリー蔵)を最後に絵筆を絶った。
→関連項目ウフィツィ美術館システィナ礼拝堂ピエタファン・デル・フースフィレンツェ派メディチ

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世界大百科事典 第2版の解説

ボッティチェリ【Sandro Botticelli】

1445‐1510
イタリアの画家。フィレンツェ生れ。父は皮なめし業を営む。1462ころ‐67年,当時プラートにあったフィリッポ・リッピの工房で徒弟として修業。70年にはフィレンツェ市内で独立した工房を構え,70年代前半にはしだいに制作依頼が増えてきたもようである。この時期は,ベロッキオの影響を感じさせる繊細な写実主義を示している。70年代には,一般にこの時代の作とされる3点の《三博士の参拝》(ロンドンのナショナル・ギャラリーの2点,およびウフィツィ美術館のいわゆる《ラーマ家の礼拝》)制作を通じて,写実と理想との均衡のとれた様式と,盛期ルネサンス絵画を予告する端正な求心的構図法とを確立する。

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精選版 日本国語大辞典の解説

ボッティチェリ

(Sandro Botticelli サンドロ━)⸨ボッティチェルリ⸩ イタリア‐ルネサンスの画家。フィレンツェ生まれ。代表作「ビーナスの誕生」「春」など。晩年は、神秘主義的傾向を強め、ダンテの「神曲」の挿絵などを手掛けた。(一四四四頃‐一五一〇

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

ボッティチェリ
Sandro Botticelli

1444ごろ〜1510
イタリアの中期ルネサンスの画家
フィレンツェ生まれ。特異な画風により,ギリシア神話から題材をとった作品や宗教画を残した。メディチ家の援助を受け,代表作は「春」「ヴィーナスの誕生」。晩年はサヴォナローラから精神的感化を受け,神秘的な作品を描いた。

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世界大百科事典内のボッティチェリの言及

【ギリシア神話】より

…西欧世界の全面的なキリスト教化によって,ギリシア神話の神々は宗教的崇拝の対象としては死滅するが,前掲資料にとどめられた彼らの形姿はさらに後世に生きのび,とくにルネサンス以降は現在に至るまで文学,美術,音楽の分野で創造的な影響を及ぼしつづけている。ごく一部のとくに顕著な例にとどめるが,美術ではボッティチェリ,ティツィアーノ,ルーベンス,ベルニーニ,文学ではダンテ,ミルトン,ラシーヌ,ゲーテ,現代ではサルトル,コクトー,T.S.エリオットを,音楽ではグルック,ベートーベン,オッフェンバック,R.シュトラウスを挙げることができよう。 ギリシア神話についての解釈もギリシア自身に始まる。…

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