ルネサンス・イタリアの政治家。アルバノ司教で枢機卿のロドリゴ・ボルジア(後の教皇アレクサンデル6世)の庶子。1482年教皇シクストゥス4世の首席秘書官を皮切りに,最初は聖職者の道を歩み始める。父の教皇就任後,92年バレンシア大司教,93年枢機卿となり,教皇最良の相談相手となる。94年シャルル8世がイタリアを簡単に制圧し,力をまざまざとみせつける。この時の政治体制,国際外交や戦争がイタリアと彼に一つの転換の必要を悟らせる。95年教会国家の一拠点オルビエトに支配者として派遣され,また弟の暗殺の責任が問われたのを契機に,教会の位階を放棄して政治活動に専念する。フランス王からバレンティノ公爵位を授けられ,以後イタリアではこの肩書で呼ばれる。99年ナバラ王の妹シャルロットとの結婚後,集権的教会国家の確立を目指して,ローマに至る幹線道路沿いのロマーニャ地方の征服に本格的に取り組む。父の教皇の死後,教皇領国家の支配代官職ウィカリウスvicariusの称号を授けられたりはしたが,ユリウス2世時代には,政策などの違いから対立し,逮捕され,スペインに送られる。その地のビアナ城の攻囲中戦死する。彼はマキアベリに理想的な新君主と評価される一方,人々からは妹の夫や弟の殺害なを平然と実行できる冷酷非道の権勢家と批判されている。後者の批判の中には後の反スペイン的風潮の中で創作されたものも多い。
執筆者:佐藤 眞典
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