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モンロー Monro, Harold

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

モンロー
Monro, Harold

[生]1879.3.14. ブリュッセル
[没]1932.3.16. ロンドン
イギリスの詩人。ケンブリッジ大学卒業。『全詩集』 Collected Poems (1933) は T.S.エリオットの序文つきで出版されたが,詩人としてよりも雑誌『ポエトリー・レビュー』 (12) や書店 Poetry Bookshop (13~32) の創設者として重要。後者はイマジズムなど現代詩を育てる母体となった。

モンロー
Monro, Thomas

[生]1759
[没]1833.5.15.
イギリスの医師,画家。ロンドンの開業医であったが,J.ジャポルトの弟子として,ゲインズバラ風の絵を描き,風俗画家,美術家パトロンとして知られた。

モンロー
Monroe, Harriet

[生]1860.12.23. シカゴ
[没]1936.9.26. ペルー,アレキパ
アメリカの女流詩人,編集者。シカゴで新聞の劇評や美術批評に従事するかたわら詩作,1912年『ポエトリー』 Poetry誌を創刊,35年まで主宰して,T.S.エリオット,サンドバーグ,V.リンゼー,パウンドなど実験的な詩人の紹介に努め,新詩運動に貢献するとともに,第1次世界大戦前後のいわゆる「シカゴ・ルネサンス」の中心として活躍。主著,詩集『バリーリア』 Valeria and Other Poems (1892) ,『あなたと私』 You and I (1914) ,『詩選集』 Chosen Poems (35) ,評論集『詩人とその芸術』 Poets and Their Art (26,新版 32) 。そのほか詩劇集,自伝『ある詩人の生涯』A Poet's Life (38) がある。

モンロー
Monroe, James

[生]1758.4.28. バージニア,ウェストモーランド
[没]1831.7.4. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカの政治家,外交官。第5代大統領 (在任 1817~25) 。 1776年学業を中断してアメリカ独立戦争に参加。 80年より T.ジェファーソンのもとで法律を学んだ。 82年バージニア邦議会議員,83~86年大陸会議代表となり,州権を主張して連邦憲法制定には反対票を投じた。 90~94年連邦上院議員,94~96年フランス駐在公使,99~1802年バージニア州知事。 02年特命全権公使としてフランスに渡り,ルイジアナ買収に成功。 03~07年イギリス駐在公使。 11~17年 J.マジソン大統領の国務長官をつとめ,アメリカ=イギリス戦争 (12) では開戦を主張し,14~15年陸軍長官を兼任。 16年大統領に選出された。当選後リパブリカンズ (共和派) 1党支配のいわゆる「グッド・フィーリング時代」を迎え政党的対立はなく,20年にも容易に再選された。おりしもアメリカは一大飛躍期を迎え西部への発展もめざましいものがあったが,彼のおもな業績はフロリダ買収などの外交面にあり,23年 12月有名なモンロー主義を発表して,アメリカの伝統的外交政策の基礎をつくった。

モンロー
Monroe, Marilyn

[生]1926.6.1. ロサンゼルス
[没]1962.8.5. ロサンゼルス
アメリカの映画女優。ハリウッド最大のセックスシンボル。本名は Norma Jean Baker。 16歳で結婚し,まもなく離婚,写真のモデルなどで人気を得,1946年,映画会社の 20世紀フォックスと契約,芸名をマリリン・モンローとする。ジョン・ヒューストン監督の『アスファルト・ジャングル』 (1950) ,ジョセフ・マンキーウイッツ監督の『イヴの総て』 (50) ,などで認められ,ヘンリー・ハサウェー監督の『ナイアガラ』 (52) の「モンロー・ウォーク」で人気を博す。プロ野球選手のディマジオ,劇作家のアーサー・ミラーとの結婚・離婚を繰返し,62年8月5日,自宅で死亡しているところを発見された。死因については,自殺,事故死,他殺のいずれであったか,今なお多くの謎に包まれている。おもな作品には『紳士は金髪がお好き』 (53) ,『百万長者と結婚する方法』 (53) ,『帰らざる河』 (54) ,『ショウほど素敵な商売はない』 (54) ,『七年目の浮気』 (55) ,『バス停留所』 (56) ,『王子と踊子』 (57) ,『お熱いのがお好き』 (59) ,『荒馬と女』 (61) などがある。

モンロー
Monroe, Paul

[生]1869.6.7. インディアナ,ノースマジソン
[没]1947.12.6. ニューヨーク
アメリカの教育学者,教育史学者。フランクリン大学,シカゴ大学,ハイデルベルク大学で学び,1902年コロンビア大学教授,15年同大学学長,21年付属国際研究所所長をつとめ,37年東京で開催された第7回世界教育会議の議長をつとめた。『教育百科事典』 Cyclopaedia of Education (5巻,1910~13) を編纂したほか,『教育史教科書』A Textbook in the History of Education (05) ,『アメリカ公立学校制度の形成』 Founding of the American Public School System (40) などの著書がある。

モンロー
Monroe

アメリカ合衆国,ミシガン州南東部にある都市。州内で唯一のエリー湖岸の港。 1784年フランス系カナダ人の入植によって成立,フレンチタウンと呼ばれていた。 1817年 J.モンロー大統領にちなんで改名。付近は肥沃な農業地帯で,州南東部の中心地でもある。自動車部品,その他各種の工業が発達。人口2万 2902 (1990) 。

モンロー
Monroe

アメリカ合衆国,ルイジアナ州北東部の都市。ウォシトー川に面する。 1785年入植当時はフォート・ミロと呼ばれたが,1819年に現名に改称。付近に国内最大の天然ガス油田があり,約 1000km2に 2000以上の採ガス井をもつ。化学工業も発達。牧牛が行われ,綿実油なども産する。人口5万 4909 (1990) 。

モンロー
Monro, Alexander Primus

[生]1697.9.8. ロンドン
[没]1767.7.10. エディンバラ
イギリスの医師。ライデン大学で教えていた H.ブールハーフェの門下で,解剖学者であり外科医。 1720~64年,新設のエディンバラ大学医学部の解剖学および外科の初代教授。黄疸が胆管の閉塞によって起ることを証明し,多くの外科処置用具を創案するほか,骨の解剖などに業績を残している。

モンロー
Monro, Alexander Secundus

[生]1733.5.20. エディンバラ
[没]1817.10.2. エディンバラ
イギリスの解剖学者。 A.P.モンローの子。 1759~1808年,エディンバラ大学解剖学教授。父にまさる教師で学者であった。粘液嚢について業績を残しているほか,脳室間孔にモンロー孔 M.'s foramen,視床下溝にモンロー溝 M.'s sulcusの名を残している。

モンロー
Monro, Alexander Tertius

[生]1773.11.5. エディンバラ
[没]1859.3.10. クレーグロックハート
イギリスの医師。 A.P.モンローの孫で A.S.モンローの子。 1797年エディンバラ大学で学位を取得,ロンドン,パリに遊学後,エディンバラに帰って同大学に勤め,父と共同講座を担当したが,父の病後もその講座を担当,1817年に専任教授となり,46年引退した。祖父や父のような医学上の業績は残さずに終った。

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デジタル大辞泉の解説

モンロー(James Monroe)

[1758~1831]米国の政治家。第5代大統領。在任1817~1825。新旧両世界の相互不干渉をうたったモンロー主義を提唱した。

モンロー(Marilyn Monroe)

[1926~1962]米国の映画女優。性的魅力とナイーブさで人気を得た。出演作「ナイアガラ」「紳士金髪がお好き」「七年目の浮気」。

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百科事典マイペディアの解説

モンロー

米国の政治家。第5代大統領(1817年―1825年)。建国期に州,連邦の要職を歴任し,1803年にはルイジアナ購入をまとめ,1811年―1817年マディソン政権の国務長官を経て,大統領に。
→関連項目モンロビア

モンロー

米国の映画女優。本名ノーマ・ジーン・ベーカー。カリフォルニア州生れ。1946年映画界入り。《ナイアガラ》(1953年)での〈モンロー・ウォーク〉とこの年創刊された雑誌《プレイボーイ》に載った無名時代のヌード写真が大きな話題を呼んだ。
→関連項目ウォーホルゲーブルヒューストンホークスミッチャム

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世界大百科事典 第2版の解説

モンロー【James Monroe】

1758‐1831
アメリカ合衆国の政治家,第5代大統領。在職1817‐25年。バージニア州出身。建国期に州や連邦のさまざまな要職を歴任し,1803年には特使としてフランスと交渉に当たり,ルイジアナとよばれていた広大な西部地域の購入に成功した。11年から17年までマディソン大統領の下で国務長官を務めた後,リパブリカン党に推され大統領となり2期8年間在任した。1816年までには対抗政党のフェデラリスト党が衰えたため,モンローは2度とも対立候補なしで大統領に当選した。

モンロー【Marilyn Monroe】

1926‐62
アメリカの映画女優。ヒップのふくらみを強調してセクシーに腰を振って歩く〈モンロー・ウォーク〉で知られ,おそらくはハリウッド史上最大のセックス・シンボルとして記憶されるスターである。 本名はノーマ・ジーン・ベーカーNorma Jean Baker。私生児としてロサンゼルスに生まれる。母グラディス・ベーカーは精神障害の病歴があり,そのため孤児院や里親の家を転々として幼年時代を送った。16歳で結婚してまもなく離婚,写真のモデルとして各種の雑誌の表紙を飾って人気を得,1946年,週給125ドルで20世紀フォックスと1年契約を結び,ノーマ・ジーン・ベーカーからマリリン・モンローという名の女優となった。

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大辞林 第三版の解説

モンロー【Monroe】

〔Bill M.〕 (1911~1996) アメリカのカントリー歌手。ケンタッキー州生まれ。ブルーグラスとよばれる素朴なカントリー音楽を確立。「ケンタッキーの青い月」など。
〔James M.〕 (1758~1831) アメリカの政治家。1817年に第五代大統領に就任。南北州の融和と西部開拓の促進、モンロー主義の宣言などを行う。
〔Marilyn M.〕 (1926~1962) アメリカの映画女優。無邪気さにみちた性的迫力、天才性と劣等感を両棲させたアンバランスの魅力で人気を得た。自宅で変死。「紳士は金髪がお好き」「七年目の浮気」「バス停留所」など。

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世界大百科事典内のモンローの言及

【グラマー女優】より

…しかしことばそのものは流行語になるとともに風化していき,やがて30年代の〈セクシーな〉女優の大半が安易に〈グラマーガールglamour girl〉の名で呼ばれるに至り(その中には〈ベビー・バンプ〉とも呼ばれたメエ・ウェストもいた),また,38年には,ファッションの世界でも〈ベスト・ドレッサー〉の代名詞として使われるようになり,ブレンダ・フレーザーという黒髪の美女に〈グラマーガール〉のニックネームが付されて話題を呼んだ。戦後はグラマーということばの本来の意味がすっかりすたれ,ハリウッドでは,ときには〈知的なブロンド美女〉としてグレース・ケリーに〈グラマラス〉という形容詞が使われる一方,〈豊満な肉体のブロンド美女〉としてマリリン・モンローに〈グラマー〉の名が冠せられたりした。【柏倉 昌美】【広岡 勉】。…

【プレイボーイ】より

…1953年冬に,もと《エスクワイア》誌のコピーライターだったヘフナーHugh Hefner(1926‐ )がシカゴで創刊。独特の快楽主義で貫かれた内容,デザインと,毎号選ばれる〈職業臭を感じさせない〉若い女性のカラー・ヌード写真の折込み(創刊号では同年封切りの《ナイアガラ》で名が出ることになるマリリン・モンローを使った)を売りものにした。雑誌と並行して全米の主要都市につくられた〈プレイボーイ・クラブ〉は,豊かな乳房をもち,ウサギの衣装をつけた〈バニー・ガール〉によって関心を呼び,1960年までに同誌の広告収入は200万ドル,予約購読者は100万人に達し,〈プレイボーイ帝国〉が築かれていった。…

※「モンロー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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