リムスキーコルサコフ(読み)りむすきーこるさこふ(英語表記)Николай Андреевич Римский‐Корсаков/Nikolay Andreevich Rimskiy-Korsakov

デジタル大辞泉 「リムスキーコルサコフ」の意味・読み・例文・類語

リムスキー‐コルサコフ(Nikolay Andreevich Rimskiy-Korsakov)

[1844~1908]ロシアの作曲家。ロシア国民楽派五人組の一人。色彩豊かな管弦楽法で知られる。作品にオペラサドコ」、交響組曲「シェエラザード」など。

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精選版 日本国語大辞典 「リムスキーコルサコフ」の意味・読み・例文・類語

リムスキー‐コルサコフ

  1. ( Nikolaj Andrjejevič Rimskij-Korsakov ニコライ=アンドレービチ━ ) ロシアの作曲家。幼時から楽才を発揮し、一六歳のころバラキレフの紹介でロシア国民楽派「五人組」の一人となって活躍。ロシア国民主義音楽を発展させるとともに、ペテルブルク音楽院教授も勤めた。印象派的な全音階半音階を用い、色彩的な管弦楽法とはなやかな楽想を特徴とする。「管弦楽法原理」などの著書もある。代表作は交響組曲「シェエラザード」、オペラ「サトコ」「金鶏」、「スペイン奇想曲」など。(一八四四‐一九〇八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リムスキーコルサコフ」の意味・わかりやすい解説

リムスキー・コルサコフ
りむすきーこるさこふ
Николай Андреевич Римский‐Корсаков/Nikolay Andreevich Rimskiy-Korsakov
(1844―1908)

ロシアの作曲家で、バラキレフ、キュイムソルグスキーボロディンとともにロシア国民楽派「五人組」の1人。貴族の官吏の家に生まれ、幼時からピアノに親しむが、海軍士官の兄に倣い12歳でペテルブルグの海軍士官学校に入学、1862年までの6年間在学する間に、グリンカのオペラに触れ、バラキレフに作曲を学んだ。そのころ書き始めた交響曲第一番は65年に師バラキレフの指揮で初演され、作曲活動に入る。そのとき21歳の彼は「五人組」の一員となっていた。彼は続いて交響曲第二番「アンタール」(1868)、オペラ『プスコフの娘』(1868~72)でその地位を不動のものとするとともに、71年には軍籍(海軍大尉)のまま、ペテルブルグ音楽院の作曲と管弦楽法の教授となる。以後、生涯にわたり優れた教育者として、ストラビンスキーをはじめ数多くの音楽家を育て、またペテルブルグの音楽生活の中心人物となり、内外の音楽家は例外なく彼に会いに行くことになる。

 1873年から10年間、海軍軍楽隊指揮者を務め、やがて近代管弦楽法の大家となる素地をつくった。彼の三大管弦楽曲、『スペイン奇想曲』(1887)、東洋趣味に彩られた代表作の交響組曲『シェヘラザード』(1888)、ロシアの復活祭序曲『輝かしい日曜日』(1888)は、そうした土壌から一気に作曲された。その後ワーグナーの『ニーベルングの指環(ゆびわ)』に強い影響を受け、彼がもっぱら量産したオペラ――『サトコ』(1893~96)、『熊蜂(くまばち)の飛行』が入っている『サルタン皇帝の物語』(1899~1900)、『金鶏(きんけい)』(1906~07)など――にはその影響が色濃く認められる。なお、『金鶏』は当時の皇帝を批判したかどで、作者の死後まで上演が認められなかった。「五人組」で最年少の彼は、先輩たちの未完の作品、ボロディンの『イーゴリ公』やムソルグスキーの『禿山(はげやま)の一夜』に補筆したことからも明らかなように、ロシア国民楽派の総帥として以後のロシア音楽に深い影響を及ぼした。作品はほかに管弦楽曲、ピアノ曲、歌曲など多数。管弦楽法、和声法の著作のほか自伝(1909刊)も知られる。

[船山信子]

『服部竜太郎訳『リムスキー=コルサコフ自伝――わが音楽の生涯』(1952・音楽之友社)』『菅原明郎訳注『和声法要議』全二冊(1953・音楽之友社)』『井上和男著『ボロディン&リムスキー=コルサコフ』(1968・音楽之友社)』

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百科事典マイペディア 「リムスキーコルサコフ」の意味・わかりやすい解説

リムスキー・コルサコフ

ロシアの作曲家。幼年期から音楽に親しみ,ペテルブルグの海軍士官学校時代にモーツァルトグリンカのオペラを知る。同地で1861年にバラーキレフと知り合い,ロシア国民楽派(五人組)に参加。1871年には海軍大尉の軍籍を保ったままペテルブルグ音楽院の作曲法と管弦楽法の教授に就任し,立ち遅れていたロシア音楽のアカデミズム確立に尽力した。作品に,オペラ《雪娘》(1880年−1881年,改訂1895年ころ),《サトコ》(1895年−1896年),《金鶏》(1906年−1907年),3つの交響曲(1861年−1865年,1868年,1866年−1873年。3曲とものち改訂),管弦楽曲《スペイン奇想曲》(1887年),《シェエラザード》(1888年)など。管弦楽法の大家として知られ,とりわけ標題音楽に鮮やかな語り口をみせた。著書《管弦楽法原理》(1913年)は自作を例にした近代の代表的教科書。グラズノフリャードフストラビンスキーミヤスコフスキープロコフィエフ,またイタリア人レスピーギら,その門下からは多数の逸材が輩出している。→イーゴリ公ダルゴムイシスキーラベル
→関連項目イッポリトフ・イワーノフシェーラザード

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改訂新版 世界大百科事典 「リムスキーコルサコフ」の意味・わかりやすい解説

リムスキー・コルサコフ
Nikolai Andreevich Rimskii-Korsakov
生没年:1844-1908

ロシアの作曲家。ロシア国民楽派の一人であるが,長くペテルブルグ音楽院で教鞭をとり,ロシア音楽のアカデミズムの確立に貢献した。貴族の出身で海軍士官。1861年バラキレフらと知り合ってそのグループに入り,71年以降音楽院の教職に就き,職業音楽家の道に入った。70年代には民族主義的な初期のオペラ《プスコフの娘》《5月の夜》,そして《雪娘》(1881)などを作曲。80年代には音楽出版業で知られるベリャーエフの支持を得て,ロシア音楽界を指導する立場に立った。この時期ムソルグスキーボロジンの遺稿の整理に多くの時間を費やしながらも,自らは管弦楽法に新境地を開いて,《スペイン奇想曲》(1887),《シェエラザード》(1888)などを書いた。一時,創作上の停滞期を迎えたが,チャイコフスキーの死後(1893)ふたたび異常な創作力の回復をみせて,毎年のように新作オペラを発表した。そのなかには,《サトコ》(1896),《皇帝の花嫁》(1898),《皇帝サルタンの物語》(1900),《金鶏》(1907)など,今日まで上演される話題作も多い。晩年に書き残した回想録《わが音楽の生涯の年代記》は貴重な歴史的記録である。また《管弦楽法原理》(1913),《和声学教科書》(1885)は広く用いられている。グラズノフ,リャードフ,アレンスキー,ストラビンスキー,ミャスコフスキー,プロコフィエフ,アサフィエフなど数多くの弟子を育て,その後のロシア・ソビエト音楽の展開に計り知れない影響を残した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リムスキーコルサコフ」の意味・わかりやすい解説

リムスキー=コルサコフ
Rimskii-Korsakov, Nikolai Andreevich

[生]1844.3.18. チフビン
[没]1908.6.21. リューベンスク
ロシアの作曲家。ロシア国民楽派「五人組」の一人で,ペテルブルグ海軍士官学校在学中,1861年にミリー・A.バラキレフと知り合い,音楽家を志した。1871年ペテルブルグ音楽院の教授となり,1873~84年は海軍軍楽隊の監督を兼任,1886~1900年はロシアのシンフォニー・コンサートの指揮者を務めた。革命中は学生の味方として院長と対立,辞職して回顧録を執筆した。その後復職し,1907年にはパリのセルゲイ・パブロビッチ・ディアギレフ主催のロシア音楽祭に参加。幻想的な異国情緒に富む主題を好み,管弦楽法の権威として多くの近代作曲家に影響を与えた。主作品は管弦楽『スペイン奇想曲』 (1887) ,『シェエラザード』 (1888) ,オペラ『サドコ』 (1898) ほか室内楽曲,合唱曲,歌曲など多数。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「リムスキーコルサコフ」の解説

リムスキー=コルサコフ

ロシアの作曲家。「管弦楽法の大家」として知られるように、色彩的で描写的な管弦楽法は、ロシア内外の近代作曲家たちに多大な影響を与えた。
軍人の家系に生まれ、幼少から音楽に親しんだ。サンクト・ペテルブ ...続き

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「リムスキーコルサコフ」の解説

リムスキー・コルサコフ
Nikolai Andreevich Rimskii-Korsakov

1844~1908

ロシアの作曲家。海軍士官出身で国民楽派「五人組」の一人。華やかな管弦楽曲「スペイン奇想曲」「シェヘラザード」などが有名である。

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世界大百科事典(旧版)内のリムスキーコルサコフの言及

【ボリス・ゴドゥノフ】より

…初演は大成功であったが,批評界は賛否両論に分かれた。作曲者の死(1881)後,まもなく上演曲目から外されたが,96年にリムスキー・コルサコフが全面的に改訂した版を出版した。シャリアピンがボリスを当り役として世界的に親しまれるようになった。…

【ボロジン】より

…民族叙事詩によるオペラ《イーゴリ公》(未完。のちリムスキー・コルサコフグラズノフにより完成。初演1890),異国情緒にあふれた音画《中央アジアの草原にて》(1880)などの作品が有名。…

【ロシア国民楽派】より

… 文学ではチェルヌイシェフスキーやドブロリューボフを中心に《現代人》誌に集まったグループ,絵画では〈芸術家組合Artel’ khydozhnikov〉や〈移動展派〉のグループが生まれたが,それらと同様な立場にある。評論家スターソフが思想的中心となり,作曲家バラーキレフを指導者として,キュイ,ムソルグスキー,A.P.ボロジン,リムスキー・コルサコフらの作曲家が集まった。キュイは彼らの立場の宣伝者・批評家としても健筆を振るった。…

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