百科事典マイペディアの解説
ルートウィヒ[2世]【ルートウィヒ】
→関連項目ノイシュバンシュタイン城
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…840年のルートウィヒ1世の死後,その長子のロタール1世は皇帝位と同時にフランク王国全体に対する最高権を主張して,弟のルートウィヒ2世にはバイエルン1国に甘んずることを,また末弟のカール2世には相続領をアキテーヌ1国に縮小することを強要した。そのうえ彼は,恩貸地の大盤振舞によって,弟たちの家臣の多くを,自分の家臣に加えることに成功した。…
…文書史料にこの名が最初に登場するのは794年のことで,この年カール大帝は,ヨーロッパ全土から聖俗高位者をこの地に呼び集め,その王宮広間で,バイエルン大公タッシロ3世の廃位,キリスト猶子説と聖画崇拝の禁止など重要問題を討議した。ルートウィヒ1世(在位814‐840)は,王宮を改築し,以後東フランク諸王の主要な宮廷所在地となった。852年ルートウィヒ2世ドイツ人王は,そのかたわらに救世主礼拝堂を建て,856年ロタール2世(在位855‐869),887年アルヌルフ(在位887‐899)が,堂内で玉座に推戴された。…
…同市のビールは〈オクトーバーフェストOktoberfest〉とともに名高い。風光明媚のアルプス山地,中世都市の面影を濃く残すロマンティッシェ・シュトラーセ,ルートウィヒ2世のノイシュワンシュタインNeuschwanstein城など,観光資源にも富む。
【歴史】
[バイエルン大公国の成立]
アルプス以北の高原地帯には,紀元前1千年紀の半ば以降ケルト人が住み,ドナウ川流域の大都市マンヒングをはじめ,ここにもラ・テーヌ文化が栄えていた。…
※「ルートウィヒ[2世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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