ワイル

デジタル大辞泉 「ワイル」の意味・読み・例文・類語

ワイル(Hermann Weyl)

[1885~1955]ドイツの数学者。数学基礎論から理論物理学にわたる幅広い研究を行い、微分幾何学や群論を応用して相対性理論量子力学の研究に貢献した。

ワイル(Kurt Weill)

[1900~1950]ドイツ生まれの米国の作曲家。オペラにジャズやポピュラー音楽の要素を取り入れた劇場用音楽を作曲。作品に「三文オペラ」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ワイル」の意味・読み・例文・類語

ワイル

  1. [ 一 ] ( Hermann Weyl ヘルマン━ ) ドイツの数学者。のち、アメリカに移住。数学全般および理論物理学にわたって多くの先駆的かつ基本的な業績がある。主著「空間・時間・物質」「群論と量子力学」など。(一八八五‐一九五五
  2. [ 二 ] ( Kurt Weill クルト━ ) ドイツ生まれのアメリカの作曲家。娯楽的な舞台音楽を手がけ、代表作にドイツ時代にブレヒトと組んでつくった「三文オペラ」がある。(一九〇〇‐五〇

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百科事典マイペディア 「ワイル」の意味・わかりやすい解説

ワイル

ドイツ生れのユダヤ系作曲家。生地デッサウで早熟な才能を伸ばし,ベルリンフンパーディンクに学ぶ。各地の劇場で働いたのち,マーラーシェーンベルクの影響の濃い《交響曲第1番》(1921年)を発表。1921年−1924年ブゾーニに学び,また指揮者F.ブッシュ(A.ブッシュ)の紹介で劇作家カイザーを知る。その台本によるオペラ《主役》(1926年)でジャズの語法を取り入れ,後期ロマン派の美学と訣別(けつべつ)。1927年,劇作家ブレヒトとの協同作業を開始し,《三文オペラ》(1928年)のための音楽,オペラ《マハゴニー市の興亡》(1930年)などを発表。辛辣(しんらつ)な社会風刺と既存のオペラ批判を展開した。ナチス政権の成立とともに1933年パリに亡命し,ブレヒトとの最後の仕事,歌付きバレエ《7つの大罪》(1933年)を完成。1935年にはロンドンを経てニューヨークに渡り,1943年米国籍を取得。渡米後はブロードウェーの人気作曲家となり,《ニッカボッカ・ホリデー》(1938年)ほか約10曲のミュージカル,映画音楽を残した。ほかに,《バイオリン協奏曲》(1925年),《交響曲第2番》(1934年)など。夫人は女優,歌手のロッテ・レーニャ〔1898-1981〕。
→関連項目クレンペラーナッシュミルバ

ワイル

ドイツの数学者。ゲッティンゲン大学を出て1913年チューリヒ工科大学教授,1933年渡米してプリンストン高等研究所員,チューリヒで死去。解析学,群論,リーマン面積分方程式,数学基礎論等多方面な業績をあげ,微分幾何学の相対性理論への応用,群論の量子力学への応用など理論物理学にも貢献。
→関連項目統一場理論

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワイル」の意味・わかりやすい解説

ワイル(Hermann Weyl)
わいる
Hermann Weyl
(1885―1955)

ドイツ生まれの数学者。19歳のときゲッティンゲン大学へ入学。一時ミュンヘン大学で聴講したこともあるが、23歳のとき積分方程式の研究によってゲッティンゲン大学より学位を得、1910年同大学私講師、1913年、28歳でチューリヒ工科大学教授。1926年から1927年にかけてゲッティンゲン大学客員教授、1928~1929年アメリカのプリンストン大学客員教授を務めたのち、1930年ゲッティンゲン大学教授となる。しかし1933年、アメリカにプリンストン高等研究所が創立されたとき招かれてその教授となる。1951年に研究所を辞してスイスへ帰った。1955年チューリヒで死去。

 ワイルの仕事は、数学基礎論、群論、微分幾何学などの純粋数学の分野から、哲学、物理学、とくに統一場理論と量子力学の分野まで、非常に広い範囲にわたっている。

 とくに微分幾何学の分野へ擬似接続の考え方を導入し、いわゆる統一場理論、すなわち重力場と電磁場を統一した形で論じうるような理論をつくるために、計量テンソルの共変微分が計量テンソルそれ自身に比例するような構造をもった空間を考えた。いわゆるゲージ変換はこのなかに初めて現れた。この種の空間はワイル空間とよばれている。

矢野健太郎


ワイル(Kurt Weill)
わいる
Kurt Weill
(1900―1950)

ドイツ生まれのアメリカの作曲家。3月2日、ユダヤ教会カントルの息子としてデッサウに生まれる。ベルリン芸術アカデミーでブゾーニに学ぶ。二曲の交響曲、一曲のバイオリン協奏曲、一曲のチェロ・ソナタのほかはほとんど器楽曲には手を染めず、自ら語るように、その一生を「時代の演劇とより高度な音楽形式を結び付ける」ことに捧(ささ)げた。初めは『立役者』(1926)、『皇帝は写真をとらせる』(1928)でゲオルク・カイザーと組んだが、ブレヒトとの仕事『三文オペラ』(1928)、『マハゴニー市の興亡』(1930)などにより、その名声を決定づけた。とくに『三文オペラ』は「メッキ・メッサー」のメロディとともに世界的に大ヒットしたが、ナチス台頭により1933年に亡命、パリに滞在したのち、35年からアメリカに定住、43年には帰化した。ブロードウェーの作曲家として「セプテンバー・ソング」を含む『ニッカーボッカー・ホリデー』(1938)をはじめ、『レディ・イン・ザ・ダーク』(1941)、『ラブ・ライフ』(1948)などを発表したが、50年4月3日ニューヨークに没した。

[細川周平]

『ワイル・G・グナー著、岩淵達治訳『ヴァイルとブレヒト――時代を映す音楽劇』(1986・音楽之友社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワイル」の意味・わかりやすい解説

ワイル
Weyl, Hermann

[生]1885.11.9. ハンブルク近郊エルムスホルン
[没]1955.12.8. チューリヒ
ドイツの数学者。純粋数学と理論物理学の接続に大きな仕事をした。ゲッティンゲン大学で数学を学び,D.ヒルベルトの指導を受けた。同大学卒業後私講師,その後チューリヒのスイス連邦工科大学教授となり (1913) ,そこでアインシュタインと知合った。ワイルの仕事のきわだった特徴は,互いに無関係と思える領域を関係づけ,統一することであり,それは青年期の傑作『リーマン面の理念』 (13) に現れている。この本は関数論と幾何学とを統一する新しい学問領域をつくりだした。相対性理論について講義をまとめた『空間・時間・物質』 (18) は,相対性理論に対して彼がいかに深い理解をもっていたかを示している。電磁場と重力場を空間-時間の幾何学的性質としてとらえ,両者を統一する概念として統一場の理論をつくった。また,行列表現を用いて連続群論を展開した (23~38) 。これらの研究は『群論と量子力学』 (28) および『古典的群』 (39) にまとめられている。前者は理論物理学者たちの関心をひき,量子力学の研究において群論を使うことを流行させ,後者は典型的な教科書として,現在でも多くの読者をもっている。また,『数学と自然科学の哲学』 (27) において数学の基礎の問題を扱った。ゲッティンゲン大学教授となる (30) が,同僚の多くがナチスによって追放されるのをみてドイツを離れる決心をし,1934年からプリンストン高級研究所教授となり,51年に退職するまで,プリンストンにとどまる。退職後スイスに帰った。

ワイル
Weill, Kurt

[生]1900.3.2. デッサウ
[没]1950.4.3. ニューヨーク
ドイツ生れのアメリカの作曲家。ベルリンの国立音楽学校に学び,1921~24年には F.ブゾーニに師事。初め抽象的な器楽曲の作曲を志したが,オペラ作曲家として注目された。 28年に B.ブレヒトの協力を得て,イギリスの J.ゲイ原作の『乞食オペラ』の翻案である『三文オペラ』の作曲をし,夫人ロッテ・レーニヤの主演で上演。しかし革命的な思想と音楽理念をもつユダヤ系の彼はナチスに追放され,パリ,ベルリンを経て 35年にニューヨークに定住。 43年アメリカ国籍を取得し,ブロードウェーやハリウッドで,ミュージカルや映画音楽を作曲した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ワイル」の意味・わかりやすい解説

ワイル
Claus Hugo Hermann Weyl
生没年:1885-1955

ドイツの数学者,物理学者。ホルシュタイン地方のエルムスホルンに生まれ,近くの町アルトナのギムナジウムを経て1904年にゲッティンゲン大学へ進み,08年に卒業,引き続き無給講師となる。1911年から12年にまたがる冬季学期の講義では,ワイヤーシュトラス流の関数論とリーマン流の関数論とを融合して,新しい分野を開拓した。これは《リーマン面の概念》という名で13年に公刊された。この年にチューリヒ工科大学の教授になった。このころにはA.アインシュタインの相対性理論に関心をもち,重力場と電磁場とを統合した統一場の理論を発表,それを示したのが18年の著書《空間,時間,物質》である。26年にゲッティンゲン大学の教授になった。このときには群の表現論に関心を寄せていた。連続群を行列で表現することについての一般論を樹立し,量子論の研究に貢献した。このことをまとめたものが《群論と量子力学》(1928)である。しかし,ヒトラーの政策に耐えられなくなり,アメリカのプリンストン高等研究所からの招聘(しようへい)を機に1933年にアメリカへ渡った。息子のヨアヒムJoachimと有理型曲線を研究し,その成果をまとめたものが《有理型関数と解析曲線》(1943)で,これは数学界に新風を吹き込んだ。
執筆者:


ワイル
Kurt Weill
生没年:1900-50

ユダヤ系ドイツ人の作曲家。ベルリン高等音楽学校でブゾーニに師事。1920年代前半から,前衛的な作風をもった若手として知られるが,その名声はブレヒトとの共同作業による《三文オペラ》(1928)によって確定した。また,同じコンビによる《マハゴニー市の興亡》(1930)は賛否両論の話題作であった。33年パリに亡命,35年ニューヨークに移り定住。ブロードウェーの作曲家として,《ジョニー・ジョンソン》(1936),《ニッカボッカ・ホリデー》(1938。この中で歌われた《セプテンバー・ソング》がヒットした)など,約10曲のミュージカルを残す。本質的に音楽劇作曲家で,ブレヒトのほかオペラではG.カイザー,ミュージカルではM.アンダーソンらの優れた台本を得る。芸術音楽と大衆音楽の両者から霊感を受けている。
執筆者:

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世界大百科事典(旧版)内のワイルの言及

【映画音楽】より

…《詩人の血》《自由を我等に》など),F.ホレンダー(1896‐1976。《嘆きの天使》など),K.ワイル(《三文オペラ》《真人間》など),ショスタコービチ(《呼応計画》),H.アイスラー(《新しい大地》《外人部隊》)らが活躍した。さらにイギリスのドキュメンタリー映画の分野では,カバルカンティと組んだE.B.ブリテン(《コールフェース》など)をはじめ,A.ローソーン(1905‐71。…

【三文オペラ】より

…同年8月ベルリンのシッフバウアー劇場で初演されると爆発的な成功を収め,以後世界各地で上演された。1728年にロンドンで上演されたJ.ゲイ作のバラッド・オペラ《乞食オペラ》に素材を借りたブレヒトの台本に,K.ワイルが9人のジャズ・バンドを用い,ジャズの手法を効果的に使った音楽をつけた。《殺人物語歌Moritat》をはじめ,多くの有名な歌を含んでいる。…

【ミュージカル】より

…これはミシシッピ川を往来するショーボートをおもな舞台にして,一座の座長の娘と流れ者の賭博師とのロマンスを描いたものであるが,同時に,人種差別のせいで不幸になる一座の花形女優の物語をも扱い,黒人がおおぜい登場する点,また,個々のナンバーがプロットと緊密につながっている点で,画期的な作品だった。カーンにやや遅れて現れ,第2次大戦前の時期に,あるいは戦後まで,活躍したおもな作曲者は,I.バーリン,G.ガーシュウィン,K.ワイル,C.ポーター,R.ロジャーズなどである。バーリンは詞も書き,最初はおもにレビューの仕事をして無数のヒット・ソングを生んだが,射撃が巧みな娘を主人公にした野趣と生気の充満する《アニーよ銃をとれ》(1946)によって,本格的なミュージカルでも優れた業績を残した。…

【統一場理論】より

…この意味で一般相対性理論は重力場およびその相互作用を時空の幾何学に帰着させたということができる。一般相対性理論が提出された直後の1918年,H.ワイルは,重力場とともに電磁場をも一つの幾何学から導く理論を発表した。このような,重力場だけでなく電磁場も空間の性質に帰着させる考え方を統一場理論と呼ぶ。…

※「ワイル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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