七時雨山(読み)ナナシグレヤマ

日本歴史地名大系 「七時雨山」の解説

七時雨山
ななしぐれやま

西根町と二戸郡安代あしろ町にまたがる標高一〇六〇メートルの山で、中央部の安代町域に田代たしろ平とよばれるカルデラが広がる。正保国絵図に七シキリ山とみえる。山麓の寺田てらだ白坂しらさか観音堂や沢両たくりよう寺が配置されていたことから、山岳宗教の霊場と考えられ、また元慶二年(八七八)に勃発した元慶の乱にあたり、坂上好蔭の率いる兵二千が通った「流霞道」は(三代実録)、七時雨山に開かれた準官道であったとする説がある。江戸時代に入り、寺田村と荒屋あらや(現安代町)の四里余を結ぶ鹿角かづの街道が開かれ、山麓の白坂から同山中腹で標高七〇〇メートルの車之走くるまのはしり峠を経て荒屋村に至る道筋が整備された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「七時雨山」の意味・わかりやすい解説

七時雨山
ななしぐれやま

岩手県北西部,八幡平市東部にある火山。標高 1063m。八幡平から分岐して東に延びる火山列の一つで,火山噴出物からなるなだらかな広い裾野をもつ。かつてこの山麓に陸奥北部と出羽北部を結ぶ「流霰路 (ながれしぐれみち) 」が通じていた。盛岡藩時代は尾去沢鉱山 (秋田県) -盛岡間の輸送路として使われ,南麓の寺田は宿場集落として栄えた。 1878年平館より松尾,荒沢を経由する津軽街道改良によって流霰路は衰退。広い裾野は古くから南部馬産地。近年は酪農業が発達。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「七時雨山」の意味・わかりやすい解説

七時雨山
ななしぐれやま

岩手県北西部、八幡平市(はちまんたいし)にある山。標高1063メートル。八幡平から分岐する七時雨火山横列で、なだらかな裾野(すその)を引いている。山麓(さんろく)は古くから南部馬(なんぶうま)の産地であった。北麓の田代平(たしろたい)は草地で放牧場となっており、酪農も盛ん。なお、古代には山麓を陸奥(むつ)と出羽(でわ)を結ぶ流霰路(ながれしぐれみち)とよばれる道路が通じていたという。江戸時代には盛岡、平館(たいらだて)、寺田を経て荒屋(八幡平市)に至る道が通り、南麓の寺田は宿場集落として栄えた。

[川本忠平]

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事典 日本の地域遺産 「七時雨山」の解説

七時雨山

(岩手県八幡平市)
日本山岳遺産」指定の地域遺産。
七時雨山(ななしぐれやま,標高1063m)は、麓を岩手と秋田をつないだ鹿角街道が通り、山と人の歴史を感じる山。〔支援団体〕七時雨ロマンの会。〔活動内容〕登山道の整備や山と史跡に触れるツアーを開催。地元小学生を対象に山麓を流れる染田川での環境教育活動

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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