三柱神社(読み)みはしらじんじや

日本歴史地名大系 「三柱神社」の解説

三柱神社
みはしらじんじや

[現在地名]三橋町高畑

高畑たかはたけ地区の西方、柳川市境にある。江戸時代には柳川城下北東に位置していた。社名祭神として戸次道雪(鑑連)、その後継となった立花宗茂、宗茂の妻で道雪の娘千代が祀られていることに由来する。もともと道雪は天明四年(一七八四)に梅岳霊神の神号を贈られ柳川城内の梅岳ばいがく宮に祀られており、宗茂と千代は文政三年(一八二〇)にそれぞれ松陰霊神・瑞玉霊神の神号が贈られ、唯一ゆいいつ宮に祀られていたが、同六年一月に梅岳宮に遷宮合祀され、三柱神社となった。同八年城下北東の現在地に新宮造営が開始され、翌年八月に遷宮が執り行われた(「旧柳河藩誌」など)。同一二年には境内に八十臣霊社が建立されている(「柳河年表」県史資料五)

三柱神社
みはしらじんじや

[現在地名]橿原市膳夫町小字古瀬田

膳夫かしわて集落南端にあり、膳夫かしわで寺の後身と伝える保寿ほじゆ院に隣接する。祭神は火産日ほむすび神・奥津比古おきつひこ神・奥津比売おきつひめ神。旧村社。「大和志」に「膳夫村坐神祠、称曰荒神与出合村共祭、域内有虚空蔵寺一名神宮寺」とみえ、永正一八年(一五二一)三月一〇日の護国院御神殿造営銭日記(談山神社文書)にも、膳夫荘内に「宮田 虚空蔵田」の御免地を記す。

三柱神社
みはしらじんじや

[現在地名]佐々町羽須和免

しやもと鎮座。古くは三尊さんそん大明神・三社大明神などと称した。旧郷社。祭神は素戔嗚尊・大己貴命・稲田姫命。貞元二年(九七七)古川氏が古川ふるかわ岳に三尊大明神を創祀したことに始まると伝え、建武二年(一三三五)山麓に、応永三三年(一四二六)には山王さんのう山に移ったという。室町期は平戸松浦氏の崇敬を受けたとされ、境内に接して東光寺山とうこうじやま城が築城された。慶長四年(一五九九)の再興棟札に松浦源三郎信などと記されるので、平戸藩主の寄進になるものであろう。

三柱神社
みはしらじんじや

[現在地名]金木町川倉 林下

川倉かわくら集落の西側にある。祭神は大山祇命・大国主命・水波女命、旧村社。祈年祭四月一二日、例祭五月一二日、新嘗祭一二月二日である。安政二年(一八五五)の神社微細社司由緒調書上帳(最勝院蔵)には、四月一二日神楽執行、九月一二日祈祷執行とある。

延宝九年(一六八一)の堂宮神主山伏行人之覚によると「従古来跡有之開基之年号不知」とあり、神社微細社司由緒調書上帳の川倉村産神三社権現の条に「右建立年月不詳候得共延暦年中之頃より宮建御座候」とあり、明治八年(一八七五)の復社願には「寛文十二年村中ニテ勧請」とあるが、創建年代不詳である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の三柱神社の言及

【三橋[町]】より

…米作のほか,ナスやレタスのハウス栽培が盛んで,イグサの栽培・加工も行われる。柳河藩祖立花宗茂などをまつる三柱(みはしら)神社は桜の名所で,柳川の川下りの発着場ともなっている。西部を西鉄大牟田線が通じる。…

※「三柱神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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