日本に伝えられた朝鮮半島3国(新羅,百済,高句麗)の楽舞。それぞれ新羅楽,百済楽,高麗楽(こまがく)という。伝来の経緯は定かでないが,《日本書紀》は允恭天皇の葬礼に際して新羅王が楽人80名を遣わしたと伝える。これは外国楽に関するもっとも古い記録であるが,そのとき限りのものであったのか継続的に教習,伝承されたのかは不明である。百済楽についての最古の記事は同書欽明天皇15年に4名の楽人の交替を述べるもので,それまでに伝来していたことがうかがえる。また高麗楽の伝来は推古朝であるという伝承が楽家のあいだにはあったようだが,何にもとづくものであるのか明らかでない。いずれにせよ《日本書紀》は,683年(天武12)に高麗・百済・新羅3国の楽を庭中に奏したと伝えており,それまでに三国楽のすべてが伝えられていたと推定される。楽器は,百済楽は6孔の横笛,箜篌(くご)(百済琴),莫目(まくも)(莫牟とも書く。気鳴楽器であったと思われるが詳細は不明)の3種,新羅楽は新羅琴(伽倻琴),また高麗楽は箜篌(百済楽の竪箜篌と異なり臥箜篌)であることが文献や正倉院の遺品によって知られるが,詳細については不明である。これら3国の楽は8世紀後半ごろから,〈大唐の楽〉に対して〈高麗の楽〉と総称され,9世紀のいわゆる楽制改革後には渤海楽をも含めて右方に一括され,独自の楽器も多くは唐楽風に改められた。今日の高麗楽の個々の楽曲が3国および渤海のいずれの系統に属するのかを特定することは困難である。
→雅楽
執筆者:田辺 史郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…元来は古代の日本に伝来した大陸系諸楽舞のうち,高句麗からのものを高麗楽と称した。この高麗楽は,新羅楽・百済楽とあわせて三韓楽と総称され,現行の高麗楽の母体となったものである。高句麗直伝を意味する〈高麗楽〉の用例は,雅楽寮の記事に多くみられる。…
…高句麗の楽舞は高麗楽(こまがく)という名で日本にも伝えられ,箜篌(くご),横笛,莫目(まくも)(おそらく管楽器の一種。現存しない)を使用し,百済楽,新羅楽と合わせて三韓楽と呼ばれた。百済の音楽は,史料が最も少ない。…
…これが文献上明らかにされている日本における外国音楽教習の最初である。その後,高句麗(こうくり)(新羅,百済の音楽と合わせて三韓楽といった),唐,度羅(とら)(今のタイ国メナム川流域にあった古代国家であるとする説が有力),林邑(りんゆう)(今のベトナム中部),渤海(ぼつかい)(今の中国東北部)などの諸国から外来楽舞が相ついで輸入され,日本人によって演奏されるようになった。他方では,前代の祭祀楽舞をはじめ原始日本の音楽は,しだいに前述の外国音楽の影響を受けて整理・改編された。…
※「三韓楽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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