日本に定着した朝鮮系統の楽舞で,雅楽の主要種目の一つ。通常は唐楽に対する語として用い,狛楽とも記す。元来は古代の日本に伝来した大陸系諸楽舞のうち,高句麗からのものを高麗楽と称した。この高麗楽は,新羅楽・百済楽とあわせて三韓楽と総称され,現行の高麗楽の母体となったものである。高句麗直伝を意味する〈高麗楽〉の用例は,雅楽寮の記事に多くみられる。それによると使用楽器は横笛,莫牟(まくも)(管楽器の一種),箜篌(くご),鼓などであった。初伝の年次や音楽の実態は未詳であり,現行の高麗楽のどの要素が高句麗起源かの判別は困難である。現行の高麗楽の概念や様式が成立した時期は,大陸系諸楽舞が受容の諸段階を経た9世紀半ばころに求めうる。一般に仁明朝(833-850)の楽制改革と称されるゆるやかな変動の波が,当時の宮廷制度になじむ左右両部制を生み,左方唐楽・右方高麗楽という二分割再編成を進めたとみられる(左方,右方)。右方高麗楽として統括されたのは,5世紀から7世紀にかけて徐々に伝来定着した三韓楽と,8世紀前半に伝来したとされる新興国,渤海の音楽である。楽器編成や音楽理論が固定される際には,本来の特質に唐楽の刺激が加わり,さらに平安貴族社会の嗜好が反映したものと考えられる。高麗楽のレパートリーは,作曲者・作舞者不詳が多いが,演奏頻度が高い著名な曲(《延喜楽》《胡蝶》など)が日本で作曲されている点が注目される。高麗楽は舞楽の様式で今日まで伝承されているが,高麗楽の特徴を把握するうえで,舞楽が左方と右方を一対にして構成されてきたことが重要なポイントになる。
唐楽と比較すると,高麗楽は管楽器は高麗笛と篳篥(ひちりき)を用い,笙(しよう)を用いない点が唐楽と異なり,音楽性への影響が大きい。笙が持続的な音の重なりで柔らかく包みこむような音色なので,笛と篳篥のみの場合,旋律線のからみが鋭い印象をもたらす。ちなみに,高麗笛は同一ポジションで唐楽の横笛より長2度高い音が出る構造になっている。弦楽器は舞楽には原則として用いない(ただし高麗楽の琵琶・箏譜は存在する)。打楽器は太鼓・鉦鼓と三ノ鼓を用いる。唐楽の羯鼓(かつこ)にかわって三ノ鼓が合奏の統括を受けもち,高麗楽らしいリズム感で舞を支える。以上の楽器編成には,三韓楽の箜篌や琴などが排除されており,唐楽とのバランスを重視した結果と考えられる。
音階や拍子の理論化に際しては唐楽の影響が認められる。高麗楽には,3種の音階があり,高麗壱越調(いちこつちよう),高麗平調(ひようぢよう),高麗双調(そうぢよう)と称している。壱越調,平調,双調は唐楽六調子の一つだが,それを借用した高麗楽の理論では同一名称の調より全体に長2度高くなる。いわゆる調性感と異なり,旋法のパターンが優先する点で注意を要する。各調の特徴を超越した高麗楽特有の音型も多い。拍子は3種のパターンに集約される。現存の曲はほとんど高麗四拍子(よひようし)という素朴でリズミカルな周期に基づいている。他に揚拍子(あげびようし)と唐拍子(からひようし)というリズム型があり,特殊な曲に用いられる。なお,舞楽各演目の音楽的構成は,前奏,登場部分,舞の本体(当曲),退場部分などから成っており,複雑な組曲形式を示している。高麗楽の舞楽は,登場用や退場用に特殊な曲による演出をこらさないシンプルな構成のものが多い。
→雅楽
執筆者:高橋 美都
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狛楽とも書く。大陸系の雅楽のうち、中国系の唐楽に対する朝鮮系のもの。唐楽は左方(さほう)の楽、高麗楽は右方(うほう)の楽といい、両者は楽器編成、舞作法、音楽理論など万事にわたって好対照をなす。「番舞(つがいまい)の制」と称し、両者の舞を交互に披露する制もある。高麗楽上演にあたっては、楽器、楽人、舞人楽屋ともに舞台右方に配置され、装束は緑・青系統に統一される。
楽器は高麗笛、篳篥(ひちりき)と太鼓、鉦鼓(しょうこ)、三ノ鼓(つづみ)で、合奏を主導するのは明確なリズムを奏する三ノ鼓。曲は高麗笛と篳篥が比較的断片的な旋律を反復してなる。調子は高麗壱越調(いちこつちょう)・同平調(ひょうじょう)・同双調(そうじょう)の3種だが、高麗笛が竜笛より短いため、唐楽における同名の調子よりそれぞれ長2度ずつ高い。拍子は高麗四拍子・唐(から)拍子・揚(あげ)拍子の3種で、唐楽に比して簡素で力強い。
元来、「三韓楽(さんかんがく)」と称する新羅(しらぎ)・百済(くだら)・高句麗(こうくり)のものを称したが、平安中期に大規模な楽制改革が行われて、朝鮮伝来の三韓楽を母体に、唐の俗楽や、胡楽(こがく)、渤海楽(ぼっかいがく)、その他日本で作曲作舞されたものが整理統合され、左方唐楽に対する右方高麗楽として再編成された。以後これが現在まで継承される。「管絃(かんげん)」の演奏形式もあったが廃絶し、現在では舞楽のみ。『胡蝶(こちょう)』『納曽利(なそり)』『八仙』など約25曲ある。なお、三韓楽の一つとしての高麗楽は天武(てんむ)天皇12年(683)正月18日、新羅楽・百済楽とともに初演され、雅楽寮で教習されたとの記録もあるが、その音楽内容は不明である。
[橋本曜子]
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…一般に仁明朝の〈楽制改革〉と称されている雅楽再編成の重要なポイントである。宮廷における左右の扱いと同様,優勢であった中国系統の唐楽は左方に,朝鮮系統の高麗(こま)楽は右方に配され,宮廷行事などでは舞楽が左右一対で演奏された。近衛府における相撲,賭射,競馬などの左右の勝負の際には,勝者をたたえて左方と右方いずれかの舞楽を演奏する習慣があった。…
…一般には仁明朝の〈楽制改革〉と称されているが,この左右両部制の成立によって,今日に至る舞楽伝承の基礎が完成された。左舞は唐楽を伴奏とし,右舞は高麗(こま)楽を伴奏とするが,例外については後述する。舞台芸術としての舞楽の演出には左右の対比とバランスが重視されており,王朝の美学の反映がうかがえる。…
…狭義には,このうち(1)のみをさして〈雅楽〉というが,これは唐時代の大陸の宮廷俗楽(宴饗楽)を取り入れたものであり,儒教的礼楽思想にもとづいた正楽としての〈雅楽〉ではない。 (1)の大陸系鑑賞芸能には,中国系の楽舞を中心とする〈唐楽(とうがく)〉と朝鮮系の楽舞を中心とする〈高麗楽(こまがく)〉とがあり,唐楽の舞を〈左舞〉または〈左方の舞〉,高麗楽の舞を〈右舞〉または〈右方の舞〉という。例外的に《陪臚(ばいろ)》《還城楽(げんじようらく)》《抜頭(ばとう)》の3曲は,曲籍は唐楽であるが右方に配されることがある(〈後出表3-現行舞楽曲・管絃曲曲名一覧〉参照)。…
…日本に伝えられた朝鮮半島3国(新羅,百済,高句麗)の楽舞。それぞれ新羅楽,百済楽,高麗楽(こまがく)という。伝来の経緯は定かでないが,《日本書紀》は允恭天皇の葬礼に際して新羅王が楽人80名を遣わしたと伝える。…
…当時,大篳篥と小篳篥の2種類があったが,前者は平安時代中ごろに廃絶し,その後は篳篥といえば,もっぱら後者を指すようになった。奈良時代には唐楽専用の楽器として用いられたが,旋律を自由に吹けることから,平安時代には高麗楽(こまがく)や,宮中の神事用の音楽にも使用されるようになった。現在では重要な旋律楽器として,雅楽のあらゆる種目に用いられる。…
…このような外来楽舞の全盛期は,おそらく752年(天平勝宝4)の東大寺大仏開眼供養あたりであったろう。9世紀初頭までに伝わった外来楽舞としては,唐楽,高麗楽,百済楽,新羅楽,度羅楽(とらがく),林邑楽(りんゆうがく),呉の伎楽などが知られ,このほか渤海楽(ぼつかいがく)の記事もある。 9世紀の半ばごろから,これら外来音楽の内容を取捨整備し,あわせて日本人の好みに合った音楽へ改変する,いわば外来音楽の国風化の気運が高まった。…
…頭装は,精好紗に黒漆をかけ下部を白布で縁どりした〈揉立烏帽子(もみたてえぼし)〉で,履物はふつう牛革を黒漆で塗り固めた浅い形の〈烏皮沓(うひぐつ∥くりかわくつ)〉を用いる。
[舞楽装束]
唐楽(とうがく),高麗楽(こまがく)等,外国から伝承した舞楽に用いる装束の総称で,襲(かさね)装束(別名唐(とう)装束,常(つね)装束とも),蛮絵(ばんえ)装束,別装束,童(わらべ∥わらわ)装束の4種があり,それぞれに左方(さほう)(唐楽系),右方(うほう)(高麗楽系)の別があって,左方はおもに赤系統の色,右方は青・緑系統の色のものが多い。(1)襲装束 中国唐代の遺制と思われるもので,舞楽の大半はこの装束を使用している。…
※「高麗楽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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