上の平遺跡(読み)うえのだいらいせき

日本歴史地名大系 「上の平遺跡」の解説

上の平遺跡
うえのだいらいせき

[現在地名]中道町下向山

石器時代から平安時代の遺跡で、とくに弥生時代後期から古墳時代前期にかけての方形周溝墓群が中心的存在で、全国的に注目される。曾根そね丘陵のほぼ中央部の一支丘上、標高三三〇メートル付近に立地する。当遺跡に隣接して北から南に東山北ひがしやまきた遺跡・東山南遺跡みやうえ遺跡・立石たていし遺跡などの弥生時代から古墳時代を中心とした遺跡の存在が知られる。また縁辺部の東山山麓には大丸山おおまるやま古墳(前方後円墳)が、裾部には国史跡の銚子塚ちようしづか古墳(前方後円墳)および丸山塚まるやまづか古墳(円墳)、かんかんづか古墳など当県を代表する東山古墳群が所在する。また南方には金沢かねさわ古墳群の中核である天神山てんじんやま古墳(前方後円墳)が、南西方には米倉山こめくらやま古墳群の中核である当県最古の小平沢こひらさわ古墳(前方後円墳)がみられ、重層的歴史景観のなかにある。

昭和五四年(一九七九)から同六一年に五次にわたる発掘調査が行われ、弥生時代後期から古墳時代前期にかけて連綿と続く方形周溝墓が一二四基発見された。これらの周溝墓は方形あるいは長方形を呈しており、一辺一〇メートル前後のものが多いが、なかには一号方形周溝墓(四世紀初頭)のように長軸三〇メートル、短軸二四メートルと大型のものもみられる。


上ノ平遺跡
うわのだいらいせき

[現在地名]諏訪市上ノ平

手長てなが丘陵上、標高八四〇メートル、諏訪湖からの比高八〇メートルの小丘にある。俗称鉄砲矢てつぽうやとよばれる付近の丘陵上は立石たていし北踊場きたおどりば茶臼山ちやうすやま・手長丘・温泉寺おんせんじなどの先土器時代遺跡の密集地域でもある。

昭和二八年(一九五三)の調査で、尖頭器を主として削器・掻器など黒曜石を素材とした多数の石器と、ローム層中に二ヵ所の礫群の存在が確認された。


上の平遺跡
うえのたいらいせき

[現在地名]武石村大字下武石

東西に長い武石の谷の北側にある袋尾ふくろお山麓の台地で、その側面から前面にかけて武石川に合流する藤沢ふじさわ川が流れ、更にその前方には湧泉による水田がある。弥生後期の遺跡で、大正五年(一九一六)巴形銅器一点が発見されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「上の平遺跡」の意味・わかりやすい解説

上の平遺跡
うえのだいらいせき

長野県諏訪(すわ)市立石町にある先土器時代の遺跡。諏訪湖に臨む霧ヶ峰火山台地の突端に立地する。標高840メートル。1953年(昭和28)明治大学考古学研究室が調査した。先土器時代終末の尖頭器(せんとうき)を中心とする石器群の実態が初めて明らかにされた遺跡として学史的に著名。尖頭器57点、掻器(そうき)13点を含む約4000点の石器が検出された。石器のほとんどは黒曜石製である。またローム層中から石器とともに礫(れき)群が1か所検出された。

戸沢充則

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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