日本歴史地名大系 「下地島」の解説
下地島
すむずしま
伊良部島の西隣に位置する低島。面積九・五四平方キロ。一八八六年(明治一九年)の「寰瀛水路誌」などに下地島と記される。方音ではシィムジィとも。北西―南東方向に五キロの長軸をもつ楕円形状の島で、最高標高は南西端の二一・七メートル。南西部から北東方に緩やかに傾斜し、標高が一〇―一五メートルの低平な島。島全体が第四紀更新世の多孔質の琉球石灰岩で覆われ、河川はみられない。伊良部島との間に一〇―数十メートルの狭い水路が三キロほど続く。南海岸は大きな出入りのない単調な海岸、西海岸は出入りの激しい海食崖が続き、北海岸は下地島空港の滑走路の出っ張りと小さな入江がみられる。北西海岸にある
当島では遺跡の確認は一件もない。ただしグスク時代の後半頃、朝鮮人船が宮古島に漂着しており、「李朝実録」世祖八年(一四六三)二月辛巳条にみえる「時麻子島」は当地に比定され、宮古島と近隣の当島を含む五島の人民は互いに往来し、飲酒をともにしたという。当時人居があったことがうかがえ、遺跡が確認される可能性は残る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報