下村脩(読み)シモムラオサム

デジタル大辞泉 「下村脩」の意味・読み・例文・類語

しもむら‐おさむ〔‐をさむ〕【下村脩】

[1928~2018]生物学者。京都の生まれ。昭和37年(1962)オワンクラゲ発光の仕組みを解明し、その過程で発光物質イクオリンGFP(緑色蛍光蛋白質)の抽出に成功。平成20年(2008)ノーベル化学賞受賞。同年、文化勲章受章。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「下村脩」の意味・わかりやすい解説

下村脩
しもむらおさむ
(1928―2018)

日本の海洋生物学者。長崎医科大学付属薬学専門部(現、長崎大学薬学部)卒業。名古屋大学理学部有機化学研究生、長崎大学薬学部助手を経て、名古屋大学で理学博士号取得。プリンストン大学研究員、ウッズ・ホール海洋生物学研究所上席研究員、ボストン大学客員教授、同名誉教授。2008年(平成20)、「緑色蛍光タンパク質GFP=Green Fluorescent Protein)の発見と開発」によってチャルフィーチェンとともにノーベル化学賞を受賞した。同年文化勲章受章。

 波間に漂う直径10~20センチメートルのオワンクラゲの縁は緑色に発光している。下村は、この発光物質を抽出、分離するため、アメリカ西海岸ワシントン州の海岸で大量に捕獲し、分析を行った。物質を抽出するためにまず、発光を止める方法を研究した。そしてカルシウムイオンが発光に必要であることなどをつきとめたのちに、発光物質だけを純粋に分離することに成功した。これが緑色蛍光タンパク質(GFP)である。蛍光タンパク質の多くは、他のタンパク質との複合体を形成して発光するが、GFPは紫外線を当てると単体で発光する。このため遺伝子技術を使って他のタンパク質などに融合させると、GFPの発光があたかもタグのように生体内の目印になる。これによって細胞内での物質の代謝やタンパク質の移動、存在を確認でき、生きたままの状態でタンパク質や特定の物質の挙動観察ができるようになった。

 緑色蛍光タンパク質の利用は生命科学医学の基礎研究に革命的な手法となり、その後、共同受賞者となったチャルフィー、チェンらが多くの応用手法を開発したため、医学、薬学などの研究現場には欠かせないものとなった。

[馬場錬成 2018年11月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「下村脩」の意味・わかりやすい解説

下村脩
しもむらおさむ

[生]1928.8.27. 京都,福知山
[没]2018.10.19. 長崎,長崎
有機化学者,海洋生物学者。ボストン大学名誉教授。1951年長崎医科大学附属薬学専門部を卒業後,同大学助手,名古屋大学理学部研究生を経て,1960年理学博士号を取得。プリンストン大学研究員,名古屋大学理学部助教授などを務め,1982~2001年アメリカ合衆国のウッズホール海洋生物学研究所上席研究員。名古屋大学で平田義正に学び,1957年ウミホタルの発光にかかわる物質(ルシフェリン)を結晶化し,その構造を解明した。1960年にフルブライト奨学金を得てアメリカに留学,プリンストン大学のフランク・ジョンソン教授とともにオワンクラゲの発光機構についての研究に取り組む。1962年カルシウムで青色に発光する蛋白質イクオリン,青色光を緑色光に変換する緑色蛍光蛋白質 GFPを発見,その構造を解明した。その後,GFPは生命科学の研究に不可欠な道具として使われている。この功績により 2008年,コロンビア大学教授マーティン・チャルフィー,カリフォルニア大学教授ロジャー・Y.チェンとともにノーベル化学賞(→ノーベル賞)を受賞した。同年文化勲章も受章。

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化学辞典 第2版 「下村脩」の解説

下村 脩
シモムラ オサム
Shimomura, Osamu

日本の生化学者・海洋生物学者.京都府福知山市生まれ.1951年長崎医科大学附属薬学専門部卒業.1955年長崎大学薬学部実験実習指導員を務めていたときに,名古屋大学理学部化学科平田義正教授のもとに1年間内地留学し,ウミホタルの発光物質(ウミホタルルシフェリン)の結晶化に成功.1960年フルブライト奨学生として渡米(直前に名古屋大学で理学博士),プリンストン大学でオワンクラゲの発光を研究,発光タンパク質のイクオリン(aequorin)と緑色蛍光タンパク質(green fluorescent protein,GFP)を1962年に発見.帰国して名古屋大学水質科学研究所助教授を務めたが(1963~1965年),再び渡米.プリンストン大学上席研究員(1965~1982年),ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員(1982~2001年)やボストン大学医学部特任教授などを務めた.この間,イクオリンとその発光機構を一貫して追及した.GFPは,1990年代に生きた細胞内の特定場所に蛍光をつくり出す標識物質としての用途が開発され,かれはその発見者として2008年にノーベル化学賞を受賞.アメリカ在住だが国籍は日本.旧制中学生として勤労奉仕中に長崎の原爆を体験している.[別用語参照]生物発光

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知恵蔵mini 「下村脩」の解説

下村脩

生物学者。1928年、京都府生まれ。長崎医科大学附属薬学専門部(現・長崎大学薬学部)を卒業後、60年に名古屋大学理学部で博士号を取得。同年、米プリンストン大学に留学し、紫外線を受けると発光する「緑色蛍光たんぱく質(GFP)」をオワンクラゲの体内から見つけ出して分離することに世界で初めて成功した。その後、名古屋大学助教授を経て、プリンストン大学上席研究員、米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員、米ボストン大学名誉教授などを歴任した。2008年、GFPの発見が細胞中のたんぱく質を生きた状態のまま観察する技術の開発につながり、医学や生命科学に大きな発展をもたらしたとしてノーベル化学賞を受賞。同年に文化勲章を受章し、09年からは名古屋大学名誉教授も務めた。18年10月19日、老衰で死去。享年90。

(2018-10-23)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下村脩」の解説

下村脩 しもむら-おさむ

1928- 昭和-平成時代の有機化学者,海洋生物学者。
昭和3年8月27日生まれ。名大助教授,プリンストン大上席研究員などをへて,昭和57年ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員。ウミホタル,オワンクラゲなどで生物発光の研究をし,緑色蛍光タンパク質(GFP)を発見。このGFPの遺伝子をつかった蛍光マーカーが生命科学の飛躍的発展につながった。平成19年朝日賞。20年「緑色蛍光たんぱく質(GFP)の発見と開発」で,マーティン・チャルフィー,ロジャー・Y・チェンとともにノーベル化学賞を受賞。同年文化功労者,文化勲章。京都出身。長崎医大附属薬学専門部(現長崎大薬学部)卒。

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百科事典マイペディア 「下村脩」の意味・わかりやすい解説

下村脩【しもむらおさむ】

生物学者。長崎大学,名古屋大学,プリンストン大学などで発光生物の研究をつづけ,オワンクラゲの緑色蛍光タンパク質を発見する。この発見は医学研究に画期的なツールの発展をもたらし,2008年ノーベル化学賞を受賞した。文化勲章受章(2008年)。
→関連項目ノーベル賞

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