ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中能島松声」の意味・わかりやすい解説
中能島松声
なかのしましょうせい
[没]1894.1.2. 東京
山田流箏曲家,作曲家。本名中島園太郎。都名(いちな)は松勢(声)一。6歳より小名木検校に箏曲を学び,嘉永5(1852)年に検校となる。その際に,姓の中島を名のろうとしたが,すでに神戸に中島検校がいたので,「能」を入れて中能島とした。明治4(1871)年盲人音楽家が属する自治組織当道職屋敷(→当道)が廃止されたので,以後中能島松声として活躍する。政府認可の盲人の教育機関である訓盲唖院(のち東京盲学校を経て筑波大学附属視覚特別支援学校)の教官を務めた。酒をたしなみ,性来奔放なところがあったが,声に恵まれ大らかな芸風で,平曲にも秀で,清元お葉,4世富本豊前太夫らとも交流し,名声を高め多数の門弟を集めた。作品に富本節・箏歌掛合曲『七福神』,2世山登検校との合作『祝ひ歌』,3世山木検校との合作『松風』,奥歌曲『雨夜の月』,『伏見』などがある。孫の中能島欣一が 4世中能島家元を継承した。(→中能島派)
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