デジタル大辞泉 「庸」の意味・読み・例文・類語
よう【庸】[漢字項目]
1 人をやとい用いる。「
2 並みである。かわりばえがしない。かわらない。普通。「庸愚・庸君/中庸・凡庸」
3 昔の課税の一。労役の代わりに布などを納めるもの。「調庸・租庸調」
[名のり]いさお・つね・のぶ・のり・もち・もちう・やす
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
中世の税目で徭役の代償となる布帛をいう。隋・唐の〈賦役令〉の規定は丁男の正役を年間20日,閏年には22日とするが,首都近傍の一部を除き,大部分の丁は役に徴発されることなく,1日当り絹3尺(あるいは麻布3尺7寸5分)の割で絹6丈(または麻布7丈5尺)を納め,これを庸とした。庸は調と一括徴収されたので,多く庸調と連称され,貨幣流通がなお限られ高額取引に多く絹が使われた当代では,諸税の中心的存在であった。
執筆者:池田 温
古代の律令国家の税制の一つに,成人男子を年に10日間徭役する歳役(さいえき)とよばれる制度があったが,実役に就かない場合は代償として布2丈6尺を徴収し,これを庸とよんだ。庸の和訓は〈ちからしろ〉,つまり力役の代りという意味で,歳役を表とすると庸は裏にあたるわけである。しかし全国のすべての成人男子が歳役に従事するわけではなく,むしろ庸を徴収されるもののほうが多かったから,本来は裏であるはずの庸が,調と並んで律令国家の最も基本的な税目となった。ただし庸は京・畿内では免除されていた。庸として徴収される品目は必ずしも布とは限らず,米,塩,綿(まわた)なども徴収されている。庸の負担額は当初は調と同じであったが,706年(慶雲3)に調の2分の1に切り下げられた。
中央に送られた庸は衛士,仕丁,采女(うねめ),女丁らの食料にあてられ,その残りは政府が雇用した役民(雇役)の食料にあてられることになっていた。このように庸の使途として仕丁や采女の食料が大きな比重を占めているのは,律令制成立以前の庸の制度の影響であると思われる。すなわち《日本書紀》によると646年(大化2)1月に,これから進められるべき政治改革の基本を定めたいわゆる〈改新の詔〉が出されたが,その第4条に列挙されている新しい租税制度のなかに〈仕丁の庸〉と〈采女の庸〉がみえる。これは地方から中央政府に貢進される仕丁や采女を養うため,1戸から布1丈2尺と米5斗を徴収し,その50戸分を仕丁1人の粮に,100戸分を采女の粮にあてる制度である。これによると庸は本来は徭役の代りに徴収されるものではなく,仕丁や采女の養物として徴収されたのであり,それが律令国家の租税制度が成立する過程で,歳役の庸に発展的に解消したのである。なお庸のうちの布や綿は官人に支給する禄にも用いられた。
執筆者:長山 泰孝
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律令制での租税負担の一つ。養老令では年間10日の歳役(さいえき)の義務を規定し,その代納の庸として1日あたり2尺6寸の布を納めるとする。大宝令では全員が布2丈6尺を納める規定で,養老令でも歳役の徴発はなく,庸は調と並ぶ基本的税目であった。次丁は正丁の半額,中男および京・畿内は免除された。庸の品目は布のほか米・塩・綿で,706年(慶雲3)額は半減されている。改新の詔(みことのり)に仕丁・采女(うねめ)のため郷土の50戸が庸布・庸米をだす制がみえ,こうした仕丁などの資養物としてのチカラシロの制を前提として,大宝令で雇役制の成立とともに税制として庸が成立した。のちの調庸布の制を除けば,庸は調と区別されるのが原則で,調が大蔵省に納入されるのに対して民部省に納入され,雇役の功直(こうちょく)のほか,衛士(えじ)・仕丁・采女などの食料にあてられるなど用途も異なり,資養物としての性格をもち続けた。
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「租・庸・調[日本]」のページをご覧ください。
「租・庸・調[中国]」のページをご覧ください。
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[律令制下の織物]
7世紀初頭から始まった遣隋使や遣唐使の派遣によってもたらされた文物や技術,学問,制度などの中で,国家体制の基本をなす律令制の導入は,染織品の生産,発展にもきわめて大きな影響を与えた。律令制にもとづく税の基本は租と調・庸であったが,調・庸には主として絁(あしぎぬ)と麻の織物があてられていた。それは中央政府の財物として地方から輸送することが比較的容易であり,また一つには,織物の場合1人の人間の1日の労働量が,生産状態にきわめて明確に現れるという利点があったからである。…
…その内容は租(丁あたり粟2石)と調(丁あたり絹2丈,あるいは麻布2丈5尺,それに付属物として絹糸,綿(まわた)あるいは麻糸が加わる)および役(年間20日間の力役,中央政府が徴発し主都の建設,土木工事等に使われる)の3種よりなる。役は1日当り3尺の絹(あるいは3尺7寸5分の麻布)に換算代納されるのが一般となり,これは庸と呼ばれ,課役は租庸調を意味するようになった。かように公課が成丁ひとりひとりに賦課されたのは,成丁に田地を分給する均田制が背後に想定されたからであるが,7世紀後期には土地不足等による均田制のゆきづまりが顕在化し,課役以外の地税(所有田土面積に応じて賦課)や税銭(資産等に応じて各戸から徴集)等に公課の比重が移行するようになった。…
…飛鳥浄御原令(689施行)では,中央の土木工事に徴発される力役は無償であった。しかし,大宝令(701制定)で新しく中央の力役として規定された年10日間の歳役(さいえき)は,実際にはすべて代納品である庸(よう)布2丈6尺でおさめることにし,必要な力役は庸の一部を財源として強制的に差発した。これが雇役で,同じ雇傭であっても強制を伴わない和雇(わこ)と区別されている。…
…その完成形態を示す唐の〈開元賦役令〉によりその大体を略述すると,まず徴収対象は九品以上の官人や王公貴族および旌表者(忠孝節義を表彰された者),僧侶道士と身体障害者,部曲・奴隷等の賤民を除く良民の男子正丁に限定され,対象者(課口)でも,老親などのめんどうをみる者(侍丁),服喪者,兵士,色役(しきえき)従事者等は実際の徴収を免除された(見不輸(げんふゆ))。 次に税額は毎丁租が粟(あわ)2石(約60l),調が絹(けん)・綾(りよう)・絁(し)というきぬで2丈と綿(まわた)3両,非養蚕地では麻布2丈5尺と麻糸3斤,庸は力役20日分(閏年には22日分)の代納で1日当り絹3尺または麻布3尺7寸5分の割で,計絹1匹2丈(=6丈),麻布1端2丈5尺(=7丈5尺)となり,調庸は併せて一括徴収されるから,毎丁絹2匹(約24m)あるいは麻布2端(約30m)の負担である。調庸については地域別に特産品で代納することが行われ,嶺南で銀に代えて納入された実物が西安何家村遺跡で発見された。…
…北朝では六丁兵,八丁兵,十二丁兵という交代制の徭役に徴発されたが,隋・唐では兵農一致の府兵制が整備されるにつれ,賦役はふつう兵役を除く力役を指称するようになる。 すなわち隋・唐の均田制下の人民の負担には,租庸調と雑徭があった(均田法)。このうち庸というのが本来は力役であり,正役または歳役と呼ばれて,年に20日間中央政府の行う土木事業に従事した。…
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[古代]
大化以前には氏上(うじのかみ)が氏人(うじびと)に調(財物)と役(労力)を出させた。律令制下では庸(よう),歳役(さいえき),雑徭(ぞうよう)などといわれ,人身に賦課された。律令政府は20~60歳までの男子を正丁(しようてい)とし,庸(10日間にわたる中央官衙(かんが)での無償労役で,布での代納が認められていた)を課し,国司の監督下に1年に60日間の公共事業に従事させることもあった。…
※「庸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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