旧離とも書き,江戸時代に伯父・兄など目上の親族から,甥・弟など目下の親族に対して申し渡す親族関係断絶行為を意味した語。ただし勘当,義絶などと混同されたことも少なくない。子に対しては,出奔した子に対する場合のみを久離(武士の場合は義絶とも称する)とし,在宅の子を追い出して絶縁する場合は勘当と呼ぶことが,すでに安永(1772-81)ころから行われていたが,やがて勘当も,追出久離と呼ばれて久離の一種として扱われるようになった。久離の目的は,不行跡な親族から受けると予想される後難(各種の連帯責任や社会的非難など)を避けることにあり,久離が法的効果を生ずるためには,役所に願い出て帳付の手続をしなければならなかった。目上の親族に対する久離的行為は逆離として禁止されたが,通路いたさざること(不通)を願い出たり,目上のものの久離願に連署するなどの方法で,同じ効果をもたらすことができた。幕府は後になると,容易に久離すべからざることを命じた町触を出すなど,久離を制限しようとした。久離は明治には廃止されたが,その精神は明治民法にも若干残っている。
執筆者:林 由紀子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸時代に、失踪(しっそう)した親族との親族関係を断絶する行為をさす。失踪した不行跡な親族から、被るかもしれない法律的、社会的な後難を避けるためになされたが、主として庶民の間で行われた。親、兄、叔父(おじ)など目上の者がその子、弟、甥(おい)など目下の者を久離できるが、反対に目下の者が目上の者を久離することは、逆離と称して認められなかった。
久離は、勘当(かんどう)(追出(おいだし)久離ともいう)と同じように、単に口頭、書面で行うだけでは、いわゆる内証久離であって、法律上の効果を発生しなかった。正規の手続を経て町奉行(ぶぎょう)に記録してもらい、その書替(かきかえ)(謄本)を受けることによって有効となった。久離された者が後日改悛(かいしゅん)して素行を改めたときは、久離を願い出た者が、その帳消しを願い出ることができた。
[石井良助]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…江戸時代になると,勘当の語は主として親子関係を断絶する行為を意味したが,ほかに師匠が弟子との師弟関係を断つ場合にも用いられた。江戸時代には親族関係断絶行為をあらわすことばとして,勘当のほかに久離と義絶があり,3者はしばしば混同して用いられたが,安永(1772‐81)ころになると,勘当は家にある子を懲戒のため放逐する行為をさすようになり,子以外の親族やすでに家出している子との親族関係を断つ久離と区別された。その後,武士と庶民とで,勘当,久離のとなえかたを異にした時期もあり,またのちには武士,庶民を通じて,追出し行為たる勘当も,そうでない久離も,共に久離と称し,とくに両者を区別するときは,勘当のことを追出久離,家出人に対する久離を出奔久離(武士),欠落(かけおち)久離(庶民)ととなえることも行われた。…
…日本中世における親権のあり方を示すとともに,日本と中国の家族関係・秩序の差異を示すものとして注意される。勘当不孝【小田 雄三】
[近世]
江戸時代には勘当・久離とともに,親族関係断絶行為をあらわす語として用いられ,とくに従兄弟間などのように同等の親族間の断絶行為を意味した。ただしそれは享和年間(1801‐04)以降のことで,それ以前には勘当・久離を含めた意味で使われたこともあり,目下の親族から目上の親族への絶縁を意味した時期や,百姓町人における久離を武士の場合義絶と称した時期もあった。…
※「久離」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新