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仁海 にんかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

仁海
にんかい

[生]天暦9(955).和泉
[没]永承1(1046)
平安時代の真言宗の僧。小野流祖師。別名,千心。7歳から高野山雅真に師事し,のちに元杲 (げんごう) から伝法灌頂を受けた。小野曼荼羅寺を開いて修法し,弟子も多く盛んであった。治安3 (1023) 年東寺の二の長者。長元2 (29) 年東大寺別当。長暦2 (38) 年僧正に任命された。小野僧正と称されたが,雨ごいに効験が著しかったので,「雨の僧正」ともいわれた。

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デジタル大辞泉の解説

にんがい【仁海】

[951~1046]平安中期の真言宗の僧。和泉(いずみ)の人。小野流の始祖。通称、小野僧正・雨僧正高野山で修行し、京都醍醐寺の元杲(げんごう)に師事、小野に曼荼羅(まんだら)寺(のちの随心院)を開創東大寺別当・東寺長者に任ぜられる。雨ごいの修法で知られる。著「小野六帖」「伝受集」など。にんかい。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

仁海 にんがい

951-1046 平安時代中期の僧。
天暦(てんりゃく)5年生まれ。真言宗小野流の祖。和泉(いずみ)(大阪府)の人。雅真に師事し,永祚(えいそ)2年元杲(げんこう)に灌頂(かんじょう)をうける。翌年山城に曼荼羅(まんだら)寺をひらく。東大寺別当,東寺長者などを歴任。降雨をいのって験があり,雨僧正とよばれた。永承元年5月16日死去。96歳。俗姓は宮道。通称は小野僧正。

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朝日日本歴史人物事典の解説

仁海

没年:永承1.5.16(1046.6.22)
生年:天暦5(951)
平安中期の真言宗の僧。「にんかい」ともいう。一説には天暦8(954)年生まれ。霊力・行動力抜群,密教界のスーパースター。和泉国(大阪府南部)出身。宮道惟平の子。7歳で高野山に登り,雅真に師事して出家。次いで醍醐寺の元杲のもとに赴き,永祚2(990)年伝法灌頂を授かって密教者として自立。正暦2(991)年山科小野に曼荼羅寺(現在の随心院)を開創。寛仁2(1018)年の畿内大旱魃の折,勅命を受けて神泉苑で請雨法を修し,霊験があった。長元2(1029)年東大寺別当,同4年東寺長者に就任。長暦2(1038)年僧正に任じられ,栄光に包まれつつ九十余歳の長寿を保った。仁海には霊異多く,特に農業の死活に直結する雨の霊的統御に優れ,生涯に10度雨を祈って悉く成就し「雨僧正」の異称を奉られた。政治的手腕も傑出し,疲弊した高野山の復興に際しては,勧進聖 の総帥たる祈親と結び,高野山浄土論を説いて治安3(1023)年ついに藤原道長らを登山に導き,以後その支援を得た。教育者としての資質にも恵まれ,あまた弟子を養成して広沢流と並ぶ真言2大流派のひとつ,小野流の祖となる。時代背景の相違によるスケールの差はあるものの,仁海は才能や行動様式の点で第2の空海とも評しうる。名声は宋にも伝えられた。著書は真偽合わせ150巻以上で『小野六帖』『請雨経次第』『金剛峰寺建立修行縁起』など。弟子に成尊,覚源,真覚などがいる。<参考文献>白井優子『空海伝説の形成と高野山』

(正木晃)

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世界大百科事典 第2版の解説

にんがい【仁海】

951‐1046(天暦5‐永承1)
平安時代中期の真言宗の僧。和泉国の人,宮道惟平の子。初め高野山に登り,雅真の弟子となり,次いで醍醐寺の元杲(げんごう)に両部大法を受け,のち洛東小野の地に曼荼羅寺(現在の随心院)を創建した。以後,高野山の堂塔復興に尽力し,東寺凡僧別当,東大寺別当を経て,1031年(長元4)東寺一長者に任じ,38年(長暦2)僧正となる。小野の地にちなみ小野僧正と呼ばれ,また元杲に伝受した請雨経法を得意とし,祈雨の法験ことに優れたので,世に雨僧正とたたえられた。

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大辞林 第三版の解説

にんがい【仁海】

951?~1046) 平安中期の真言宗の僧。小野流の祖。和泉の人。元杲げんこうから伝法灌頂を受け、小野に曼荼羅寺を創建。勅命でたびたび雨乞いを行い、いずれも霊験があったため、雨僧正とも呼ばれた。東大寺別当・僧正を歴任。著「小野六帖」など。小野僧正。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

仁海
にんがい
(951―1046)

平安中期の真言(しんごん)宗の僧。小野僧正(おのそうじょう)また雨(あめ)僧正とも称する。東密事相において広沢(ひろさわ)流と並び称される小野流の始祖。和泉(いずみ)(大阪府)の人。7歳で高野山(こうやさん)に登り雅真(がしん)について出家、醍醐寺(だいごじ)の元杲(げんごう)に伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を受け、また諸方に遊学して深義を探る。あるとき、その母が牛になって某所にあるを夢にみ、その牛を購入して養い育て、死後その皮に両部曼荼羅(まんだら)を描いて山城(やましろ)国(京都府)小野の一寺に安置したと伝える。以後この寺を曼荼羅寺と称し、この地に法燈(ほうとう)を建立した。1018年(寛仁2)畿内(きない)の大干魃(かんばつ)に際し請雨(しょうう)法を修して法験(ほうげん)を現し、さらにその後9回にわたり降雨を祈ってみな験(しるし)あり、遠く中国宋(そう)にまで雨海(うかい)大師の名を響かせた。東寺長者を務めた。著書に『小野六帖(ろくちょう)』『伝持集』など多数がある。[吉田宏晢]

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世界大百科事典内の仁海の言及

【愛染王法】より

…この法は愛染王念誦法と護摩法とがあり,秘法とされるが,それとは別に最極秘法としての〈如法愛染法〉がある。日本における愛染王法の成立を求めると,小野曼荼羅寺開基の仁海(にんがい)が《愛染王大次第》《愛染王鈔》を編んだと伝えられており,その弟子の成尊(せいそん)は1065年(治暦1)ごろ後三条天皇の即位を祈ってこの法を修し,成尊の弟子範俊(はんじゆん)もしばしば愛染王法を修した。また80年(承暦4)に範俊は如法愛染法を修して《如法愛染次第》をあらわしている。…

【随心院】より

…通称小野門跡。平安中期に真言宗小野流の開祖仁海僧正が開創したと伝える牛皮山曼荼羅(まんだら)寺を起源として,5世増俊のとき随心院と改称。鎌倉時代に最盛期を迎え,門跡寺院・天皇祈願所となり,堂宇も整備されて多くの寺領荘園をもち,真言宗の二大法流の一つ小野流の大道場として栄えた。…

【輪廻】より

…すなわち仏教説話は輪廻をテーマにして,来世の悪報を説いて,今世の善行と仏教信仰を勧める。また輪廻を信じた平安時代の高僧仁海僧正は,1匹の牛を見て母の転生とさとり,これを買い求めてたいせつに飼った。その死後は皮を鞣(なめ)して曼荼羅を図絵し,その牛皮曼荼羅を本尊として京都山科に建てたのが曼荼羅寺であると伝える。…

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