随心院(読み)ずいしんいん

精選版 日本国語大辞典 「随心院」の意味・読み・例文・類語

ずいしん‐いん ‥ヰン【随心院】

京都市山科区小野御霊町にある真言宗善通寺派の大本山。山号は牛皮山。正暦二年(九九一)仁海(にんがい)が創建した曼荼羅寺に始まる。仁海の開いた小野流から分かれた五世増俊の随心院流が栄えて以来、曼荼羅寺の一院である随心院が一山の名称として用いられた。のち、順徳、後堀河、四条の天皇の勅願所となる。鎌倉時代に門跡寺院となったが応仁の乱で炎上。慶長四年(一五九九)旧跡に随心院が再興された。境内は国史跡小野門跡。曼荼羅寺御殿。

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デジタル大辞泉 「随心院」の意味・読み・例文・類語

ずいしん‐いん〔‐ヰン〕【随心院】

京都市山科区にある真言宗善通寺派の大本山。山号は牛皮山。平安中期、仁海にんがいの創建で、牛皮山曼荼羅寺まんだらじと称した。中興開山は増俊。随心院門跡。小野門跡。

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日本歴史地名大系 「随心院」の解説

随心院
ずいしんいん

[現在地名]山科区小野御霊町

牛皮山と号し、真言宗善通寺派。本尊如意輪観音。俗に小野門跡という。はじめ曼荼羅まんだら寺の塔頭であった。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔曼荼羅寺〕

曼荼羅寺は平安時代中期頃の仁海の創建と伝える。寺伝によれば仁海が夢に母が赤牛となって鳥羽とば(現京都市伏見区)辺りにいるのを知り、尋ねて孝養を尽し、その死後皮をはいで両界曼荼羅を描き、本尊として一宇建立、曼荼羅寺とよばれたという。「雍州府志」は随心院の項に「小野門主之室して、始仁海之所住也、真言二流中小野派出仁海、斯門主兼南都東大寺或号曼荼羅寺」と記す。今も曼荼羅寺御殿という別称がある。仁海は真言宗小野派の始祖といわれ、「密宗血脈抄」に「仁海号小野僧正、住小野曼荼羅寺、或記曰、宮道惟平息」とある。

随心院
ずいしんいん

[現在地名]高野町高野山

現在西室にしむろ院に名跡を残し、庫裏一宇がある。蓮華れんげ谷の道北、赤松せきしよう院の西にあった(文化一〇年高野山細見絵図)。本尊薬師如来は空海作と伝える。文治五年(一一八九)三月二一日の起請文目録(続風土記)には、日光・月光二尊を安置し、本来の脇士等身不動毘沙門立像は護摩堂に移すとある。鎌倉時代の信堅院号帳に「随心院 八幡別当法師成清之建立也実名宗盛」とみえ、成清は山城石清水いわしみず八幡宮祠官家の善法寺家元祖で、「諸院家析負輯」によると文治五年高野山に登り、当院を創建した。

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改訂新版 世界大百科事典 「随心院」の意味・わかりやすい解説

随心院 (ずいしんいん)

京都市山科区小野にある真言宗善通寺派の大本山。通称小野門跡。平安中期に真言宗小野流の開祖仁海僧正が開創したと伝える牛皮山曼荼羅(まんだら)寺を起源として,5世増俊のとき随心院と改称。鎌倉時代に最盛期を迎え,門跡寺院・天皇祈願所となり,堂宇も整備されて多くの寺領荘園をもち,真言宗の二大法流の一つ小野流の大道場として栄えた。だが,応仁の乱で炎上,中世末には衰微した。近世になって,寺領612石余,堂宇も現在見るように再建された。1907年一派独立して小野派をなしたが,31年善通寺派となった。本堂は1599年(慶長4)の再建で,本尊の如意輪観音,その左右に快慶作の金剛薩埵(さつた)座像(重要文化財)などの諸仏,また別に阿弥陀如来座像(藤原時代,重要文化財)が堂内に安置されている。書院は九条家ゆかりの天真院の寄進と伝え,玄関,使者の間,表書院,能の間,奥書院などがあり,江戸初期書院造の様式を示す。本堂前の池泉観賞式庭園も美しく,境内は雅致に富み,国の史跡指定地。なお,当寺は小野小町の邸址といわれ,小町と深草少将の悲恋物語にちなむ伝承に富む。本堂安置の地蔵は多くの男性を悩ませた小町の罪障消滅を祈って,小町に寄せられた恋文を集めて造ったものと伝え,また境内の小野塔(文塚)は小町にあてた艶書を埋めた場所,小町井は小町がつねにこの水を愛して艶顔をよそおった井戸という。少将は小町のもとに百夜通い続けたというが,小町はこの少将の訪れる日数を榧(かや)の実をもって数え,少将の死後,その実を屋敷の庭に植えたといい,こうして当寺にはいまも榧の古木が多く残っている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「随心院」の意味・わかりやすい解説

随心院
ずいしんいん

京都市山科(やましな)区小野御霊(おのごりょう)町にある真言(しんごん)宗善通寺派の寺。牛皮山(ぎゅうひさん)と号する。俗に随心院門跡(もんぜき)、小野門跡という。本尊は如意輪観音(にょいりんかんのん)。1018年(寛仁2)仁海(にんがい)が創建し、牛皮山曼荼羅寺(まんだらじ)と称して如意輪観音を安置したのに始まる。仁海は法験を現し、事相(じそう)に優れて小野流を開いたが、その門葉から小野六流が分派した。なかでも第5世の増俊(ぞうしゅん)が随心院流をおこして以来、曼荼羅寺の一院であった随心院が一山の名称となった。鎌倉時代には門跡寺院となり、大いに発展したが、応仁(おうにん)の乱のとき炎上し、1599年(慶長4)曼荼羅寺の旧跡に随心院が再興された。明治時代には真言宗小野派の本山であったが、1931年(昭和6)真言宗善通寺派と合併した。現在は本堂、表書院、大玄関、庫裡(くり)などがあり、境内は国史跡。寺宝には、阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)(平安後期)、金剛薩埵(さった)坐像、絹本着色愛染(あいぜん)曼荼羅図、随心院文書などの国重要文化財がある。

[勝又俊教]

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世界大百科事典(旧版)内の随心院の言及

【深草】より

…《千載集》巻四の〈夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里〉は藤原俊成が自作の最高の作と人々に語った(《無名抄》)歌として著名である。深草少将(伏見区西桝屋町の欣浄寺(ごんじようじ)がその宅址と伝える)が山科小野の随心院にあった小野小町の宅へ百夜(ももよ)通った伝説があり,謡曲《通小町(かよいこまち)》《卒都婆小町》《墨染桜》などに劇化されている。【奥村 恒哉】。…

※「随心院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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