昭和期の茶道家 裏千家家元(14代目)。
明治・大正期の茶道家 裏千家家元(13代目)。
明治・大正期の茶道家 裏千家家元(12代目)。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
江戸前期の茶人。裏千家今日庵(こんにちあん)1世。千宗旦(そうたん)後妻の子(四男)。初め玄室、のち宗室といい、仙叟(せんそう)と号す。野間玄琢(げんたく)について医学を修めたが、玄琢の死により家に戻り、1652年(承応1)加賀藩前田利常(としつね)の茶頭(さどう)となる。陶工長左衛門に茶陶(大樋(おおひ)焼)を焼かせ、釜師(かまし)宮崎寒雉(かんち)に茶釜をつくらせ、これが地元における美術工芸興隆の因となった。90年(元禄3)利休百年忌にあたり屋敷内に利休堂を建てた。三千家における祖堂の始まりである。父宗旦が宗左に家督を譲ったあと、北隣に住んで営んだ今日庵を受け継いだことから、宗室の系統を裏千家といい、一般には今日庵の名でよぶこともある。
[村井康彦]
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(戸田勝久)
(戸田勝久)
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…千利休を開祖とする茶道の流派の一つ。利休の孫宗旦が不審庵を三男江岑(こうしん)宗左に譲り,北の隣接地に今日庵,寒雲亭さらに又隠(ゆういん)を建てて移り住み,それが末子仙叟に譲られたことにより裏千家が成立。現在の15世に至るまで,代々宗室を名のっている。明治以後,裏千家では職場を中心にした婦人層と女学校への茶の湯普及につとめ,茶道人口の増大を図ったほか,現在では海外への茶道普及にも力を注いでいる。 利休から数えて4世にあたる仙叟宗室は,はじめ医師を志して野間玄琢に師事し,玄室と称していたが,玄琢の死後千家に戻り,のち加賀藩主前田利常の茶道茶具奉行として仕えるところとなった。…
…千利休を開祖とする茶道流儀の一つ。代々宗左を名のる。利休の切腹によって千家は一時断絶したが,会津若松の蒲生氏郷に預けられていた利休の子千少庵が豊臣秀吉に召し出され,本法寺前町に屋敷が与えられて千家の再興がはかられ,千家2世となった。それとともに大徳寺の喝食(かつしき)として修行していた少庵の子千宗旦は還俗し,千家3世を継承することとなった。その後,宗旦は不審庵を中心とする本法寺前町の屋敷を三男江岑(こうしん)宗左に譲り,北裏に今日庵(裏千家)を建て,四男仙叟(せんそう)宗室とともに移り住んだ。…
※「千宗室」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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