位記は、位を持つ者の全員が与えられるものであり、かつ昇進のたびに授けられるものであるから、発給せられた総数は莫大なものであったはずであるが、中世以前の古い位記の現物は、全く伝存していない。ただし、官人位記ではない僧侶の僧位記は、嘉祥二年(八四九)六月二二日の円珍のものが円城寺に現存する。
位階を授けるときに発給する公文書。飛鳥浄御原令の施行にともない689年(持統3)はじめて発行されたが,このときは冠位と位記を併用した。しかし,大宝令の施行とともに冠位を廃し,位記一本立てとした。以後の冠は五位以上の礼服冠にのみ位階による別を規定したが,日常の勤務には五位以上はみな羅(くりのら)頭巾(黒い羅で作った冠),六位以下は縵(くりのまん)頭巾を着用することとし,服色で位階を区別するにとどめた。律令官人は罪を犯して除名される場合は位記がことごとく破られ,官当などでは位記を毀する(原簿に毀字を注し外印を押す)ことで実刑にかえるなど,位記が重要な役割をはたした。養老の公式令によれば位記には勅授,奏授,判授の別があり,それぞれに書式が定められた。勅授とは勅によって五位以上の位階を授けることであり,奏授とは太政官が奏聞して六位以下を授けること,判授とは式部省(兵部省)が判定して外八位以下を授けることをいう。なお,文官は式部省がこれを授け,武官は兵部省が授ける。令制の書式は簡単なものであるが,延喜式の制では中務省の作成した位記案に大・中納言が署名覆奏し,裁可されたものにさらに左・右大臣,式部卿・左大弁(兵部卿・右大弁)らが署名して施行することとされたので,手続はいっそう繁雑となった。また唐制に倣ってその行実を美文で称揚する例となり,長文の位記が作成された。
江戸幕府は武家の位階についてまず朝廷に宣旨を請い,しかる後位記を発給されるように制度を定めたが,位記の体裁そのものはおよそ前代を踏襲してほとんど差がなかった。
→位階
執筆者:黛 弘道
明治維新以後は位記の様式も一変し,初期には人名と叙すべき位階の文言だけで,これを太政官の長官が〈宣〉し,弁官が〈奉行〉し,最後に年月日を載せ,人名と年月日の上方に天皇御璽をそれぞれ押した。ついで1873年(明治6)位記宣奉の様式を改め,勅授位記は天皇の親授するものであるから,以後太政大臣が奉ずることと定めたが,85年の内閣制度発足後は,位記は宮内大臣が奉宣することとなり,1907年制定の公式令17条にその様式が規定された。すなわち一位の位記には天皇が親署の後,天皇御璽を押し,宮内大臣が年月日を記入して副署し,二位以下四位以上には御璽を押し,宮内大臣が年月日を記入してこれを奉じ,五位以下の位記には宮内省の印を押し,宮内大臣が年月日を記入してこれを宣すると定めた。46年以降の現制では,上記の宮内大臣が内閣総理大臣に,宮内省の印が内閣の印に変わり,叙位の文面が〈某位に叙する〉と改められたほかは,公式令の様式と同じである。
→位階勲等
執筆者:橋本 義彦
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位階を授与する際の辞令。唐の告身(こくしん)にあたる。浄御原令(きよみはらりょう)(689)より冠にかえて与えた。令制では位記に、勅授(五位、勲六等以上)、奏授(六位、勲七等以下)、判授(外従(げじゅ)八位および内・外初位(そい)以上)の三つの書式がある。勅授の位記は、内記(ないき)が黄紙に書き、太政(だいじょう)大臣、大納言(だいなごん)、中務卿(なかつかさきょう)、式部卿(武官の場合は兵部(ひょうぶ)卿)などが加署したのち、内印(ないいん)(天皇御璽(ぎょじ)の刻印)を押し、勅旨により授けた。奏授、判授の位記は、文官は式部省、武官は兵部省、女官は中務省において白紙に書き、各太政官に送付した。ただし奏授の位記は、太政官より奏聞して授与するが、判授の位記は奏聞せず、太政官がただちに判授した。この両位記にはともに外印(げいん)(太政官印の刻印)を押した。
[渡辺直彦]
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