中国、日本の令の篇目(へんもく)。中国では隋(ずい)の開皇令(かいこうれい)(582頒行)に初めて公式令の篇名がみえる。唐令は44条が復原されている。日本の公式令は唐の公式令を継受したもの。養老令(ようろうりょう)では第21篇で全89条。中央集権的な文書行政および政務執行方法を規定した法典。(1)詔書(しょうしょ)、勅旨(ちょくし)、論奏(ろんそう)、令旨(りょうじ)、啓(けい)、奏弾(そうだん)、飛駅(ひえき)、解(げ)、移(い)、符(ふ)、牒(ちょう)、辞(じ)、位記(いき)、計会(けいかい)、過所(かしょ)などの公文書の書式と作成・施行・管理、(2)駅馬(えきば)、伝馬(てんま)の利用(管理は厩牧(くもく)令に規定)と公使の発遣、(3)官人の秩序・執務、授位・任官の記録、訴訟・意見などを定める。大宝(たいほう)令もほぼ同内容であったと推定される。
[石上英一]
『井上光貞他編『日本思想大系3 律令』(1976・岩波書店)』▽『仁井田陞著『唐令拾遺』復刊(1966・東京大学出版会)』
法令はその内容の重要度により,制定の主体・方法・名称・公布様式などの区別,すなわち法形式の分化を示し,それがまた時代の推移のなかで変遷する。日本においては明治以降も数々の変遷を経験したが,1886年,勅令の形式で公文式を制定して,きたるべき憲法制度に対応する新しい法形式を整えた。法律・勅令・閣令・省令などの形式や法律・勅令における親署・副署の制度がこのとき初めてつくられた。その後,法形式をさらに増加するなど整備を加え,1907年公文式に代わって勅令で公式令を制定し,公文式は廃止された。公式令は,その後長きにわたって法令の種類・公布等についての一般法として機能したが,日本国憲法の制定に伴い47年に廃止され,日本国憲法のもとではこれに類する法令は制定されていない。憲法の個々の定めに準拠して慣行によって行われている。
執筆者:結城 光太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…大日本帝国憲法の下での命令のうち,天皇により親裁されたもの。法律に次ぐ重要な法規で,当初は公文式(1886公布)によって,のちには公式令(1907公布)によって定められた法形式である。公式令によれば,勅令は,法律と同様に上諭を付して公布され,天皇の署名・捺印の後,内閣総理大臣の単独または他の国務各大臣もしくは主任の国務大臣と連名の副署がなされた。…
※「公式令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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