改訂新版 世界大百科事典 「水汚染」の意味・わかりやすい解説
水汚染 (みずおせん)
water contamination
人間の生活や農業,鉱業,工業などあらゆる生産活動による汚水の排出と,流域地質や土壌含有物質の流出とによって,地表水,地下水を問わず,自然水域または公共用水域の水質が物理的,化学的,生物学的に変化する現象を総称して水汚染または水質汚濁water pollutionという。しかし一般的には,人間や生物にとっての水資源,水環境の利用価値の低下をきたす狭義の水汚染が問題になることが多い。なお,専門的には原因物質が特定でき影響が顕著な場合を水汚染と呼ぶが,水質汚濁と水汚染とは社会的にはほぼ同義に取り扱われる。
水汚染問題は後述のように,歴史的背景も長く空間的にも複雑な因果関係をもっているが,時代の思想や政治・経済的な立場によってその認識も異なるし,科学や技術の対象としての位置づけも普遍化されていない。人類の共通課題としての解決には,なお相当の時日と努力が必要である。
歴史的背景
人間が都市を形成しはじめたときから水汚染現象は潜在していた。古くは前約300年以来ローマが遠距離導水型の水道を建設したのは,それまで水源であったテベレ川の汚染が原因であったといわれる。ローマは水洗式の下水道も備えていたが,この文明は必ずしも継承されず,疫病の流行する中世の暗黒時代に突入するのであるが,水汚染が深刻な問題として正式に歴史に登場するのは,東西交流がより盛んになりインドの風土病であったコレラがヨーロッパ主要都市に蔓延した1830年代になってからである。コレラは腸チフス,赤痢とともに三大水系伝染病であり,これら細菌による汚染が水汚染の原型である。ロンドンではコレラ侵入を契機として水洗式下水道が拡大されるとともに,水源の溯上や砂ろ過処理も考案された。しかし,下水をそのままテムズ川へ放流する方式であったため,下流の水汚染が進み,これに対処するために生物学的下水処理法が開発された。一方,ドイツでは,水源からコレラ菌を発見したコッホの業績が政府に認められ,下水道よりも経済的な検疫による対策が確立され,下水道整備は必ずしも優先されなかった。なお,ロンドン地区やフランスでは下水の灌漑処理も行われていた。
日本の場合,古くから屎尿が肥料として農村還元(病原菌も発酵熱で無害化)されていたことなどもあって,江戸時代まで河川の汚染もそれほど顕著ではなかった。ちなみに日本へのコレラ侵入は1822年(文政5)である。明治時代に入ると,政府は明治10年代まず上水道の整備に着手したが,これとほぼ同時期にすでに足尾銅山の鉱毒汚染(水と大気)が起こっている。やがて化学肥料が重用されはじめ,屎尿の海洋投棄も始まり,さらに,第2次世界大戦後の工業化の著しい発達は工場排水の大量たれ流しをもたらし,水汚染を深刻なものにした。ごく最近まで北アメリカやオーストラリアでも下水が海中放流されていたのは事実だが,この方式は内湾や内海の多い日本ではすぐにゆきづまった。1958年本州製紙江戸川工場の廃水による漁業被害が漁民の工場乱入事件(本州製紙江戸川工場事件)を起こし,これを機に初めて〈公共用水域の水質の保全に関する法律(通称水質保全法)〉〈工場排水等の規制に関する法律(工場排水規制法)〉のいわゆる水質二法が制定されたが,この法体系も経済安定本部の勧告にもとづいて汚染対策と産業発展の調和を保つことに基本がおかれ,同様に鉱害についても鉱山保安法の枠内で,必要上やむなく規制を行ったものといえる。このため,これら法的整備にもかかわらず汚染防止の効果はあまりあがらず,この2法による規制では不十分との指摘が強まり,70年,これらを発展的に解消したものとして水質汚濁防止法が制定された。
いま水汚染問題は生態学的にみてもきわめて複雑化しつつあるが,日本の水環境関係法は,なお建設,通産,農水など事業管轄省の影響力が大きく,アメリカ環境保護庁のように環境行政に一元化されていない。公害の犠牲による経済発展のような国際批判をうける可能性もなお背景として残っているといえるのである。
→下水道 →公害 →上水道
水環境と汚染の総合的関係
海はこれまであらゆる廃棄物の最終処分先と考えられてきた。沖合に放流した屎尿でさえ,大腸菌群が海岸へ再拡散することによってレクリエーションに悪影響を及ぼすとみられているが,なお一部の科学者は放射性廃棄物の海洋処分を推奨しているのが現状である。
環境の三大要素は水,大気,土壌(土地)であり,環境として必要な生活基盤,物質輸送,物質代謝の3機能によって特徴づけられる。なかでも水は三つの機能をすべて備えており,大気・土壌中の物質もいずれは水系に集められて海に流入する。これらの物質のうち栄養物は海域,とくに大陸棚の自然生産に役だち,大きな物質循環系を構成しており,また海の塩分濃度も徐々に上昇するが,太陽熱による蒸発作用により海は淡水の生産源ともなっている。後者の淡水生産機能は永続可能であるのに対し,流入物質の過剰による過栄養状態(富栄養化)や有害物の放流は海の生態系の破壊につながり,いったん破壊された場合その回復は容易ではない。もちろん,河川汚濁や湖沼汚濁もそれぞれの水域における生態系の破壊を伴うものであるが,前述のようにそれらの汚染が最終的には海洋汚染として集約されるのである。したがって,非常に複雑な海洋生態系の破壊限度の科学的究明よりも,海中へ物質が流入するまでの河川・湖沼の自然浄化機能を重視し,その水系への汚染流出を抑制することが必要となる。ただし,内陸の湖沼や河川の汚染のメカニズムも決して単純ではなく,湖沼にも富栄養化が起こりやすい。
物質の安定化は原則として底生の藻類,バクテリア,原生動物などの分解作用として行われるから,自然浄化作用は当然毒物の影響をうけ,分解の速度は物質によって非常に差がある。また多くの物質は砂粒などに付着したり,底泥に一時貯留されることも多い。さらに,大気汚染物質を含め地表面に堆積しているあらゆる物質は降雨によって洗掘,溶解され水系に負荷される。とくに都市活動の複雑・多様化により道路表面などの汚濁物が無視できない影響を水系へ及ぼし始めている。以上のように水環境における汚染の総合的観点から,水理学と生態学あるいは水文学と水質学とを統合する必要が高まっている。
水汚染の影響
水汚染の影響は,厳密には,(1)原因物質の発生主体,(2)原因物質の伝搬機構,(3)影響の及ぶ主体と急性・慢性など影響の種類と程度に分けて論じられる。しかし,大気・山林・農地・都市表面からのように発生源を特定しにくい汚染物質も多く,2種以上の物質が複合作用して影響を倍加するなど未解明の問題もある。また上流側の原因者と下流の影響をうける側が対立して深刻な社会問題となる場合が多い。以下では,(3)の立場に重点をおいて解説をする。
人体への影響
水汚染の原型は病原生物による飲料水源の汚染である。コレラ,チフス,赤痢などの消化器系伝染病のほか,肝ジストマ,ジュウケツキュウチュウ,カイチュウなど寄生虫症が汚染水の飲用者に集団発生する場合が多い。次に,銅,鉛,マンガン,クロム,水銀,カドミウム,ヒ素,フッ素,PCBなど有毒・有害物質による急性・慢性中毒症状があり,たとえ水中汚染濃度は低くても,食物連鎖を介してこれら物質が高濃度に蓄積された植物や魚類の食用によっても同じ症状が発生する。水俣病が好例である。さらに,水道水滅菌用の塩素が自然水中に微量に存在するフミン質などと反応してTHM(トリハロメタン)を生成することが知られ,この水を長期間飲用することによる発癌の可能性も指摘されている。
生活環境に対する影響
人体影響には至らなくても,浮遊物質による濁りの増加だけで自然の景観を損ない,有機汚染一般や富栄養化も水泳,魚釣り,ボートなど水のレクリエーション価値を阻害する。またこれら汚染が過度になると,大量に堆積した底泥から悪臭や有毒ガスが発生し,大気性疾患や文化財,商品価値の低下をもたらすこともある。
魚介類への影響
魚介類への影響は,前述の有害物の魚類への蓄積に加えて,毒物による養殖魚の大量斃死(へいし),産卵場や藻場の汚染による魚量の減少,フェノールや油類による魚介類・ノリなどの異臭,温排水による魚種の変化,漁労活動への直接妨害などの水産業に対する悪影響となって現れる。ある水域の代表的魚種や感受性の高い魚種に対する汚染の作用機構を解明する立場から,特定汚染物質の水環境への影響を判定する意義も大きい。
魚が急死するのは,えら(鰓)に微細な懸濁物がつまったり毒物がえら組織を破壊することによる呼吸困難か,赤潮プランクトンの大量発生による水中溶存酸素の欠乏が主因である。急性毒性症状は他の水質条件や魚の成長段階によっても変化するが,魚は特定物質に対して忌避行動をもつことも特徴である。またより低い汚染濃度でも血液性状の変化や内臓組織におけるタンパク質合成や新陳代謝機能の慢性的な低下が起こることが多い。貝類は一般に魚類より抵抗性が大きいが,ある種の赤潮プランクトンによって人間にも致命的となる貝毒を発生することが知られている。
上水道に対する影響
浄水場はなるべく清浄な水源を前提にして濁りを除去する施設で構成されているので,汚染の影響を最初にうけることになる。工場排水による水源の異常汚染に対する監視,プランクトン除去のための処理など,浄水経費がかさむばかりでなく,水源ダムや湖沼の富栄養化がさらに進めば,飲料水のにおいや味も悪化するとともに,水中の有機成分と塩素との反応によって生ずるTHM生成量も増加するので,浄水プロセス自身の高度化が必要となる。
下水道への影響
下水道は水汚染を防止するうえで欠くことができない施設であるが,家庭汚水と工場排水を合わせて処理する方式が一般化しているので,工場排水中の重金属,油分などが下水処理場での生物処理機能を妨害しないよう,排水受入れ基準を設けている。しかしこれが守られない場合には下水道が汚染源となる。
農業への影響
農薬や化学肥料の使用量増大により農業排水も汚染源として無視できなくなっているが,従来は鉱・工業排水による農作物の急性・慢性被害(枯死・褪色・収量低下・汚染米の生産)をうけ,農業用水路が都市排水路化したための窒素過多の影響(いもち病,イネの倒伏,収量減)をうけてきた。
地下水への影響
地下水は流動が緩慢なため,いったん汚染されるとその回復には長年月を要する。土壌の浄化機能に過度に依存した汚水の地下浸透処理や,廃棄物処分地の雨水浸透は地下水を汚染するおそれがあり,実際アメリカでは1万4000ヵ所の井戸水,地下水が過去の合成化学物質埋立て処分によって汚染され,住民の健康への障害が危惧されている。
水汚染の指標
汚染指標は水環境の状態をあらわすとともに,発生源と影響とを関係づける役割をもつ。測定技術上の制約または簡便さのため,代用指標,間接指標や潜在汚濁度なども用いられる。指標値は特別の場合を除いてppm(mg/l),ppb(μg/l)などの濃度で表示される。
物理化学的指標
SS(浮遊物質)はほぼ1μmの孔径のろ紙でこした残渣の量で表され,水の外観を規定する。清浄河川でも25ppm程度を含み,湖沼ではSS1ppmのとき透明度は1m程度になる。SS中降雨などで流出する粘土鉱物に重点をおくのが濁度であり,蒸留水1lに白陶土1mgを含む場合の濁りを1度とする。またpH値が7より小さいか大きいかによって水の酸性・アルカリ性が判定できるので,工場排水の流入や藻類の増殖(pH上昇)を知ることができる。BOD(生物化学的酸素要求量)は水中の好気性微生物の増殖・呼吸により消費される溶存酸素の量で,本来は水系の酸素不足状態判定の指標であるが,日本では生物分解性有機物濃度の間接指標として,水質基準や自浄作用の推定に広く用いられている。COD(化学的酸素要求量)は微生物のかわりに過マンガン酸カリウムKMnO4や重クロム酸カリウムK2Cr2O7によって酸化される物質量を表し,藻類の現存量も評価できるので,湖沼・海域の有機汚染指標となる。また有機物は必ず炭素を基本元素として含んでいるから,赤外分析装置で迅速に測定できるTOC(total organic carbonの略。全有機炭素)が有機物の主指標となりつつある。さらに有機物を含んだ水が紫外線を吸収することを利用して,その吸光度(紫外部吸光度といい,E220,E260,E390などと表す。数字は使用する紫外線の波長で,単位はnm)から有機汚染を測定する方法も開発され,TOC/E260の比がTHM生成と密接に関係することが知られている。n-ヘキサン抽出物質は,水中の比較的揮発しにくい油分による汚染を表す指標として用いられる。これらの油分がノルマルヘキサンで抽出されやすいことを利用したものであるが,フェノールやコロイド状硫黄も同時に定量される。
生物学的指標
大腸菌群はそれ自身有害ではないが,おもに人畜の糞便に生存し,コレラ・チフス菌などより抵抗力が強いので,水系伝染病の指標細菌となる(大腸菌群数)。飲料水では検出されてはならないと定められている。数本の発酵管に同じ試料を移植し,各管の菌の有無から統計的に菌群数を推定でき,下水処理水では1ml中数百である。最近はさらに病原性ウイルスの定量も行われる。魚類に対する急性毒性の測定には,24(48,96)時間中のLC50(半数致死濃度)を用いる。この種の方法を毒性試験といい,重金属と化学物質などの複合影響も調べられる。BIP(biological index of pollutionの略。生物学的汚染度)は全単細胞生物中における無葉緑体群の比率をいい,清浄な水ほど小さく強汚濁水は100%になる。生物学的水質階級は,水域の生物相によって水質を強腐水性(例,ミズワタ,イトミミズ),α中腐水性(コイ,フナ,ナマズ),β中腐水性(多くの昆虫,魚類),貧腐水性(多くの有用生物)の4階級に分ける方法である。ただし指標生物の分類には専門的知識を要する。
微量汚染指標
以上のように物理化学的・生物学的指標には間接的なものが多い。これに対してごく低濃度で存在するだけで有毒性をもつ物質は,原則的にはその物質濃度を直接定量すべきである。これらは無機成分と有機成分に分類でき,前者は重金属類と非金属類に分けられる。重金属類として重要なのは,水銀,カドミウム,鉛,クロム,セレン,コバルト,銅,亜鉛,マンガンなどで,鉱山排水,業種別工場排水や重金属を含む製品の廃棄と対応づけられる。ただし,自然水や海水におけるそれぞれの標準濃度を知っておかねばならない。非金属類ではシアン,ヒ素,フッ素が重要で,やはり鉱山や工場から排出される。ただしフッ素は,地域によっては自然水自体が斑状歯を発生させる濃度を含んでおり,逆に水道水への微量添加は虫歯予防に有効とされている。一方,有機成分としては,人間や生物に対して急性・慢性中毒を起こしたり,発癌性や変異原性が疑われているきわめて多種の有機合成化合物があり,必要に応じて汚染指標化されている。代表的なものは農薬,PCB,合成界面活性剤および前出のTHMなど有機ハロゲン化合物で,いずれも分析に高度な技術を要するほか,ダイオキシンのように生成機構の未解明なものも存在する。
富栄養化指標
最近,ダム,湖沼など閉鎖性水域の富栄養化は水汚染問題として非常に重要になってきた。このため,物理化学的・生物学的指標のほかに富栄養化指標が確立されつつある。富栄養化は第一次的には植物性プランクトンの増殖として現れ,湖によって異なるが,栄養塩としての窒素またはリンが増殖の制限因子となっているので,これらがもっとも典型的な富栄養化指標となる。窒素0.2ppm以上,リン0.015ppm以上が富栄養化の目安となる。また同じ意味で植物性プランクトンの現存量を知る必要があり,このためすべての種類の藻類に必ず含まれているクロロフィルaを測定し,これが10μg/lを超えると富栄養段階と判定される。以上のほかプランクトンの種類の観察や溶存酸素の測定などによって富栄養化の現状は把握できる。しかし予測や制御のためにはなお不十分なので,1975年ころからAGP(algal growth potentialの略。藻類生産の潜在力)の指標化が検討されている。方法は一種のバイオアッセーで,人工培地で培養した供試プランクトン種と試料水をフラスコに入れ,一定の照度と温度の下でその種の最大増殖量を求め,実際のプランクトン濃度との比較データから将来の富栄養化の程度を推定するものである。
以上のような個別の汚染指標,間接指標を総合化することは容易でない。しかし一般市民が汚染の原因・影響を認識できるようにするため,美的,心理的,感覚的な判断と専門的指標の関係をわかりやすく表示する必要があり,種々の方法が提案されている。
対策
水汚染問題が全国的一律施策で大きな効果をあげえた時代はすでに終わった。またこれまで下水道整備が汚染防止の基本策とされてきたが,下水処理場の放流水中にも下水浄化を行った微生物の排泄物が含まれており,これが浄水場でのTHM生成能を増すことも指摘されている。これまでの汚染対策は公共水域での被害が顕著になってから事後的に行われてきた。これはいわば失敗から生まれたものであることを認識し,今後環境科学者は,化学合成物質などによる汚染が顕在化するまでに計画論的な研究に専念すべきである。汚染と影響のミクロな因果の究明には長時日を要し,この間に潜在汚染が進行するからである。海よりも湖沼,河川での浄化の必要性を指摘したが,さらにいえば,より身近な水環境に汚染源を封じこめることができれば湖沼,河川,海に問題は拡大しない。行政は,専門分野別の縦割り化を排し,大気,土壌,水の相互関係の情報を地域水系ごとに公開し,一般市民が物質消費とその環境影響を自主的に判断できるような支援機構を確立すべきである。一方,下水道が整備されるほどクローズアップされるのが非特定源汚染源であり,この汚染源は農業や都市などの人間活動が大きく関与している。したがって,富栄養源,界面活性剤を含む化学物質をも総合して,できるだけ汚染範囲を拡大しない下水道計画方式の開発も必要となる。
執筆者:末石 冨太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報